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「麒麟がくる」という題名も、明智光秀を主人公にするというのも「失敗の匂い」が最初からするので見ていないが、見なくて正解だったか。そもそも、「麒麟がくる」というのは麒麟児(秀才)を迎える側の言葉や心理であり、期待感である。では、それは誰の言葉や心理なのか。普通に考えれば、織田信長だろう。では、織田信長は明智光秀をそれほどの期待感で麾下に迎えたのか。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。しかし、それが失望に終わったことは確実である。ならば、この「麒麟がくる」とは、「実現されなかった空しい期待」を意味するわけで、視聴者がそれを無意識に感じ取るだろうという私の推定は無理だろうか。そもそも、明智光秀を「麒麟」(だった)と思う人間がどれだけいるか。
いや、「麒麟」とは、「麒麟児」ではなく、国家の瑞祥だ、とするなら、織田信長は明智光秀を迎えたことで天下布武への足掛かりをつかんだ、という話になるが、そんな史実はまったくないだろう。
まあ、単にフィクションとしてでも、明智光秀のような「裏切り者」を主人公にするというのは、大冒険である。庶民は、そういう「暗い人間」を嫌うからだ。老年期の好色性や残忍さが知られるようになったとはいえ、秀吉とは明るさが段違いだ。
私は大久保利通を、近代日本を作った一番の功績者だと思っているが、彼を主人公にした大河ドラマを作るのは無理だろう。それも、「明るさ暗さ」の問題だ。



その他

「戦のない世の中」のために戦う主人公というのは大河ドラマでは月並みなんだけど、戦国武将である以上、結局戦乱のなかに埋没する人生を歩むことになる。その根本的な矛盾と葛藤にきちんと向き合って描けるのか? 第1話を見る限り正直期待薄し…

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  • さんがリツイート
    13時間前

    自領が野盗の襲撃を受けるとか、売られていく女子供を見かけたとか、行きずりの少女が火事に巻き込まれるとか、戦乱の被害といっても所詮他人事のエピソードにしかなっていない。もっと親密な人や自分自身が傷ついて、戦の痛みと悲しみが骨身にしみるようなエピソードが必要だったと思う。

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  • さんがリツイート
    13時間前

    例えば、望月医師との会話。なぜか誇りがどうのと語っていたけど、そこはベタでも「武士は人殺しだから看てやらん。刀や鉄砲を提げたまま人を助けてくれと頼むのか?」みたいに言わせればテーマとも直結するし、以前は女子供を見棄てた光秀が今度は火に飛び込んで子供を助ける理由にもなろうに。

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  • さんがリツイート
    13時間前

    「麒麟がくる」2日たってもモヤモヤしてるので吐き出すことにする。 人殺しの道具である鉄砲を手に入れてはしゃいでるような奴が戦乱のない世を本気で願ってるとは到底思えないんだよ。 女子供が戦争捕虜として売られていくのを見て見ぬ振りするような奴が。 主人公のキャラが成立していない。

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