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征服民族(日本への侵略民族)としての大和朝廷の物語を書こうと思っているが、その参考にするための「日本書紀」を訳したサイトに、こんなコラムがある。一見、右翼系サイトかと思われるのだが、必ずしもそうでもないようだ。

(以下引用)



個人的コラム

名前が違うがほとんど同じ話をなぜ残すか?
日本書紀の物語の最大の疑問は、なぜ別伝を残したのか?です。そんなことをする必要はありません。日本書紀が外国向けに書かれた大和朝廷の正統性を主張する歴史書ならば、余計な別伝を残す必要は全くないのです。むしろ情勢が不安定であると証明するようなものではないでしょうか???

この六段一書(一)は六段本文と神の名前が違う程度でほとんど同じもの。なぜこれを残す必要があったのでしょうか???????

それは政治的敗者の鎮魂ではないか?
というのが私の意見です。

長い歴史の中で政治敗者が存在し、それは名前も無くなり記憶にも残りませんでした。その名残を伝えるのは唯一、神話だけ。神の名前だけです。かつて、その神を祀り、神と共に生きた氏族が居たのです。神の子孫として名前が日本書紀に挙げられている氏族は一部。名前だけでも残った氏族はその後没落したとしても、まだ幸運な氏族でした。

そんな消えていった氏族の魂を鎮魂する必要がありました。

なぜか??

祟るからです。

怨霊信仰の成立は平安からとされますが、そもそも日本人の神との接し方は「ご機嫌取り」です。機嫌を損ねて暴れないように供物をささげるのです。そのご機嫌取りが上手に出来る人のことが「神官」であり、そのトップが天皇だったのです。古代において神のご機嫌取りは何よりも重要なお仕事です。雨が降りすぎても困るし、日照りが続いても困る。丁度良くしてもらうためには、そういう儀式が必要です。

それは死んでいった「人間」でも同じでした。日本では人間も死後には霊体となり、人外の存在(=神)となります。彼らのご機嫌取りも大事な仕事でした。

その一つが日本書紀でした。別伝を残すことで鎮魂をする。それは天皇と大和朝廷に必要な国家プロジェクトだった……のではないか?と考えています。


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崇神天皇は第十代天皇とされているが、日本書紀では「ハツクニシラススメラミコト」と書かれており、大和朝廷を確立した天皇と思われる。その和風諡号は「ミマイリビコイニエノスメラミコト」で、「イリビコ」は「入彦」の字が当てられている。つまり、「他所から来た男」である。あるいは、沖縄では東を「アガリ」、西を「イリ」と言うが、「西から来た男」とも解釈できるのではないか。(「アガリ」は日が上がる、「イリ」は日が地下に入る意味だと思われる)
つまり、神武東征が、後に大和王朝と呼ばれた王朝の西から東への移動の始まりで、崇神が、大和地方で大和朝廷を確立した、と思われる。当然、この朝廷は大陸あるいは朝鮮からの移入者が中心を占めていただろう。余所者だからこそ、各地に盤踞する原日本人を「征服」する必要があったのだ。それは、稲の栽培に適した場所を求めての東征でもあっただろう。この人々が、弥生人である。
年を取ると、小説や映画などへの興味が低下するという事実があると思う。
そもそも、人間のすることすべてへの興味が低下し、宗教や哲学など、「形而上的」なものにしか心が惹かれなくなるのではないか。これは、死が近づくことによるもののような気がする。つまり、人間世界への関心が薄れることによって、死の受容が容易になるという、天のプレゼントのようなものかもしれない。
で、私は、「小説を読む」ことへの関心はかなり薄れているのだが、その反面、「自分で小説を書いてみたい」という気持ちだけはまだ残っている。具体的に何を書きたいとか、小説家になりたいというわけではない。幾つかいい加減な小説創作はしたが、「娯楽としての小説創作」を自分はあまり味わっていないので、そこには何か大きな快感がある気がするのである。
まあ、「現実では満たされることがない」大きな可能性や力の感覚をフィクションの世界で味わってみたい、ということだろうか。たとえば、巨大な善にも巨大な悪にも、普通の人間は現実では出逢わない。そして、そのほうが幸福なのだ。しかし、小説の中でそうしたものに出逢うことは、やはり凄い体験である。「それに比べたら、現実の人生などどうでもいい」という体験が小説の中にはある。
私自身が書きたい小説がそういう小説だというわけではなく、どんな内容であれ、「書きながら人生を、違った形で再体験してみたい」ということだろう。
萩原朔太郎が創作の動機を「復讐」と言ったのは、「現実人生の卑小さ」への復讐、ということだと思う。

自分で書くかどうかはともかく、私にとって理想的な小説は、松本清張の時代小説の世界に、フィールディング(「トム・ジョウンズの冒険」)のキャラを入れたような、まあ、山手樹一郎をもう少し上等にしたような小説だろうか。田中芳樹の作品にもそれに近いものがある。中国古典で言えば、「三侠五義」の世界に「児女英雄伝」のキャラ、と言ってもいい。武田泰淳の「十三妹」が、まさにそれであるが、男主人公があまりに情けないのが欠点だ。
トルストイとドストエフスキーの能力でデュマ的世界を描いた小説が理想、と言ってもいい。










銃が「自分の身には危険が無く、遠距離から人を殺せる」卑怯な武器である、ということをテーマにした脚本の案。
登場するのは、「女、子供、老人、病人(障害者)」で構成された殺し屋集団。ただし、それぞれ優れたガンマン(ガンウーマン)。
その女子供老人病人に、屈強な体格の男たちが銃で簡単に殺されていくのが、話の主筋。毎回、そういうパターン。(別に、相手が悪だから殺すというのではなく、純粋にビジネスとして殺す。)
主人公(あるいは副主人公)は、毎回、その殺し屋のひとり。テレビドラマなら、視聴者は、その登場人物が殺し屋であることを知っているから、「神の視点」でドラマを上から眺めることになる。映画「バリー・リンドン」のような感じにしたい。視聴者が感情移入しそうな「善人」も回の最後では(ビジネス上)殺される。
登場人物のひとりに、「銃はイクエイター(平等を作るもの)である」という哲学を語らせ、同時に銃が卑怯者(あるいは弱者)の武器であることをも語らせる。

主要人物(仮に想定しただけで、いくらでも増やせるし改変できる。)

30代女性:最悪の人生を歩んできた、筋金入りのフェミニストで、美人。社会と男性を憎悪している。
50代女性:最愛の旦那を街のチンピラに殺され、銃で犯人を殺して服役。見かけは優しい中年女性。
70代男性:上司の犯罪の罪を着せられ、人生を棒に振った男。
40代男性:聾者。
10代男性:トランスジェンダーで、美少女に見え、女装が得意。

なお、この案は、先ほど見た昔の映画「三人の狙撃者」からヒントを得た。その映画では、戦場で27人殺したことが自慢の殺し屋フランク・シナトラが、おそらく銃を撃ったこともない家庭の主婦(平和主義者で銃嫌い)にピストルで撃ち殺され、惨めに死んでいく。
私の別ブログの記事のひとつだが、創作の上で大事な内容だと思うので、自己引用しておく。



ストーリーのためにキャラクターがいる典型が推理小説で、だから私は概して推理小説を好まないし、推理小説が「文学」になりえないのもそのためだと思っている。もちろん、そこを打破しようとしてプロの作家は努力してきたのだが、相変わらずの作品もある。逆に森博嗣(字はこうか?)の作品の中には、キャラ作りは抜群だがストーリーやトリックは無理ゲーというものが多い。密室のための密室、のようなもの。
一般小説で言うと、上橋菜穂子の「守り人」シリーズなどは、ドラマを成り立たせるためにわざと困難な状況を作っている面が多々あるように見える。人物たちがちゃんと他の人物に「説明」しさえすれば、面倒は何も起こらなかったのではないか、という場面が多いように見えるのである。まあ、漠然とした印象だが。これも「嘘」の一種だと私は思う。ストーリーのためのストーリー、ドラマのためのドラマ。額面以上に評価されすぎの作品だと思う。
ドラマはもともと作り事ではあるが、「合理性」や「自然さ」が無いと読者に「嘘だ」という印象を与えるのである。作り事だから嘘と感じるわけではないのだ。意図的に困難を作り出し、ではその困難をどう解決するか、という段になってとんでもない「デウス・エクス・マキーナ」が出てきたら、読者は腹を立てるわけである。


(以下引用)赤字部分はブログ筆者(私)による強調。



 羽海野チカは、ニコ・ニコルソン『マンガ道場破り・破』の中で、マンガ家にとって一番大事なことを「嘘をつかないこと」だと書いている。

 ニコ・ニコルソンが描いてきた原稿を直す際に、




「気の弱いこの子がここでこんなこと言うかなぁ…」

と疑問を呈する。ニコ・ニコルソンは、「でも話の流れ上、そうしないとバトルにならんので」と羽海野の疑問を退けようとする。羽海野の再反論。




「私なら… 最初から台詞の応酬を書いていって…


 『この子はこんな選択肢選ばないなぁ』となったら


 話の筋を変えるよ」

 これが羽海野のいう「嘘をつかないこと」、つまり「嘘の感情を描かない」ということであり、別の言い方をすれば、キャラクターをストーリーの従属物にしない、ということでもある。(ただ、ニコ・ニコルソンの『破』を読むと、別の作家は逆にストーリーを大事にしている方法を取っており、それは作家が選ぶ方法の一つに過ぎないのであろうが。)

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