そごう・西武によると偽作の疑いがあるのは、日本画の巨匠、平山郁夫や東山魁夷、片岡球子の版画。
で、私が彼の漫画に感じた「面白くない」という気持ちを分析すると、それは端的に「ユーモアセンスが無い」に尽きると思う。優れた漫画家のほとんどは、シリアスな作風の人間(たとえばつげ義春など)でも、たまにユーモアを入れることがあり、その時には冴えたユーモアセンスを発揮するものだ。「李さん一家」のラストの「で、その一家がその後どうなったかというと」「今でも隣にいるのです」の強烈なズッコケ感は有名で、多くの漫画家に模倣されたものだ。
ただし、ユーモアが知性のレベルを示すと結論づけるのは短絡であり、他者を馬鹿にすればそれだけでユーモアだとされる「現代の笑い」が低レベルな笑いであることは言うまでもない。
結論としては、ユーモアが低レベルな漫画家は大物になれない、ということだが、たとえばゆうきまさみのようにデビュー時はさほど冴えたユーモア感覚が無くても(というより、笑いが楽屋落ち的で嫌みでも)、一部のマニアにはウケ、長年のうちにそのユーモア感覚が進化して優れた漫画家になる例もある。楽屋落ちというのは、作品世界をメタ視点で見る姿勢だから、しばしばかなり嫌みになるのである。たがみよしひさなどがその例だろう。
(以下引用)絵のコピーはできなかったが、要するに「銀河皇帝」が和風のお大尽の衣装を着ているのが「面白いだろ?」ということである。まあ、低レベルのユーモアである。
自分で描いておいてバカみたいですが、30年以上昔描いた『エルフ・17』の銀河皇帝の衣装を久々に見て「くす」とか笑ってました。この原画もヤフオクで落札されましたので、もうすぐ我が家を旅立ちます。
立川談志を神格化する人は多いが、噺家としてよりも、「落語論者」として評価されている面が大きい気がする。
彼の落語は一度、途中までしか聞いたことがないが、枕が長くて、その内容もつまらなかった記憶がある。本などで見るその落語論も、さほど感心はしないが、「落語はこのままだと絶滅する」という意識は、他の落語家にはあまり無かったと思われるし、その後の落語の衰退を見ると、その点では落語界にとって貴重な存在ではあったと思う。
ただし、落語の本質を「人間の業の肯定である」としたことはまったく感心しない。「業」という仏教語で意味ありげに見せているだけである。
落語とは単に「聞き手を笑わせる芸」でしかない、と覚悟するのが本当の落語家だろう。そして、そういうはかない、時として他人の軽蔑の対象になる商売を一生の仕事として選んだことは落語家の業ではあっても、落語そのものの本質ではない。人が転ぶだけでも笑いは生まれるし、その笑いと落語の笑いに本質的な差はない。幼児でも子供でも笑うレベルのものを、いかに磨き上げるかというところに落語家の苦悩があり、「業」があるのである。
(以下引用)
もっとも、昭和の一般人がどんな気持ちで談志師匠の落語を聴いていたのかを、私が正確に知っているわけではない。あの人のマクラの中で開陳される高飛車な断言に、私が個人として辟易していたということです。天下一品の語りの芸を、クソ生意気なマクラが台無しにしてる感じでしたよ。
ここでは、彼女の語感(音感)の素晴らしさを示す事例を挙げる。
「雨の音が聞こえる」は、それ自体、素晴らしいタイトルだが、これは八木重吉の詩の題名を借りたものだから、それ自体は措いておく。
ここで紹介するのは、この漫画に副題として付いている「ラ・レッセー・イデン」である。
私は、初読の時に、このフランス語めいた副題の意味は何か、とだいぶ考えたが、フランス語の辞書は持っていないので、調べることもできず、また持っていても綴りを知らないのだから調べられなかっただろう。だが、程なく、私はこれが大島弓子の冗談だと気付いたのである。
いや、私の間違いであるかもしれないが、これは、「劣性遺伝」に、フランス語の冠詞めいた「ラ」をつけてフランス語のように見せたイタズラだったと思う。
実際、この短編の内容は、劣性遺伝(こんな雑文に正確さを求める人はいないと思うが、念のために言えば、生物学的な意味の劣性遺伝ではなく、劣等な能力を遺伝したという意味である。)と、それに起因する劣等感の話なのである。その副題が「劣性遺伝」であるのは当を得ているのではないか。ただ、それが「劣性遺伝」の意味だと理解できた読者が何人いたか。そこが、高度なイタズラだと思う。ネット時代の今とは違い、この「発見」を公にする手段を持つ読者もほとんどいなかったのだから、いわば、描くと同時に消える絵具で描いた名画のようなものだ。誰に伝わらなくてもかまわないわけである。
それはともかく、ここで強調したいのは、大島弓子の音感の素晴らしさだ。日本語は語尾がほとんど母音になる特質がある。その例外の語尾が長音と撥音である。「劣性」の語尾を長音にして「レッセー」としたら、「遺伝」の語尾は撥音であるから、「レッセー・イデン」は日本語らしさを持たない言葉になる。そこに、フランス語の冠詞めいた「ラ」を付ければ、これをフランス語だと思うのは自然の成り行きである。実に高度な言語操作だと思う。
偽作疑いは平山郁夫、東山魁夷らの版画
「陰謀論」という言い方でこの手の言説を無視する馬鹿が非常に多いのだが、近現代史を少しでも知っている者なら、陰謀こそが歴史の主役である、という考えになるはずで、しかもここに書かれていることはすべて事実である。それを「陰謀論」として無視する人間は、まあ、たいていは社会的にある程度の地位にあって、社会の「陰謀」が暴露されたらその地位を失う可能性があるわけだろう。
(以下引用)
西側ではロシアの「民主派」として宣伝されているアレクセイ・ナワリヌイがロシアへ戻り、拘束されたが、ナワリヌイの側近がイギリスの外交官と接触、不安定化工作について話し合う様子が撮影され、それをロシアのメディアが放送した。相手のイギリス人はMI6(イギリスの情報機関)の人間だと見られている。
ナワリヌイはエール大学の奨学生となり、同大学で学んでいるが、その手配をしたのはマイケル・マクフォール。バラク・オバマが大統領だった2010年8月、ムスリム同胞団を使って中東から北アフリカにかけての地域でアメリカ支配層にとって目障りな体制を転覆させるためにPSD-11を承認したが、その計画を作成したチームのひとりがマクフォール。
この人物は2012年1月に大使としてモスクワへ着任するが、その3日後にロシアの反プーチン派NGOの幹部が挨拶に出向いている。その年の2月にはロシアで大統領選挙が予定されていて、その選挙に対する工作を指揮することがマクフォールの任務だったと考えられている。
NGOの中には「戦略31」のボリス・ネムツォフとイーブゲニヤ・チリコーワ、「モスクワ・ヘルシンキ・グループ」のレフ・ポノマレフ、選挙監視グループ「GOLOS」のリリヤ・シバノーワらがいた。
戦略31はNEDから、モスクワ・ヘルシンキ・グループはNEDのほかフォード財団、国際的な投機家であるジョージ・ソロス系のオープン・ソサエティ、そしてUSAIDから、GOLOSもやはりNEDから資金を得ている。
CIAには秘密工作を実行するための資金を流す仕組みが存在する。定番のルートがNED(国家民主主義基金)やUSAID(米国国際開発庁)だ。NEDは1983年にアメリカ議会が承認した「民主主義のための国家基金法」に基づいて創設された組織で、政府から受け取った公的な資金をNDI(国家民主国際問題研究所)、IRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターへ流しているのだが、そうした資金がどのように使われたかは議会へ報告されていない。CIAの活動内容を明らかにすることはできないからだ。USAIDもクーデターや破壊活動などCIAの秘密工作で名前が出てくる。
アメリカの私的権力は1991年12月のソ連消滅で自分たちの国が唯一の超大国になったと考え、他国に配慮することなく侵略戦争を行い、世界を制覇できると考えた。そして作成されたのがウォルフォウィッツ・ドクトリンだが、そのプランは21世紀に入って大きく揺らぐ。ウラジミル・プーチンを中心とする勢力がロシアを曲がりなりにも再独立させることに成功したのだ。
ロシアでナワリヌイは支持されていないが、西側ではロシアに対する攻撃を正当化するために利用されている。大多数のロシア人には相手にされない戯言でも西側では信じる人が少なくないだろう。
イギリスのロシアに対する工作は遅くとも20世紀の初頭から行われている。例えばイギリス外務省は1916年にサミュエル・ホーアー中佐を中心とするMI6のチームをロシアへ送り込んでいる。その中にステファン・アリーとオズワルド・レイナーが含まれていた。
アリーの父親はロシアの有力貴族だったユスポフ家の家庭教師で、アリー自身はモスクワにあったユスポフの屋敷で生まれている。レイナーはオックスフォード大学時代からフェリックス・ユスポフの親友。イギリスはロシアをドイツとの戦争に引きずり込もうとしていた。
ロシアの産業資本やユスポフは戦争に賛成していたが、皇后やグレゴリー・ラスプーチンという修道士は戦争に反対、ラスプーチンはイギリスにとって邪魔な存在だ。ラスプーチンの背後には大地主がいた。
そうした対立の中、皇后は1916年7月13日にラスプーチンへ電報を打つが、それを受け取った直後にラスプーチンは見知らぬ女性に腹部を刺されて入院。8月17日に退院するが、その前にロシアは参戦していた。
そして1916年12月16日、ラスプーチンは暗殺される。川から引き上げられた死体には3発の銃弾を撃ち込まれていた。最初の銃弾は胸の左側に命中、腹部と肝臓を貫き、2発目は背中の右側から腎臓を通過。3発明は前頭部に命中し、これで即死したと見られている。暗殺に使用された銃弾はイギリスの軍用拳銃で使われていたものだ。
暗殺したのはユスポフを中心とする貴族グループだとされているが、このグループはMI6のチームと接触していた。イギリスのお抱え運転手だったウィリアム・コンプトンの日記によると、彼はレイナーをユスポフの宮殿へ1916年の10月の終わりから11月半ばにかけて6回にわたり運んだという。またユスポフは1916年12月19日にレイナーと会ったと書き残している。(Joseph T. Fuhrmann, “Rasputin,” John Wiley & Son, 2013)
ロシアでは1917年3月に二月革命があり、大地主は権力の座から陥落して産業資本家を後ろ盾とする臨時革命政府が成立した。この政府は戦争を継続、ドイツは両面作戦を続けなければならなかった。そこで目をつけたのが即時停戦を主張していたボルシェビキだ。
二月革命に際、ボルシェビキの指導者は国外に亡命しているか、刑務所に入れられていて、例えば、レーニンはスイスにいた。そうしたボルシェビキの幹部32名をドイツは「封印列車」でロシアへ運んだ。レーニンが帰国したのは1917年4月。その後、紆余曲折を経て11月の十月革命でボルシェビキ政権が誕生、ドイツとの戦争を止める。
しかし、ドイツ軍は迅速に部隊を西側へ移動させられなかったことから1918年11月には敗北する。その3カ月前にイギリス、フランス、アメリカ、そして日本などはロシア(ソ連)に軍隊を派遣して干渉戦争を始めた。
そうした経緯があるため、その後もドイツとソ連との関係は悪くなかった。ボルシェビキと米英の金融資本を強引に結びつけようとする人びとがいるが、それよりはるかに強くユニポフを中心とするロシア貴族やケレンスキーの臨時革命政府は結びついていた。この結びつきを現在の西側を支配している勢力は秘密にしたがっている。
ソ連とドイツとの関係を破壊したのはアドルフ・ヒトラーだ。第2次世界大戦でドイツ軍はソ連へ攻め込むが、スターリングラードでの戦闘で大敗、その直後からウォール街の大物、つまりアレン・ダレスたちとナチスの幹部は接触を始め、善後策を協議している。
アレン・ダレスが君臨していたCIAが世界各地で買収、恫喝、暗殺、クーデターを含む秘密工作を展開してきたことは広く知られている。ダレスが死んだ後も変化はなく、秘密工作の一端は1970年代にアメリカ議会でも明らかにされた。今でもロシアや中国は勿論、中東、東南アジア、東アジア、ラテン・アメリカ、アフリカなど全世界が活動の舞台だ。
CIAは第2次世界大戦中に活動していたOSS(戦略事務局)の後継機関として設立された。OSSは1942年6月にウォール街の弁護士だったウィリアム・ドノバンを長官として創設されたが、そのモデルはイギリスの機関だった。特殊工作はSOE(特殊作戦執行部)、通常の情報活動はMI6に基づいて組織されている。
ドノバンは巨大化学会社デュポンの顧問弁護士を務めていたが、その時の同僚弁護士のひとりがアレン・ダレス。この関係でドノバンはダレスををOSSへ誘い、特殊工作を担当するSOを指揮させた。それ以降、ダレスはアメリカにおける秘密工作のトップとして君臨する。この時からアメリカの情報機関は金融資本と緊密な関係を維持している。
SOEは1940年にイギリスの首相だったウィンストン・チャーチルの命令で創設され、初代長官は保守党の政治家だったフランク・ネルソンが選ばれた。1942年に長官はチャールズ・ハンブローに交代するが、この人物はハンブロー銀行の人間だ。チャーチルは親の代からロスチャイルド家と緊密な関係にあるが、ハンブローとも親しかった。
大戦後、OSSは廃止される。アメリカでは平和時に情報機関を持つべきでないとする意見があったが、情報の収集と分析だけにするという条件で1947年7月にポール・ニッツェの執筆した国家安全保障法が発効、9月にCIAは創設された。
大戦中の1944年、イギリスのSOEとアメリカのSOは西ヨーロッパでドイツ軍と戦っていたレジスタンスに対抗するため、ジェドバラというゲリラ戦の部隊を編成する。レジスタンスの主力はコミュニストだったからである。後にベトナム戦争で住民皆殺し作戦のフェニックス・プログラムを指揮、CIA長官にもなったウィリアム・コルビーもジェドバラに所属していた。
大戦後にジェドバラも廃止されるが、メンバーの一部は軍の特殊部隊へ流れるが、破壊活動を目的して秘密裏に組織されたOPCの幹部にもなる。この機関は1950年10月にCIAと合体、その翌年の1月にアレン・ダレスが秘密工作を統括する副長官としてCIAへ乗り込んだ。OPCが核になって1952年に作られたのが計画局である。
この部署はCIAの「組織内組織」になり、今ではCIAを乗っ取ったような形。さらに国務省など政府内に触手を張り巡らせ、政府の外部にも「民間CIA」のネットワークが存在するが、その頭脳は今でもウォール街にあるはずだ。