小田嶋氏のツィートで、その発言内容に同感だが、それより私が考えたいのは「侠気」を「おとこ気」と読む、つまり「侠」を「おとこ」と読ませる慣習で、もちろんこれは一般的によく見られるものだ。そして、「侠客」がヤクザの別名であるように、「侠」にはアウトローのイメージが付きまとう。美化的に言えば、「法に逆らっても俺は大事なもの(友情や組織)を守る」という思想が「侠」という言葉には含まれているようだ。その「侠」という字に「おとこ」という読みが当てられるのは、そういう一種の「勇気」は男に特有のものだ、という意識が近代以前には一般的だったのだろう。つまり、「女は家を守り、家族の世話をし、子供を育てる優しい存在」だから、「法を破ることで家庭をも捨てる」ことを含意する「侠」という字には女はふさわしくない、という無意識的思考が背後にあったのではないかと思う。
まあ、やくたいもない思索だが、侠という思想や行為は「家庭を持つ」ことと乖離する、ということは言えるかと思う。マイホーム主義のヤクザなど、漫画の世界だけだろう。
(以下引用)
身内をかばってる連中は、自分では侠気(オトコギ)を見せてるつもりでいる。そういうところが、どうにも救いようのないところで、彼らは自分たちの結界のなかでベタベタと陶酔しているのだね。ああ気持ちが悪い…
まあ、やくたいもない思索だが、侠という思想や行為は「家庭を持つ」ことと乖離する、ということは言えるかと思う。マイホーム主義のヤクザなど、漫画の世界だけだろう。
(以下引用)
身内をかばってる連中は、自分では侠気(オトコギ)を見せてるつもりでいる。そういうところが、どうにも救いようのないところで、彼らは自分たちの結界のなかでベタベタと陶酔しているのだね。ああ気持ちが悪い…
小田嶋隆のブログ記事の一部だが、この芸能界や出版界の話は、銀行業界の「信用創造」に似ている。何も無い紙に数字が書かれただけで、(銀行自体にそのカネが存在しなくても)世の中にカネが突然生まれる、というあの詐欺行為である。
プロデュースというのは、創造行為ではなく、「仲介行為」「創造援助行為」であるが、それが、その名前に「プロデュース(生産・創造)」という言葉が入ることで、誤解を招いている。つまり、無から有を生んでいるのではなく、既にある誰かの作品を世に出す行為である。創造価値は当然、作った人に所属するが、それをプロデュースする者がいないと作品や作者は世に埋もれる。
そういう意味では、「信用創造」とは違う面があるが、詐欺師的部分が大きいという点では似ている。まさに、「世に出してやる」ことで、世間への信用を創造してやったわけだ。
(以下引用)
プロデュースというのは、創造行為ではなく、「仲介行為」「創造援助行為」であるが、それが、その名前に「プロデュース(生産・創造)」という言葉が入ることで、誤解を招いている。つまり、無から有を生んでいるのではなく、既にある誰かの作品を世に出す行為である。創造価値は当然、作った人に所属するが、それをプロデュースする者がいないと作品や作者は世に埋もれる。
そういう意味では、「信用創造」とは違う面があるが、詐欺師的部分が大きいという点では似ている。まさに、「世に出してやる」ことで、世間への信用を創造してやったわけだ。
(以下引用)
テレビタレントの例を引くと、ずっと直感的にわかりやすくなると思うので、以下、芸能人の「実力」の話をする。
芸能人の「実力」は、そのほとんどすべてを「知名度」に負っている。で、その「知名度」の源泉となるのは、メディアへの露出度で、メディアへの露出量を担保するのは、そのタレントの「実力」ということになっている。
ん? この話はいわゆる「ニワトリとタマゴ」じゃないかと思ったあなたは正しい。
- 知名度があるからみんなが知っている
- みんなが知っているから愛される
- 愛されるからタレントとしての実力が認められる
- タレントとしての実力があるから出演のオファーが来る
- 1に戻る
つまり、最初に誰かのおまけでも何でも良いからテレビに出て顔を売れば、その顔を売ったという実績が自分の商品価値になるということだ。
ライターも実は似たようなものだ。商業誌に連載を持っているからといって、そのライターがとびっきりに文章の上手な書き手であるわけでもなければ、人並みはずれて頭が良いわけでもない。正直なところを述べれば、一流の雑誌に書いているライターの中にも、取りえのない書き手はいくらでもいる。
それでも、一度業界に「座席」を占めたライターが仕事を失わないのは、業界の編集者たちが「◯◯誌に書いている」という実績を重視する中で、「実力」と称されるものが仮定されているからだ。
行列のできるラーメン屋の構造と同じだ。誰もが行列のケツにつきたがる。そういうくだらない話だ。
そんなわけで、キャスティング権を握っているテレビのプロデューサーや、編集権を手の内に持つ雑誌の編集者は、言ってみれば、タレントやライターの「実力」を自在に生産・配布する利権そのものなのである
幼い子供が怖がって、観るのから逃げたがることで有名な(と言うか、私の娘と某漫画家の二例しか知らないがwww)アバンタイトルだが、こういう肯定的な考えは初めて見た。
私は、大衆娯楽の快感の基本は高揚感と上昇感にある、と考える者だが、最初から高い位置にいると後は下降するしかないわけで、上昇感覚のほうがより重要だと考えている。
「未来少年コナン」のアバンタイトルは、物語全体の構造の一部として見事に組み込まれているわけだ。実作者ならではの北原氏のコメントだと思う。
(以下引用)
私は、大衆娯楽の快感の基本は高揚感と上昇感にある、と考える者だが、最初から高い位置にいると後は下降するしかないわけで、上昇感覚のほうがより重要だと考えている。
「未来少年コナン」のアバンタイトルは、物語全体の構造の一部として見事に組み込まれているわけだ。実作者ならではの北原氏のコメントだと思う。
(以下引用)
始まった!
毎回このギガントのアバンから入るのって、物語の根底がただ事じゃなく不穏でイイよね。後はアガるしかないって逆に希望を感じるというか(*´д`*) #未来少年コナン
毎回このギガントのアバンから入るのって、物語の根底がただ事じゃなく不穏でイイよね。後はアガるしかないって逆に希望を感じるというか(*´д`*) #未来少年コナン
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冬山想南
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