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私は、子供のころに「てりゅうだん」という読み方を聞いた時に、それは間違いだろう、と思ったのだが、旧日本陸軍や自衛隊ではそれが当たり前の読み方らしい。
なぜ「てりゅうだん」という読み方を奇異に感じるのかと言うと、「て」は訓読み、「りゅうだん」は音読みという湯桶読みで、そういう読み方の熟語は少ないからである。「湯桶(ゆとう)」にしても、本来は「ゆおけ」でいいはずだ。
ただ、専門家集団というのは一般社会とは違う「専門語」をわざわざ作る傾向があり、軍隊の独自用語もそれだろう。いわゆる「ジャーゴン」である。医療用語や科学用語、英文法用語などもジャーゴンだらけだ。要するに、素人の目に不可解なものにし、内部の汚い事実を隠し、外部には偉く見せるためである。

なお、「手榴弾」は「榴弾」が先に存在し、手で投げる榴弾だから「手投げの榴弾」ということで「て・りゅうだん」でいいのだ、という理屈は可能である。しかし、マスコミは文系秀才が多いから、その「湯桶読み」を奇異に感じ、「しゅりゅうだん」と呼んできたのだろう。


(ウィキペディアより転載)

日本での呼称[編集]

現在、日本では手榴弾をマスコミのみが「しゅりゅうだん」または「てなげだん」と呼称し、名称が統一されていないが、日本軍や自衛隊では手榴弾は一貫して「てりゅうだん」と呼称される。

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井沢元彦の「逆説の日本史」の中に「封建制(地方分権制)」と書かれているのを見て、あっ、封建制というのは単純化すれば地方分権制なんだな、と気づき、そうなるとアメリカ合衆国というのは「アメリカ合州国」というべきだ、と言われるように(名前も「ユナイテッドステイツ」つまり、州を結んでできた国である。)中央による各州の統制が小さいのだから、実は現代の封建制国家と見做せるのではないか、と思った。封建領主というのが国王によって任命される(封ぜられる)のに対して、各州の人民が選挙で選んで封じるという違いがあるだけで、内実は「封建制」である国もあるわけだ。
では、日本の各県もそれぞれが独自に地方自治を行っているのだから、「封建制国家」と見做してもいいのではないか。もちろん、中央による統制の必要な部分はあるが、それはどこまで認めるべきかは議論の余地があるだろう。たとえば、県民の大半が反対しているのに沖縄に新基地を作ることに関しては、それは中央の権利なのか、議論していい。そもそも、日本全土にわたって人民の生活のすべてを支配する中央集権の強大さを国民は望んでいるだろうか。
例によって、構想も何も無しに、思いつくまま書きながら考える。
思索のテーマは「ポエジー」とは何か、である。

或る情緒が詩的であると感じるのはなぜか、どういう物事を我々は詩的と感じるかという考察だ。

これには、詩そのものよりも、「詩情を感じさせる映画」「詩情のまったく無い映画」などから考察するのがいいかと思う。
たとえば、「第三の男」などは、詩情性が高いからこそ多くの映画ファンに愛され、名画とされたと思う。単にストーリーだけなら凡百のスリラー映画やサスペンス映画と異なることは無いだろう。一方、最近のハリウッド映画には詩情を感じさせる映画は極端に少ない。これはファンがそれを求めていないのではなく、作り手側が詩情というものを認知する能力が無いのだと思う。70年代くらいまでのハリウッド映画には詩情が存在したのである。これは映画音楽との関連もある。映画音楽がロック系統になると、詩情も糞もなくなり、アクション一辺倒になる。例外は「ジーザス・クライスト・スーパースター」くらいではないか。この場合は題材が題材だから、ロックとの落差で逆に部分的に詩情が際立ったとも思える。

では、詩情とは何か。仮説を立ててみる。
「晴れた天気」と「曇り空」と「雨降り」と、どれが一番詩情があるだろうか。これは異論もあるだろうが、私は「雨降り」「曇り空」「晴れ」の順だと思っている。木々の葉から雨の滴がしたたり落ちるさまは実に詩情がある。たとえば新海誠の「言の葉の庭」はそれだけを映画にしたようなアニメである。一方、雲一つ無い快晴の空は気持ちいいが、詩情はさほど無い。強いて詩情らしいのを言えば、深い青い空の中に一種の深淵を感じるくらいだろうか。
「第三の男」のラストシーンで、道の傍で女を待っている男に、女は目もくれず歩み去っていく。男は、何かを噛みしめるようにゆっくりと煙草を吸う。そして男の姿が小さくなって風景の中に飲み込まれ、映画が終わる。まさに、人生の悲哀を凝縮したシーンである。愛する女に愛されない悲しみ。いろいろと献身したつもりの女にむしろ憎悪され無視され去られる悲しみ。愛する価値の無い男(ハリー・ライム)を愛する女という不条理。言葉にはならなくても、観客はそれらの感情を感じ取り、そこに詩情を感じたのである。
さて、詩情とは何か。「悲哀感」に似ている。しかし、悲哀感のようなマイナスの気分とも少し違う。人生の悲哀、あるいは閉塞された状態に対し、それをむしろ肯定し美化的に眺めるもの、という仮説をここで提出しておく。
例えば雨によって自分は今いる場所からほとんど動けない。外の雨を眺めるしかない。しかし、眺めてみると、木々の葉から滴り落ちる雨の粒は宝石のように美しい。その美しさ(の認知)は、自分が置かれた閉塞的状況がもたらしたものでもある。
恋愛が大成功した状況には詩情は無い。失恋にこそ詩情がある。
いわば、芭蕉の「わび・さび」のようなもので、この世界のマイナスとされる事柄の中に美を見出す高度な心的姿勢が詩情の正体ではないか、というのが私の仮説である。
まあ、これはあまりに単純化しすぎていそうだから、特に強弁はしないが、詩情についての一考察である。

















このところ日露戦争やその関連で日清戦争のことなどの本を少し読んでいるのだが、その感想を少し書いておく。
特に面白かったのは戸川幸夫の「明治の気概」という小説で、小説と言うよりほとんど事実に基づいた内容だと思われる。戸川幸夫は動物文学で有名だが、ファンタジー系の動物文学ではなくリアリズム重視の作風だから、人事を描いても事実を重視するのだろう。
日露戦争の細部を知る上で役に立ったのは、太平洋戦争研究会という集団が書いた「(キーワード)日露戦争と明治日本」という本で、コンビニなどで売っていそうな豆知識本に見えるが中味は相当に充実している。ただ、地図が少ないので、戦争の状況がイメージしにくい。人物の写真などより地図や戦争要図(略地図)の見やすいものを載せてほしかった。
日露戦争の地理的把握という点で役に立ったのは中公新書の横手慎二著「日露戦争史」に載っていた「日露戦争要図」である。この本は日露戦争に至るまでの日露の政治的状況を詳しく書いているところもいい。
何しろ、遼陽とか奉天とか言われても、アジア大陸のどのあたりか私には分からなかったのであり、大多数の日本人はそうなのではないか。そもそも満洲がどのあたりにあり、そこがなぜ問題視されたのか、現代の人間には分からない。高校や中学で日露戦争を習う生徒たちも同じだろう。
黄海海戦の黄海とはどこかも分からないし、対馬海戦の対馬がどういう位置にあるのかも分からない。朝鮮半島の地形もさっぱり分からず、山や平野や川の位置も分からない。
こんなことなら中学校や高校で購買させられた地図帳を大事に取っておくのだったと思っても、その当時は地理などにまったく興味は無かったのだから入試が終わると即座に捨てたのも当然である。
とにかく、歴史は地理や政治経済と同時に学ばないとまったく意味も分からないしイメージ化もできない。それが社会科教育の根本欠陥だろう。授業の時には参考資料が机の上に数冊置いてあるというのが社会科の授業であるべきだ。
まあ、今の子供たちはウィキペディアがあるだけマシであるが、授業中にネットで調べていいという教師はまずいないだろう。それをやったら、自分がいかに無知でいかにいい加減なことを教えているか生徒たちに即座に知られてしまうからである。


簡単に日清日露戦争の総括をしておけば、この両戦争は太平洋戦争とは異なり、「日本が近代国家(先進国家)の仲間入りをするためには」避けられない戦争だったと思う。もちろん、近代国家にならなくてはいけないということもないので、その意味では不要な戦争だっただろう。しかし、当時の日本の政治家や軍人たちは、日本が近代化し国力(軍事力)を増進しないと欧米大国によって植民地化されるという恐怖は大きかったと思うし、また実際そうなる可能性は大きかったと思う。

では、この両戦争に踏み切ったその判断は正しかったか、と言えば、私は疑問に思う。

たとえ一時的に植民地化されても、日本人の知的水準ならやがて独立することも可能だったのではないか。結局、この両戦争で国民(日本だけでなく朝鮮や中国やロシアの国民)の払った犠牲の大きさを考えれば、それは欧米の植民地になることによるマイナスよりマシだったかどうか分かったものではない。しかも、それは戦争に勝った上での話であり、負けていたらどうなっていたことか。結果が良かったから日清日露戦争に踏み切ったのは正解だ、とは言えないだろう。そういうのをまさに結果論と言うのである。

この両戦争に勝った結果野放図に膨れ上がった日本の軍人の夜郎自大体質がやがて日本を太平洋戦争の泥沼に引きずり込んでいったのは誰でも知っていることである。一時の勝利(成功体験)は、未来の危険の種なのである。










3世紀くらいから7世紀くらいまでの日本は朝鮮半島より文化的政治的後進国であったことは確かだろう。となれば、朝鮮半島からの渡来人が日本の政治世界で高い地位に上るのは理の当然だったわけだ。つまり、東大やハーバード(まあ、この二つを同列にしていいか疑問だがwww)を出た人間が重用されるのと同じである。しかもその時代は学歴時代ではなく、実力時代だからこそ、文化的政治的先進国で厳しい現実と戦ってきた人間が田舎の馬鹿たちを圧倒するのは当たり前の話である。しかも、先進国の武器作りの知識もあり、文化的知識もあるとなれば、高い地位に上らないほうがおかしい。とすれば、そこから王位に就く人間も当然出てくるわけだ。まあ、「鳥無き里の蝙蝠」という話である。
そして、渡来人というのは、故国で失敗した人間であるというのは、今の時代で田舎に行く都会人のほとんどが都会での失敗者であるのと同じだ。もっとも、失敗とは言っても、政治的敗北や戦乱の結果だろう。言ってみれば、「亡命者」である。
そういう人々にとっては、日本のような「ど田舎」に行くこともそこで生涯を送ることも残念無念なことだったと思うが、その反面、そこでは(文化的差異のために)最初からチートとして生き直すことができたわけで、素晴らしい運命だと見做すこともできたのだ。

小林恵子氏の「ふたつの顔の大王」は、古代の日本の大王の多くは実は朝鮮半島その他の渡来人であり、しかも故国でも日本でも王位に就いたのだ、としていて、あまりにも奇想が過ぎると思わないでもないが、日本書紀などの記述が天武以降の「皇室による荘厳化と自己正当化」の記述が相当入っているだろうという当たり前の推定を前提とすれば、実はどのような推測も可能になり、その推測の是非を決めるのは推測内容の合理性と幾つかの資料との間の整合性しかないのである。
ある研究(コンピューターシミュレーション)によれば、弥生時代から7世紀までの1000年間に渡来した帰化人の数は数十万人から百万人に達すると言う。しかも、恐らくそのかなりな割合が古代日本の「上級国民」になっただろうというのは、最初に書いた通りだ。とすれば、古代日本こそ実は「(東)アジア内グローバリズム」の時代だったのであり、くだらない日本国粋主義はせいぜいが幕末の尊皇攘夷思想あたりから始まったファナチシズムにすぎないのではないか。そもそも、現日本人のかなりな割合が帰化人の子孫であるのは明白なのである。しかもそれは上級国民ほどそうだと推定されるのだ。
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