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私は芸術の基本を「フレーム効果」と呼んでいる。
つまり、作者が世界の一部を「切り取って提示する」ことで、観る者や読む者が、「こういうものが存在するんだ」と気づき、その美や魅力を「発見する」のを写真や絵の「フレーム(額縁)」にたとえたわけだ。
何でもない風景でも人物でも映画や絵などに描かれると、意味を持つわけである。それが単なる「クローズアップ」効果と違うのは、特に拡大しなくても、枠があるというだけで映画や絵は特別なものになるからだ。
で、枠があるということの意味は、逆方向から言えば、「枠の外のものがすべて消えている」ということでもある。枠内以外は心理的には「見えない」のだから、見る者は嫌が応でも枠内を注視することになる。
ここで、白黒映画と天然色(カラー)映画を比較したら、明らかにフレーム効果の高いのは白黒映画である。カラー映画は、枠内の情報が多すぎて、「見せたいもの」の焦点がぼやけるのである。
下のツィートの英文は私には分からないし、この映画もおそらく見たことはないと思うが、この数カットだけでも、明らかな「フレーム効果」の高さが分かるだろう。カラー映画だとこうはならないはずである。
それは水墨画の効果にも言えることである。
映画界はカラー撮影が当たり前になりすぎて、その欠点が「画面内の情報が多すぎる」ことだと誰も気づかなくなっている。だから絵画的な長所を持つ「芸術的な映画」が消えたのである。

なお、テレビ画面で観る映画は、どんなに大画面でも室内の風景の一部でしかないからフレーム効果が最低になる。つまり、映画館の暗闇の中で観る映画とは魅力が桁違いに低くなる。
テレビというのは友人や家族とお喋りをしながら、馬鹿にしたり批評したりしながら「上から目線」で見る(見られる)ものという悲劇性を生来的に持っているのである。その一方で、馬鹿にしか理解できない内容のものしか放映しないことによって人類を阿呆化する洗脳性を持っている。



In a web of open-ended dreams
Maya Deren & Alexander Hammid's experimental film:
'Meshes of the Afternoon' (1943)

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ゾルゲ市蔵という人は、何者なのかさっぱり分からないが、漫画家のツィッターでよくリツィートされる人だ。だが、言っていることの半分くらいは「そうかなあ」と首をひねりたくなるものだ。
下にあるFGOのイラストを美しいと思うのは個人の主観であり、私は(これも私の主観だが)まったく美しいと思わない。
概して、登場人物の多いアニメのタイトルイラストなどでよく見られる、「全員集合」イラストだが、この手のものはまったく美しい感じはしない。というのは、人間が集合体のただの構成要素に堕してしまい、個々のキャラの美しさはまったく消えてしまうからだ。下の絵も「青や水色の多い、ごちゃごちゃした絵だな」という印象しか無い。青や水色のような「爽快感」を伴う色だからまだいいが、これがアステカやマヤの壁画などだと、朱色や茶色や黒が多くなり、爽快感も無いからただの不気味な絵になる。



さんがリツイート

世代的に離れた立ち場からFGOを見た時の掴みどころのなさは、アステカやマヤの神話を見た時に似ている。同じ人間の作った憧れの対象だから、概要は理解できる。だが近寄って細部に迫ると、個人の狭い共感の範囲を超えてしまって奇妙だとしか見えなくなってしまう。だが美しいことに間違いはないのだ。



「マイナビニュース」から転載。
プロのクリエイターの談話はたいてい面白い。思いがけない物の見方をしていることがよくある。
たとえば、手塚漫画とちばてつやの漫画のテンポの違い、というのは私は初めて聞いた。しかも、世界観や世界像では手塚漫画の影響を強く受けていると思われる(「メトロポリス」をアニメ化したほど影響を受けている)大友が、手塚よりもちばの方に、テンポが近い、と言っているのだから面白い。
ちば漫画のフレーミングの的確さの指摘も、初めて言われたことではないか。やはり、多くの人の心を捉えた巨匠たちの創造物には、思いがけない細部に大きな長所があるようだ。


なお、大友克洋は、「AKIRA」のようなハードSFよりも、シニカルな筆致で日常的な世界を描いた短編にこそ一番の長所があると私は思っている。「童夢」などはそのミックスか。そのあたりの振幅というか、作家的個性は、あまり言われないが、山上たつひこにどこか似ている。ただ、大友にある、大光景から小光景まで見事に描けるカメラ的(映画的)な絵画技法の点が大きく違うので、その個性の類似が気づかれないのだろう。
さらに言えば、「物語(ストーリー)」よりも、映像(絵)の方に関心の中心がある、という点では、大友は新海誠にも似ている。




(以下引用)


2018/11/10 12:10:00

ビッグに聞く:第20回 大友克洋 ちばてつやの意外な影響 気になる新…
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連載企画「ビッグに聞く」に登場した大友克洋さん

 今年、創刊50周年のマンガ誌「ビッグコミック」(小学館)の関係者に、名作誕生の裏側や同誌について聞く連載企画「ビッグに聞く」。第20回は、「AKIRA」などで知られるマンガ家で映画監督の大友克洋さんが登場。同誌への思い、転機、ファンが待ち望む新作について聞いた。

 ◇ビッグはいつもビッグであってほしい

 大友さんは「ビッグコミック」を創刊号から読んでいた。当時は13歳だったといい「創刊号はよく覚えてますよ。平とじ(背表紙がある製本)ですもん。来た!と思った。買って手に持つ喜びがあった。僕はいつだって新しいものを追っかけているので、マンガはこうなっていくんだなあと思った」と振り返る。

 同誌について「マンガ家にとって、ハードルが高い雑誌はあっていいのよ。『ここにはなかなか描けないよ』っていうステータスね。誰でも描けるマンガ誌を作っちゃいけない。むしろ『ここに載るには100年早いわ!』と言ってていい。ビッグはいつもビッグであってほしいね」という印象があるという。

 ◇「童夢」を描いているくらいの時、マンガの文法を見付けようとした

 マンガの世界には「大友以前、大友以後」という言葉がある。大友さんの革新的な表現がマンガを変えたとも言われている。大友さんは「新しい表現をどんなふうにやろうかなという気持ちは常にあります。でも、お客さんがいるのだから、『どうやって読者を話に乗せてくの?』と考えるようになった時期があるんですよ。『童夢』を描いてるくらいの時、マンガの文法を見付けようとした」と転期を語る。

 「手塚治虫作品も石ノ森章太郎作品も読み直した。手塚作品は展開が速くて話が遠くまで行くんですよ。アニメっぽい、ディズニーっぽい人物たちが突拍子もないことをしながらどんどん進んでいく。それは僕にはテンポが速過ぎた。一番テンポが合ったのが、ちばてつや作品だったんです。ある日、吉祥寺のそば屋で手に取ったビッグをめくっていて『のたり松太郎』を読んだ。これだ!見付けた!と。歩き方のスピードがちょうど同じ感じがする。これがいいんじゃねえかと、ちば作品を随分と勉強しましたね」

 ちばさんのマンガを「何より、フレーミングが素晴らしいよね。きちんとした背景の中にきちんと人物がいるんです。分かりやすく描いている。近ごろのマンガを読むと、人物がどこで何をやっているかが分からないものが多い。カッコいい絵なんだけど、人物に寄り過ぎていて、読者の読みやすさのことを考えてないよね。ちばさんは、ちゃんと引いて描いている。客観性を入れると世界は広くなるし、話は面白くなるんですけどね」と分析する。

 大友さんの新作を待ち望むファンは多い。「今、マンガで描きたいものは?」と聞いてみると「もちろんありますよ」と即答。「中身は内緒です。長編です。ガリガリガリ、紙に鉛筆で描くと引っかかる感覚。あのガリガリガリに快楽はあるんです。ガリガリから人が生まれていくのを見ていると、そりゃあ、マンガを描くのを誰もやめないですよ」と明かす。詳細は語ってくれなかったが、長編の新作となれば、期待が高まる。

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これは明らかに、性的いたずら目的で一緒に入浴しようと誘ったのだろう。子供が賢くて幸いだったのだが、幼い娘のいる女性はこんな男と再婚したら、絶対に娘に手を出されると思ったほうがいい。母親が再婚して、その義父に強引に犯されたという話は多いのである。たしか、漫画家の内田春菊もそうだったらしい。
ただし、母親というのは、男親に比べて、娘の貞操とか処女性というのにはまったく価値を置いていないという感じもある。甚だしい場合は、再婚した相手が娘に手を出した時に、娘をライバル視し、夫に抗議するより娘のほうにひどいいじめをすることもあるとか。
もちろん、母親と娘は「仲のいい友達関係」になれることも多いわけだが、こと恋愛とか性的関係の問題になると、女は(モラルとか義理とかが頭から消え去って)動物的になる、と私は思っている。


兵庫県高砂警察署=高砂市荒井町 © Copyright(C) 2018 神戸新聞社 All Rights Reserved. 兵庫県高砂警察署=高砂市荒井町

 交際相手の長女(5)を殴ってけがを負わせたとして、兵庫県警高砂署は8日、傷害の疑いで、会社員の男(25)=兵庫県小野市=を逮捕した。同署の調べに「一緒に風呂に入ろうと誘ったが断られたので腹が立った」と容疑を認めているという。

 逮捕容疑は11月27日夜、高砂市内に住む交際女性(25)のアパートで、保育園児の長女の両頬を平手で殴り、全治1週間の皮下出血を負わせた疑い。

 同署によると、近所の男性から「子どもの泣き声がする」と110番があり発覚。長女は児童相談所が保護した。

確か弓月光は高校生くらいでデビューして、還暦すぎの現在まで一度も雑誌に自作が載らなかったことがないというギネス級の漫画家だと思う。絵柄が最初から可愛くて、その絵柄をほとんど変えていない、という点でも稀有で、それは書き続けている話の内容と絵柄が最初から現在まで一貫しているためだろう。そして、「軽いお色気と笑いと明るさ」というのは、よほどの道学者でもないかぎり、誰の心も求めるものだと思う。
漫画と小説という違いは別として、私は、松本清張という作家は天才だと思うが、お色気と笑いと明るさの対極にある作風なので、死後にはその名前を聞くこともほとんど無い。
  1. 弓月 光‏ @h_yuzuki 12月4日
  1. う〜〜ん、これは漫画で食ってる人にしかわからない話かもしれません。
  2. 3件の返信 5件のリツイート 20 いいね
  1. あ、そういうお姉ちゃんが大好きなので楽しみながら描いております
  2. 6件のリツイート 31 いいね
  1. いや、上がどっさりいるのは嫌ってほどわかっていますので
  1. 自分の絵は今風でもなく上手くも無いし、すごい話を作れるわけでも無いのにまだ少し需要があるのは、この手のコメディ描く人が少ないからではないかと思ってます。
    1. すごいお話が作れる人は絵がそこそこでも結構需要はあるんですけどねぇ。
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