余談だが、80年代当時は、プロレスファンを公言することで「オレはそこいらへんの硬直したインテリとは違うんだぜ」てなことをアピールする実にイヤミったらしい文化人がいたものなのが、00年代以降になると、アイドルをネタによく似た自己演出を試みる人間が登場しはじめた気がしている。
ヒロイズムから騎士道精神や他者への献身を取り去れば、「プリミティブなマッチョイズム」、つまりジャイアンイズムになるのではないか。「空手バカ一代」に憧れて極真会館に入る類である。それがヤクザ礼賛になると社会悪にもなる。
小田嶋師のような感性は正常であるはずだが、DQN嫌悪と同様にむしろ異端視されるのがこの世界である。インテリでも精神的にはDQNという人間は案外多い。さらに、「女性のマッチョイズム」もあるし、女性の精神的DQNは膨大にいるだろう。
最近は「正義は相対的なものだ」という意見から出発して「正義など無意味だ」という考えになり、それが「力こそすべてだ」というプリミティブなマッチョイズムになっている傾向があると思う。
小田嶋師のような感性は正常であるはずだが、DQN嫌悪と同様にむしろ異端視されるのがこの世界である。インテリでも精神的にはDQNという人間は案外多い。さらに、「女性のマッチョイズム」もあるし、女性の精神的DQNは膨大にいるだろう。
最近は「正義は相対的なものだ」という意見から出発して「正義など無意味だ」という考えになり、それが「力こそすべてだ」というプリミティブなマッチョイズムになっている傾向があると思う。
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「公開当時はそれはそれで立派な映画だったのだろうな」とは思うものの、私が実際に見たのは1990年代以降だったので、ひとつひとつのエピソードの底に流れる精神性や、場面の演出手法の浅薄さにあきれた。「はいはい強い強いw」という感じかな。
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ついでに言えばだけど、「実録モノ」と呼ばれた「仁義なき戦い」以前の、いわゆる「任侠モノ」の一連のヤクザ映画(「昭和残侠伝」とか「唐獅子牡丹」とか)については、ほとんど共感を感じることができない。というよりも、ちゃんちゃらおかしくて見ていられない。
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だからたとえば「ゴッドファーザー」のような隅から隅まで完璧に作劇されている素晴らしい作品を見ても、いくつか「なにをイキがってるんだか」と、口を曲げて笑いたくなる場面を発見してしまう。因果なことだと思っている。
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たぶん私は、プリミティブで率直なナマのマッチョイズムを嫌っている以上に、意図的かつ演劇的に再構成されたエンターテインメントとしてのマッチョイズムに敵意を抱いているのだと思う。自分ながらやっかいな感情だとは思うものの、きらいなものはきらいで、これはもうどうしようもないのだよ。
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もう十分に時間が経過して、ほとぼりがさめたと思うので、あらためて蒸し返しておきたいのだが、私がプロレスに対して冷淡だった理由の大きな部分は、「一周回ってプロレスの味方であることを言明してみせるインテリ」の口吻のうさんくささに辟易していたからです。まあ、みんな死んじゃったけど。
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ずっと若い頃、プロレスに冷淡なものの言い方をしたことで、幾人かの知人と疎遠になってしまった。なので、ある時期から、この娯楽(なのか興業なのかスポーツなのか演劇なのかということも含めて)には、なるべく言及しないように心がけてきた。あれは、実にやっかいな話題だった。
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