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私自身の別ブログに載せてある文章を、記録保存の意味でこちらにも転載しておく。
数回に分けて載せる。


イエスと「キリスト教」(キリスト教の政治的歴史)

 

 

概説

 

最初に中心思想を述べておく。

イエス・キリストと呼ばれた男、ナザレのイエスは、ユダヤ教を改革しようとして当時のユダヤ教指導者たちの手で始末された男である。その思想は当時の厳格な儀式典礼主義のユダヤ教を批判し、より精神的なものにしようとするものであった。

キリストは神の子ではなく、その死後に布教のために神格化された人物である。教会によってキリストの教えも変質した。その過程がここで論ずる事柄の中心であるが、それにはユダヤ教との関連、そしてローマ帝国との関連が重要である。

現在の「キリスト教」の土台は、キリストの死後100年の間に、その教えを元にして形成された。新約聖書の中にある四福音書の中の、キリストの言葉そのものが、純粋なキリストの教えであり、それ以外の記述、たとえば様々な「奇跡」は、キリストの神格化のために、記述者が付加したものである。たとえばキリストの「死後の復活」も伝道のための作り話である。そうした不合理性を除去した後に残るものが真に重要な「キリストの教え」である。(ドイツのブルトマンの「聖書の非神話化」の主張も同じ趣旨だろう。)

キリスト教はさらに「キリスト教(あるいはユダヤ教)」という一神教をローマ帝国の国教に採用しようと考えたローマの手によって変質させられた。つまり、現在の「キリスト教」は、「ローマ化したキリスト教」であり、その土台を作ったのはパウロである。パウロは熱心なユダヤ教徒であり、最初はキリスト教徒を迫害していたが、ローマからの指令によって(?)「新キリスト教」オルグ活動家となった人物である。この人物とローマ帝国の力によってキリスト教の世界宗教への道が開かれた。ローマがユダヤ教ではなくキリスト教を選んだのは、民族宗教色が強すぎるユダヤ教よりも、精神性や内面性を重視するキリスト教のほうが、ローマ人も含めて他民族を折伏し、吸収するのに向いていたからである。大事なのは、「一神教」の持つ「絶対性」であった。あるいはマルクス用語で言う「歴史的必然」と言ってもいい。つまり、「最初から正義はこちらにあり、勝利は約束されている」とする思想だ。なぜなら、他の宗教の神々が「世界内存在」であるのに、一神教は世界そのものを作った神であるから正義と勝利は保証され約束されているのである。(そうした超越神、創造主という存在と、この世の悪の存在の矛盾は、とりあえず無視すれば良い。)

キリスト教がローマ・キリスト教(国教化以前のこの段階ではローマンカソリックとはまだ言わないほうがいい。)となった頃に、キリストの教えがアレンジされ、福音書も作られた。ローマ教会によってそれまでのキリスト伝承が整理され、正典(カノン)と外典が区別された。本来のキリストの教えが正典と外典のどちらにあるかはわからないが、外典を一般大衆が目にする機会はほとんど失われ、「キリスト教」批判の契機も失われた。

ローマ・キリスト教がローマンカソリックとなっていく過程で、さらにユダヤ教への退化が生じ、現在の「キリスト教」に近づいていった。さらに、様々な教父たちによってキリストの母の神格化や三位一体説、原罪説などが加わり、ローマンカソリックという異様な「キリスト教」が出来上がった。その異様さは、かつてイエス・キリストが憎んだ「因習的ユダヤ教」とそっくりである。その因習的な部分とローマンカソリックの腐敗した上層部への反撥が宗教改革を生んだ。しかし、その新教もまた「聖書」に依拠する限りは、キリスト本来の教えと一致することはありえなかった。キリストの教えを純粋化するには、聖書中のキリストの発言のみを抽出する必要があったのである。もちろん、それすらも記述者によって歪められたものではあるが、それでもその教えの革命性は明らかである。

結論的に言えば、世間で言う「キリスト教」は、「キリストの教え」では無い、ということだ。キリスト本来の教えは、共産主義に近いほどに、この世の富と栄華を否定する思想であるから、資本主義社会とは両立できない思想である。その資本主義の牙城のアメリカが「キリスト教」国家であるなら、それは「キリストの教え」とは別のキリスト教でしかない。同様に、「汝の敵を愛せよ」「右の頬を打たれたら左の頬をさし出せ」という、許しと寛容の教えがあの残虐な十字軍と両立するはずはない。そこには、ユダヤ教独特のダブルスタンダードの思想、つまり、「自分の民族に対しては倫理を守れ、だが、異民族に対してはあらゆる悪が許される」という選民思想がある。ユダヤ民族を白人種に変えれば、これが西欧国家や西欧人種の気風でもあることは、近世近代現代の歴史に明らかである。

「キリスト教」は、西欧人の考えの土台である。したがって、その思想がキリスト本来の思想といかに異なるものであるかを西欧人たちが知れば、(つまり、自分たちがキリスト教だと信じていたのは実は変装したユダヤ教であることを知れば、)彼らが自らを反省し、あるいは西欧の貪欲によって破滅しかかっているこの世界が救済される可能性への道が開かれるかもしれない。そのためにも、この論が書かれる必要性があると私は信じる。

 

あらかじめ言っておくが、この論への批判は、その本質的部分への批判のみに願いたい。つまり、現在の「キリスト教」は、はたして聖書の中のキリストの言葉と一致しているかどうかということだ。その点での反論はおそらく不可能だろう。現在の「キリスト教」社会ほど非キリスト教的な社会も存在しないだろうからだ。それ以外の部分は、遥かな過去の時代についての推測にしかすぎない。歴史そのものが、勝者の歴史でしかない以上、後世の人間にできることは、歴史的記述について合理的判断を心がけることだけだ。もともといい加減なものでしかない歴史的記述や資料の細部の取り扱いにいちいち文句をつけられるのは御免である。

 

                         2008年11月23日記

 

 

第一章     旧約聖書と新約聖書

 

まず、聖書をどう捉えるかだが、簡単に言えば、旧約聖書はユダヤ教の聖典であり、新約聖書だけがキリスト教(「キリスト教」すなわち、後の変質したキリスト教とは区別する。)の聖典である。ただし、キリスト自身は実は自分がキリスト教という新しい教えを教えているつもりはなく、腐敗したユダヤ教を改革しようという「宗派内改革者」のつもりであった。だから、彼の教えの中には旧約聖書からの引用が無数にある。

しかし、彼自身のそうした意識とは裏腹に、彼の教えは旧来のユダヤ教とは水と油ほどにも違っていた。その最大の点は、「神」の性格である。「旧約」の中の神には、キリスト教の神のような愛と寛容の性格は無い。狭量で、怒りっぽく、残酷で不合理な性格の神だ。一言で言えば、困った性格の神様だが、では、キリスト教の神が正しいかと言うと、これもキリストがそう空想しただけのことだからどちらが正しいとも言えない。

「旧約」の中には、果たしてこれは一神教かと疑わせる記述などもあるが、とりあえず、ここではユダヤ教もキリスト教も一神教だという前提で話を進めていく。

 

第二章     キリストという呼称について

 

キリストとは救世主の意味であり、個人名ではない。個人名としてはイエスまたは、その出生地名と共に、ナザレのイエスと言う。英語読みならジーザスだ。

ではキリスト、つまり救世主とは何か。現在の人々が想像するような、世界全体の救済者のことではない。これは、イエスの十字架上の刑死の後、イエスこそが「キリスト」であったという考えが広まり、それが世界全体の救済者というイメージになったのである。イエスの生きていた当時の「キリスト」とは、ユダヤ民族の救済者ということである。だから、イエスの裁判では「キリスト誇称」が彼の最大の罪とされたのである。

ではなぜユダヤ民族を「救済する」必要があったのか。それは、ユダヤがローマ帝国の支配下にあったからである。それ以前にもエジプトでの奴隷的生存やバビロン捕囚の時期があり、ユダヤ民族は民族として独立できていた期間が短く、常に、他民族の圧迫の下にあったので、彼らにはいつの日かユダヤ民族を救い出し、「この世の王国」を打ち立てる人物が現れるという期待と信仰があった。

注意したいのは、「この世の王国」とは現実の国家であり、精神的なものではなかったという点だ。イエスにキリストであることを期待した人々は、彼がローマへの反抗の指導者、つまり独立運動の指導者か革命家であることを期待したのである。

 

第三章 当時の社会状況

 

イエスが生まれたのは紀元前4年(紀元前7年という説もある)だと言われている。ADとは「キリスト紀元」、キリスト誕生を紀元とすることだから「イエスはイエス・キリストが生まれる4年前(BC4年)に生まれた」ことになる。では、この両者は別人か? もちろん、同一人物である。後世の歴史家の計算間違いで、こういうナンセンスが生じただけのことだ。歴史的「事実」など、その程度のものである。

その当時、ユダヤ民族は地中海と死海の間にある狭い土地に生息していて、他の周辺民族と同様にローマの支配を受けていた。手元に資料が無いのだが、シーザーの養子で、アントニウス・クレオパトラ連合軍を破ってローマの支配者になったオクタビアヌスの頃かと思われる。ユダヤの王がヘロデ、ローマから派遣されたユダヤ総督がピラトである。このあたりは、キリスト教映画などでの有名人物だ。

当時のユダヤ教は大きく分けて三つに分かれる。

まず、サドカイ派。これはユダヤ教の支配層であり、宗教的特権階級である。貴族や大土地所有者が多く、ローマに対しては妥協的態度を取っていた。(このあたりの記述は小坂井澄『キリスト教2000年の謎』を参考にしている。)

次に、パリサイ派(ファリサイ派)。学究派と言っていい。ユダヤ教を学問的に研究する姿勢に偏向していたため、イエスの批判は主としてこのグループに向けられた。つまり、「口では信仰を言うが、信仰を実践しない偽善者」というのが新約聖書での「パリサイ人」の定義である。ただし、小坂井氏の指摘にもある通り、イエスを殺させたのはパリサイ派ではなく、サドカイ派である。つまり、イエスはその革命的宗教思想の故に保守思想の一派に憎まれ殺されたのであった。イエスの思想自体にはパリサイ派との共通性も多い。

そして、エッセネ派。内面的信仰を重視する一派で、清貧と禁欲性をその特徴とする。イエスはおそらくこのエッセネ派の一人と見ていいだろう。ただし、気質的にエッセネ派であるというだけで、その集団に帰属していたということではない。前世紀中盤に発見された「死海文書」は初期のキリスト教徒迫害を逃れて隠れ住んだ、エッセネ派の残した文書と思われる。とすれば、それは福音書よりも本来のキリスト教の思想に近いものである可能性が高い。(この「死海文書」はバチカンによって秘匿され続けている。)

















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