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教師のような仕事は時として「他人の人生を狂わせる」指導を生徒にしてしまうことがある。
私も、昔予備校で生徒に個人的な進路指導(兼人生相談)を求められたことがあって、その時の回答でその生徒の人生を悪い方向に変えてしまった可能性があるのではないか、ということは繰り返し私を後悔させる。それが自分の人生なら、自業自得であり、何の後悔もないが、他人の人生を変えた場合、取り返しのつかない悪業をやったような不安がつきまとう。
教師でなくても、世間の多くの親は、自分の子供についてそういう後悔や不安を持たないだろうか。

(以下引用)

kamayan1192
@kamayan1192
大学時代の後輩の創作者才能をうっかり潰してしまったのではないかと、自責の念がある。 すまなかった。 色々、自分の当時について言い訳したいが、彼の人生には災厄なだけの雑音だ。 申し訳なかった。
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これは、復元する側の人々の神経が凄いと思う。自分(たち)はダビンチ以上の能力を持っている、と自己認識しているわけだから。こういうのは一種の「進化論」主義者なのだろう。現代は過去より進歩している、という認識だ。進歩しているのは一部の技術や知識であって、人間の才能自体が進歩しているわけではない。現代の思想家に孔子やブッダやソクラテスやキリストを超える思想家はいたか。単に先駆者だから有利だという問題ではない。現代においても哲学は彼らの思想を超えていないのだ。


きたがわ翔原画展2020ノスタルジア 大阪 10月23日~29日
@kitagawa_sho
作品復元プロジェクトというものがある。この本では年月が経ち保存状態が悪かったり未完成だったりする作品が多いダヴィンチを取り上げている。しかしどれも圧倒的に復元前の作品の方が良いと感じるのはきっと私の趣味だろう。他の画家のも見てみたい。
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まあ、現代では純文学でベストセラーという事例は滅多にないことからも、世間の平均的読解力水準や芸術理解力水準は分かる。世界文学の古典は「大衆文学」でもあったから評判になり、「純文学性」つまり、思想的な高さがあったから古典となったわけだ。DQN的な、趣味の低劣な人間が多い国なら、その国でベストセラーになるのは恥でさえあるだろう。


猪原賽【宇宙戦争 連載中】
@iharadaisuke
「なんでこんなつまらんマンガが売れてるんだろ」違います、あなたがその絵柄/キャラ/ジャンル/話が苦手、趣味に合わないだけで、合う人が多いのです。 「こんなマンガがトップかよ、俺がこの雑誌に持ち込んだら即入賞だな」違います、こんなマンガを好む読者が多い雑誌だからあなたは勝てません。
「in deep」の一節で「レギオン」という言葉が聖書のマルコによる福音書の中に出てくるということに関する記述である。

(以下引用)

先ほどの「マルコによる福音書」は、この映画の中に出てきて、当時聖書など知らない私は、この下りをこの映画ではじめて知ります。映画での場面の説明的に書きますと、以下のように出てきます。

エクソシスト3の場面より説明

老刑事が、悪魔的な殺人事件の現場で、「部分的に焼かれている聖書」を見つける。刑事は「聖書の焼かれている部分」に着目し、その部分を家にある聖書で読み直す。

刑事 「イエスは悪霊の取りついた男の名を聞かれた。その者は答えて言った。レギオン・・・大勢だから・・・」

刑事 「・・・大勢・・・・・」

このように、刑事は、

「大勢」

という言葉を呟くのですけれど、これが意味するところは、

「悪魔の代行者がこの世にはたくさんいる」

という意味でもあるはずで、つまり、

「この世は、悪魔の手先のような存在で満ちている」

と。

では、

「どのような存在が悪魔の手先なのか」

ということについて、エクソシスト3では明確に書かれているのです。それは、

「一般の人間」

なのです。

どんな人間なのかといいますと、その内容が、今のような時代には大っぴらには表現しにくいかと思いますが、

「心の弱い人間たち」

なのです。

エクソシスト3では、途中から精神病院が舞台になりますが、

・精神を病んでいる
・意志が弱い
・良心が弱い

というような人たちは容易に悪魔にコントロールされるというような雰囲気の描写が続きます。


(以上引用)

英和辞書でregionは「地方、範囲、領域」だが、regを語頭に持つ語の中でregiment「連隊、大勢」、あるいはregnant「統治する、優勢の、流行の」などが、「大勢の」のニュアンスを持つ言葉だろうか。
で、レギオンは悪魔そのものではなく、「悪魔に憑(と)りつかれた者」の意味があるかと思うが、ドストエフスキーの「悪霊」も、悪霊そのものを主題とするものではなく、悪霊に憑りつかれた者、つまりレギオンとしてのスタヴローギンを描いたものではないか。そのスタヴローギンは、能力的には何でも為しうる人間でありながら、「精神を病んでいる」「意思が弱い」「良心が弱い」ために、何事もなせず、ただ無力な幼女を犯すという最低の行為しかできなかった人間として描かれる。
神という存在が完全に否定された現代では、無数のレギオンが地上を埋めているかもしれない。

ただし、上で書いた「精神を病んでいる」は、現代科学の定義の上での精神病ではおそらくない、ということを一言しておく。これは理性的に、あるいは道徳的に健全さを失っている意味だろう。現代科学の「精神病」は単に社会的不適合を病気扱いする傾向が強い。これは金儲け至上主義の資本主義の帰結だろう。つまり、コミュ力が第一義である社会から「病気」として排除されるわけだ。昔なら「職人気質」だったものすら今では病気扱いである。
差別問題の難しさを明確に指摘したのが、次のコメントだと思う。ただし、これは差別そのものではなく、差別用語の問題だ。

1:差別の存在の問題
2:差別意識の問題
3:差別用語の問題

この3点ははっきり分けて検討していくべきだろう。
ただし、下のコメントの中の

まずは、その言葉の示す存在が劣等の存在であるという事を周知徹底して、それから、そういう言葉を使用することは差別的なのだと指導しなければならない。

の部分はむしろ差別を助長することになるし、コメント者は意図的にそれが分かっていてコメントしていると思う。それ自体、非常な問題行動である、と言えるだろう。

(以下引用)

2020/09/22(火)  
ある言葉が差別的であるためには、それが劣等的な存在であるという認識が前提になる。
それがないと、使った人間が、どうして差別なんだろうと疑問に思ってしまう。
まずは、その言葉の示す存在が劣等の存在であるという事を周知徹底して、それから、そういう言葉を使用することは差別的なのだと指導しなければならない。
そういう教育がないと、たとえば「ちび黒サンボ」の物語がどうしていけないのかが子供には理解できないだろう。



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