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私の別ブログの記事のひとつだが、創作の上で大事な内容だと思うので、自己引用しておく。



ストーリーのためにキャラクターがいる典型が推理小説で、だから私は概して推理小説を好まないし、推理小説が「文学」になりえないのもそのためだと思っている。もちろん、そこを打破しようとしてプロの作家は努力してきたのだが、相変わらずの作品もある。逆に森博嗣(字はこうか?)の作品の中には、キャラ作りは抜群だがストーリーやトリックは無理ゲーというものが多い。密室のための密室、のようなもの。
一般小説で言うと、上橋菜穂子の「守り人」シリーズなどは、ドラマを成り立たせるためにわざと困難な状況を作っている面が多々あるように見える。人物たちがちゃんと他の人物に「説明」しさえすれば、面倒は何も起こらなかったのではないか、という場面が多いように見えるのである。まあ、漠然とした印象だが。これも「嘘」の一種だと私は思う。ストーリーのためのストーリー、ドラマのためのドラマ。額面以上に評価されすぎの作品だと思う。
ドラマはもともと作り事ではあるが、「合理性」や「自然さ」が無いと読者に「嘘だ」という印象を与えるのである。作り事だから嘘と感じるわけではないのだ。意図的に困難を作り出し、ではその困難をどう解決するか、という段になってとんでもない「デウス・エクス・マキーナ」が出てきたら、読者は腹を立てるわけである。


(以下引用)赤字部分はブログ筆者(私)による強調。



 羽海野チカは、ニコ・ニコルソン『マンガ道場破り・破』の中で、マンガ家にとって一番大事なことを「嘘をつかないこと」だと書いている。

 ニコ・ニコルソンが描いてきた原稿を直す際に、




「気の弱いこの子がここでこんなこと言うかなぁ…」

と疑問を呈する。ニコ・ニコルソンは、「でも話の流れ上、そうしないとバトルにならんので」と羽海野の疑問を退けようとする。羽海野の再反論。




「私なら… 最初から台詞の応酬を書いていって…


 『この子はこんな選択肢選ばないなぁ』となったら


 話の筋を変えるよ」

 これが羽海野のいう「嘘をつかないこと」、つまり「嘘の感情を描かない」ということであり、別の言い方をすれば、キャラクターをストーリーの従属物にしない、ということでもある。(ただ、ニコ・ニコルソンの『破』を読むと、別の作家は逆にストーリーを大事にしている方法を取っており、それは作家が選ぶ方法の一つに過ぎないのであろうが。)

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