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「いつか電池が切れるまで」に引用された小田嶋隆の文章である。
作家が老齢化して創作能力を失う原因のひとつが、「書く習慣を失う」ことかもしれない。高橋留美子のように、漫画を描くのが一番楽しい、という人は年を取っても創作能力は失われないようだ。
素人でも、下手な作品しか書けないことは分かっていても、書くことを続ければ、「創作能力」自体が向上するのではないか。なまじ、自分で自分の作品を批判的に見る習慣があると、書くのがいやになるだろう。


(以下引用)

 アイディアの場合は、もっと極端だ。
 ネタは、出し続けることで生まれる。
 ウソだと思うかもしれないが、これは本当だ。
 三ヵ月何も書かずにいると、さぞや書くことがたまっているはずだ、と、そう思う人もあるだろうが、そんなことはない。
 三ヵ月間、何も書かずにいたら、おそらくアタマが空っぽになって、再起動が困難になる。


 つまり、たくさんアイディアを出すと、アイディアの在庫が減ると思うのは素人で、実のところ、ひとつのアイディアを思いついてそれを原稿の形にする過程の中で、むしろ新しいアイディアの三つや四つは出てくるものなのだ。
 ネタは、何もせずに寝転がっているときに、天啓のようにひらめくものではない。歩いているときに唐突に訪れるものでもない。多くの場合、書くためのアイディアは、書いている最中に生まれてくる。というよりも、実態としては、アイディアAを書き起こしているときに、派生的にアイディアA’が枝分かれしてくる。だから、原稿を書けば書くほど、持ちネタは増えるものなのである。

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最初からの意味の「テンから」の「てん」はどういう漢字を当てるのか、下のツィートを見て疑問に思ったのだが、所有している国語辞典には載っていない。方言か隠語だろうか。後で調べてみる。

〘副〙
① 「天から」すなわち、最初からので、迷うまでもないという気持をこめて用いる語。はじめっから。あたまから。
滑稽本・八笑人(1820‐49)二上「なんでも最初(テン)から立って、押合って見るが一チばん早イヨ」
② 打消表現を伴って、まったく、そのようであることを強めていうのに用いる語。てんで。まるっきり。てんきり
歌舞伎彩入御伽草(おつま八郎兵衛)(1808)序幕「女が不承知なら、てんから出来ねえ仕事だわな」

(以下引用)

ファインマンbot
@feynmannnn
僕は科学者だから自分のやっている事を必ず説明できるものといつも考えていたのだ。だから「これはいい」「あれはだめだ」と言いながら、その判断の理由は説明できないような芸術家の言う事など、天から信じていなかった。ところがどうだ。僕自身その通りのことをやっているではないか!
先ほど、汚れた貨幣をウスターソースできれいにしてみたところ、5円黄銅貨がかなり美しいのに気付いた。10円銅貨より金色に近い。
で、それを見ていて、5円貨幣を使って「鎖帷子」が作れそうだな、と思ったのだが、それにはどのくらいの5円玉が必要なのか、計算してみる。
先に幾つかの貨幣の形状と重さを引用しておく。


発行年直径量目
五十円白銅貨幣 昭和42年~ 21.0mm 4.00g
十円青銅貨幣 昭和34年~ 23.5mm 4.50g
五円黄銅貨幣 昭和34年~ 22.0mm 3.75g
一円アルミニウム貨幣 昭和30年~ 20.0mm 1.00g
他 2 行


5円貨幣は22ミリメートル直径だから、上半身の体表面積を大雑把に計算して、それを縦横22ミリメートルの正方形で割ればいい。
上半身の胴体部分は直径30センチ、高さ90センチの円筒の横面積と考えればいいし、それをさらに大雑把に言えば、縦横90センチの正方形と見做せる。
これだけでも重要部分の概算はできるが、腕の部分は横50センチ、縦20センチの長方形の面積がふたつ、と考えていいだろう。もちろん、上腕の太さが太ももくらいある筋肉馬鹿の体型は別の話だ。
すると、全体の面積は

90×90+2×50×20=10100平方センチメートルである。

これを、5円玉の占有面積として約5平方センチで割ると、2020個である。
つまり、5円玉が2020個と針金があれば手製の鎖帷子が作れるということになる。
もちろん、肌触りは悪いだろうから、下着を着てから着る必要がある。
で、5円玉2020個の重さは7.575グラム、つまり、約7.5キロで、それに針金の重さが加わるから、8キロくらいの重さになるかと予想できる。

針金を約300円として総材料費10400円くらいである。
確か、5円玉は原材料価格と貨幣としての額面が同じだったと記憶するから、5円玉と同じ大きさの黄銅を使っても原材料費は同じになると思う。

これは非常に面白い問題提起だが、私が今考えたのは、軍隊というもの自体がもともと「上級国民」のためのものだったから、その指揮系統は下層国民に絶対に譲らなかったということで、それが世界的に共通だったのではないか。下からの成り上がりだと、どうしても下に対して無慈悲な命令が下せないだろう。古代から中世にはそういう成り上がり将軍(将官、佐官)もいたかもしれないが、近世近代にはほとんど無いと思う。

(以下引用)

軍隊って一兵卒として入隊したら、どれだけ昇進しても少尉だったかくらいで頭打ちになるんだったよね?

対して士官学校卒業したら少尉士官から始まる。

当然、軍の上層部には士官学校を出ていないと入れない。

 

この仕組を軍隊のような現実的集団が堅持しているということは、

この仕組が有効であるという証左なんだと思う。

でも、疑問なのは、なぜそうなるんだろう?ということだ。

一兵卒で入隊して、叩き上げ将軍にまでなれる仕組みよりも

学校を出て士官から始めた人たちだけで将軍が占められる仕組み。

なぜ後者の仕組みのほうがより合理的組織がつくられると考えるのだろうか?

上のツィートは江口寿史自身のもの。私も彼のデビュー当時は、さほど絵が上手いとは思わなかった。ギャグの質もさほど高いとは思わなかったが、デビュー後に彼ほど進歩した作家は稀だろう。ただ、漫画家としては時々ホームランを打つが打率は低いタイプで、絵の方に努力を傾けたのは正解だったと思う。自分の才能を自分で知らない例は案外多いかもしれない。

(以下引用)

誰も期待してなかったし、作者自身さえ自分の絵に期待してなかったよ。面白いギャグを描くことが第一義で、絵は二の次、、というかとくに興味なかったし。若い時は自分の目の前に出来る事で精一杯で、40年後の自分がどうなるか、どうなりたいかなんて考えもしないよ。思い通りになるわけもないし。
引用ツイート
ゾルゲ市蔵
@zolge1
これは書いておかねばならないと思って書き残すのだが「昔は誰も江口寿史に絵の上手さを期待していなかった」というのは挙げておきたい。あれは「ギャグ漫画を描きすぎておかしくなってしまった人」であって、まさか「オシャレな娘っ子描かせたら天下一品」みたいな場所に行くとは誰も思ってなかった。
画像
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