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見た物を映像として記憶する能力の無い人間は絵が描けないし、おそらく書道も上手くならないだろう。私がそれである。映像的な想像力すら無い。ほとんど言葉で思考が生成される。

(以下引用)


弓月 光
@h_yuzuki
「絵」って頭の中にあるモノを手と道具で紙とかキャンバス等に【そのまま描く】ものです。その訓練として「目で見たモノを一度頭に入れて手で同じものに描く」[写生やマネ絵]事が上達の一手段ではあります。
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小田嶋氏のツィートで、その発言内容に同感だが、それより私が考えたいのは「侠気」を「おとこ気」と読む、つまり「侠」を「おとこ」と読ませる慣習で、もちろんこれは一般的によく見られるものだ。そして、「侠客」がヤクザの別名であるように、「侠」にはアウトローのイメージが付きまとう。美化的に言えば、「法に逆らっても俺は大事なもの(友情や組織)を守る」という思想が「侠」という言葉には含まれているようだ。その「侠」という字に「おとこ」という読みが当てられるのは、そういう一種の「勇気」は男に特有のものだ、という意識が近代以前には一般的だったのだろう。つまり、「女は家を守り、家族の世話をし、子供を育てる優しい存在」だから、「法を破ることで家庭をも捨てる」ことを含意する「侠」という字には女はふさわしくない、という無意識的思考が背後にあったのではないかと思う。
まあ、やくたいもない思索だが、侠という思想や行為は「家庭を持つ」ことと乖離する、ということは言えるかと思う。マイホーム主義のヤクザなど、漫画の世界だけだろう。

(以下引用)


身内をかばってる連中は、自分では侠気(オトコギ)を見せてるつもりでいる。そういうところが、どうにも救いようのないところで、彼らは自分たちの結界のなかでベタベタと陶酔しているのだね。ああ気持ちが悪い…
小田嶋隆のブログ記事の一部だが、この芸能界や出版界の話は、銀行業界の「信用創造」に似ている。何も無い紙に数字が書かれただけで、(銀行自体にそのカネが存在しなくても)世の中にカネが突然生まれる、というあの詐欺行為である。
プロデュースというのは、創造行為ではなく、「仲介行為」「創造援助行為」であるが、それが、その名前に「プロデュース(生産・創造)」という言葉が入ることで、誤解を招いている。つまり、無から有を生んでいるのではなく、既にある誰かの作品を世に出す行為である。創造価値は当然、作った人に所属するが、それをプロデュースする者がいないと作品や作者は世に埋もれる。
そういう意味では、「信用創造」とは違う面があるが、詐欺師的部分が大きいという点では似ている。まさに、「世に出してやる」ことで、世間への信用を創造してやったわけだ。

(以下引用)


 テレビタレントの例を引くと、ずっと直感的にわかりやすくなると思うので、以下、芸能人の「実力」の話をする。

 芸能人の「実力」は、そのほとんどすべてを「知名度」に負っている。で、その「知名度」の源泉となるのは、メディアへの露出度で、メディアへの露出量を担保するのは、そのタレントの「実力」ということになっている。

 ん? この話はいわゆる「ニワトリとタマゴ」じゃないかと思ったあなたは正しい。

  1. 知名度があるからみんなが知っている
  2. みんなが知っているから愛される
  3. 愛されるからタレントとしての実力が認められる
  4. タレントとしての実力があるから出演のオファーが来る
  5. 1に戻る

 つまり、最初に誰かのおまけでも何でも良いからテレビに出て顔を売れば、その顔を売ったという実績が自分の商品価値になるということだ。
 ライターも実は似たようなものだ。商業誌に連載を持っているからといって、そのライターがとびっきりに文章の上手な書き手であるわけでもなければ、人並みはずれて頭が良いわけでもない。正直なところを述べれば、一流の雑誌に書いているライターの中にも、取りえのない書き手はいくらでもいる。

 それでも、一度業界に「座席」を占めたライターが仕事を失わないのは、業界の編集者たちが「◯◯誌に書いている」という実績を重視する中で、「実力」と称されるものが仮定されているからだ。
 行列のできるラーメン屋の構造と同じだ。誰もが行列のケツにつきたがる。そういうくだらない話だ。

 そんなわけで、キャスティング権を握っているテレビのプロデューサーや、編集権を手の内に持つ雑誌の編集者は、言ってみれば、タレントやライターの「実力」を自在に生産・配布する利権そのものなのである

幼い子供が怖がって、観るのから逃げたがることで有名な(と言うか、私の娘と某漫画家の二例しか知らないがwww)アバンタイトルだが、こういう肯定的な考えは初めて見た。
私は、大衆娯楽の快感の基本は高揚感と上昇感にある、と考える者だが、最初から高い位置にいると後は下降するしかないわけで、上昇感覚のほうがより重要だと考えている。
「未来少年コナン」のアバンタイトルは、物語全体の構造の一部として見事に組み込まれているわけだ。実作者ならではの北原氏のコメントだと思う。

(以下引用)
北崎 拓@月に溺れるかぐや姫、ますらお 連載中!
@takukitazaki
始まった!
毎回このギガントのアバンから入るのって、物語の根底がただ事じゃなく不穏でイイよね。後はアガるしかないって逆に希望を感じるというか(*´д`*)
#未来少年コナン




漫画家山本貴嗣のツィートだが、「バカなので」は卑下慢(一見卑下しているが、実は高慢さの表れ)である。一日に何度もツィートする人間が自分を馬鹿と思っているわけがない。
要は、「創作に影響が出るほと楽にカネを稼いだ」経験が無いだけの話で、それを自分から認めると自尊心が傷つくのだろう。
真面目に言って、下の問題の実例はたとえばあずまきよひこである。「ダンボー」でカネが流れ込んだために、創作意欲が激減し、おそらく再起不能に近い状態になっている。



山本貴嗣
@atsuji_yamamoto
パッションに影響が出て創作ができなくなるほど楽に金を稼げるってどういう才覚なのかバカなのでよくわからない>RT


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