VRゲームやってて、拳銃は片手撃ちだと射線が安定しないことを実感した。両手で構えるとそれだけで命中率が飛躍的に上がる。
この「流砂」への誤解の原因は、「砂漠」そのものへの誤解にあるかと思う。一般に思われているような、大地全体が砂に覆われた砂漠はむしろ少なく、たいていの砂漠はむしろ「土漠」とでも言うべきものだ、と聞いたことがある。まあ、砂の部分と土の部分が半々程度と思えばいいのではないか。
下の動画でも、土壌は砂混じりの土という感じだ。
で、流砂とは、その砂混じりの土が、水が湧き出したために泥状になったものであるようだ。
その流砂からの脱出方法は、「何とかして、まず両足を泥の上に出して(つまり、体を水平にして)」、泥の上を這って脱出する、というものである。泥の表面を「泳ぐ」感じか。
なお、泥の比重が大きいためか、体は一定以上には沈まないようで、溺れ死ぬことは無いらしい。問題は、その流砂から脱出することが非常に難しく、太陽の熱とパニックで死に至ることであるようだ。
下の動画では、脱出後に泥を落とさないと、体が砂でこすれて傷つき、感染症などの危険があることまで親切に語っており、まさに、サバイバルというのは、そこまで考えるべきものなのだな、と感心する。
下の動画でも、土壌は砂混じりの土という感じだ。
で、流砂とは、その砂混じりの土が、水が湧き出したために泥状になったものであるようだ。
その流砂からの脱出方法は、「何とかして、まず両足を泥の上に出して(つまり、体を水平にして)」、泥の上を這って脱出する、というものである。泥の表面を「泳ぐ」感じか。
なお、泥の比重が大きいためか、体は一定以上には沈まないようで、溺れ死ぬことは無いらしい。問題は、その流砂から脱出することが非常に難しく、太陽の熱とパニックで死に至ることであるようだ。
下の動画では、脱出後に泥を落とさないと、体が砂でこすれて傷つき、感染症などの危険があることまで親切に語っており、まさに、サバイバルというのは、そこまで考えるべきものなのだな、と感心する。
白土三平の漫画や風の谷のナウシカなどで流砂を知った人は多いと思うが、現実の流砂は砂漠に湧き出た泉で、砂が大量の水分で流動化したもので、底無し沼みたいなもの。漫画やアニメのようなサラサラの流れる砂ではない。>流砂から脱出する方法。>
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小田嶋隆の文章の一部だが、創造的な仕事に関する真理だと思う。
我々は、アイデアというのは、天から落ちてくるものだと考えていることが多いが、実は、創造のその過程の中でこそアイデアは浮かんでくるのである。つまり、兼好法師が言うように、考えというのは何かが機縁になって生じるのであり、新しいアイデアも同様だ。しかも、創造の過程で浮かんでくるアイデアは、その創造対象、あるいは創造目的に適合したアイデアであるのは「心理は連想でつながれていく」という前提から当然だろう。
書くことが無ければ、何か適当に書いてみる。すると、書いた内容に刺激されて、思考が動き出すのである。(最初の部分は、きっかけに過ぎないから、ダメ内容であることが多い。そこで、最初の部分を切り捨てるといい作品になるだろう。多くの人は、「素晴らしいアイデアが浮かぶまで」筆を執らない。そこで、無駄な時間を延々と続ける。これを「下手な考え休むに似たり」と言う。)
手塚治虫を始め、天才の多くは、仕事そのものが大好きな、ワーカホリックだったのだ。
(以下引用)
我々は、アイデアというのは、天から落ちてくるものだと考えていることが多いが、実は、創造のその過程の中でこそアイデアは浮かんでくるのである。つまり、兼好法師が言うように、考えというのは何かが機縁になって生じるのであり、新しいアイデアも同様だ。しかも、創造の過程で浮かんでくるアイデアは、その創造対象、あるいは創造目的に適合したアイデアであるのは「心理は連想でつながれていく」という前提から当然だろう。
書くことが無ければ、何か適当に書いてみる。すると、書いた内容に刺激されて、思考が動き出すのである。(最初の部分は、きっかけに過ぎないから、ダメ内容であることが多い。そこで、最初の部分を切り捨てるといい作品になるだろう。多くの人は、「素晴らしいアイデアが浮かぶまで」筆を執らない。そこで、無駄な時間を延々と続ける。これを「下手な考え休むに似たり」と言う。)
手塚治虫を始め、天才の多くは、仕事そのものが大好きな、ワーカホリックだったのだ。
(以下引用)
休めば休むだけ、アイディアは枯渇する。少なくとも、私の場合はそうだ。
アイディアは書けば書くほど湧き出してくるものだ、と、ポジティブに言えばそう言い換えることもできる。
実際、原稿のネタは、原稿を書いている最中でないと出てこないものだ。だからこそ、Aの原稿を書いていると、別のBの原稿のアイディアが、ふと思い浮かんできたりする。
ということはつまり、アイディアは、瓶の中に入っている有限な液体よりは、むしろ地下水脈に似ているわけだ。掘り進めば掘り進めるだけいくらでも湧いてくる半面、掘る手を休めると、その時点で枯渇してしまう、と、そう考えるのが、たぶん、勤勉な書き手であるための有効な考え方なのだろう。
別の言い方をすれば、勤勉な時間の過ごし方に快適さを感じる意識のあり方を、才能と呼ぶわけだ。
私は、最近のガンアクションがどれもこれも両手撃ち(「ブラックラグーン」除く)なのが気に食わないのだが、その方が命中率は上がる、というのは理解はできる。しかし、0・1秒を争う闘争の場面で、両手で構えるのは、片手撃ちに比べてはるかに速さが劣る、つまり大きく不利になるに決まっている。敵のいる場所にこっそり忍び込んで先制攻撃を加える「警察式」のガンアクションを、ギャング同士の闘争場面(敵味方入り乱れての闘争シーン)にまで使うのはいかがなものか。まして、西部劇にまで両手撃ちを使うようになれば、西部劇は終わりだろう。
冒頭にナレーションなどで状況説明をするというのは、言われてみれば悪手かもしれない。観客(読者)はそれを記憶して先に進むしかないわけだから、観客(読者)に過剰な負担をかけるわけである。
私はついこの間、山田風太郎の「忍法八犬伝」を読み、それが面白かったので、市民図書館で山田風太郎の他の作品を探して、「飛騨忍法帖」というのを借りてきたのだが、冒頭部分にいきなり六人もの名前が出てきて、少しうんざりした。まあ、忘れたら忘れたでいいさと気楽に読めばいいのだが、やはりどこかに「自分は雑な読み方をしている」という気の重さが残るわけである。これは娯楽小説としては欠点だろう。
これが「水滸伝」などだと、登場人物は主要人物だけでも108人と多いのだが、ひとつひとつの話の登場人物は少なく、あまり名前を覚える必要はないし、自然に覚えるのである。やはり、古典的な大衆小説は「人間の生理」というのをよく分かっている。
まったく状況説明をしない代表例が「エバンゲリオン」で、あれは最後まで説明をしなかった。それでも、キャラが立っていたので、視聴者は、その回その回を単独で楽しめたのである。
私は、大衆小説や漫画や映画の「基本的な(あるいは一番重要な)教え」として、「説明するな。描写しろ」という指針がある、と思っている。説明とは、観客や視聴者の想像力や理解力を信頼していない、ということなのである。
(以下引用)
私はついこの間、山田風太郎の「忍法八犬伝」を読み、それが面白かったので、市民図書館で山田風太郎の他の作品を探して、「飛騨忍法帖」というのを借りてきたのだが、冒頭部分にいきなり六人もの名前が出てきて、少しうんざりした。まあ、忘れたら忘れたでいいさと気楽に読めばいいのだが、やはりどこかに「自分は雑な読み方をしている」という気の重さが残るわけである。これは娯楽小説としては欠点だろう。
これが「水滸伝」などだと、登場人物は主要人物だけでも108人と多いのだが、ひとつひとつの話の登場人物は少なく、あまり名前を覚える必要はないし、自然に覚えるのである。やはり、古典的な大衆小説は「人間の生理」というのをよく分かっている。
まったく状況説明をしない代表例が「エバンゲリオン」で、あれは最後まで説明をしなかった。それでも、キャラが立っていたので、視聴者は、その回その回を単独で楽しめたのである。
私は、大衆小説や漫画や映画の「基本的な(あるいは一番重要な)教え」として、「説明するな。描写しろ」という指針がある、と思っている。説明とは、観客や視聴者の想像力や理解力を信頼していない、ということなのである。
(以下引用)
テレビアニメ『母をたずねて三千里』には、冒頭、何も考えずに状況説明ナレーションを入れる愚挙を戒められた。
ナレーションに頼るのは、楽に『描いた』気になれる罠がある。
(使わなくはないが、ページの圧縮と、リズム作りだな)
前回に書いた記事に関する補足だが、ブラックホールを「もう一つの宇宙への入り口」と考えるなら、SF的には面白いかもしれない。数学での「正の数と負の数」のように、ブラックホールの向こう側には「負の宇宙」が存在する、という考えだ。この地球から突然消えた存在は、地球上の小さなブラックホールを通って「負の宇宙」へ転送されたわけである。まあ、ドラえもんの「どこでもドア」の一形態とも言える。『漂流教室』なども、それ。
向こう側の世界では、すべてが反転している、というアイデアもあるが、それだと内臓が外にあるような生き物が存在したりしてグロである。まあ、「すべてが反転」ではなく、数学的な世界や物理現象の多くが反転する、というのならいいかもしれない。
向こう側の世界では、すべてが反転している、というアイデアもあるが、それだと内臓が外にあるような生き物が存在したりしてグロである。まあ、「すべてが反転」ではなく、数学的な世界や物理現象の多くが反転する、というのならいいかもしれない。
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