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小田嶋隆のツィートである。
立川談志を神格化する人は多いが、噺家としてよりも、「落語論者」として評価されている面が大きい気がする。
彼の落語は一度、途中までしか聞いたことがないが、枕が長くて、その内容もつまらなかった記憶がある。本などで見るその落語論も、さほど感心はしないが、「落語はこのままだと絶滅する」という意識は、他の落語家にはあまり無かったと思われるし、その後の落語の衰退を見ると、その点では落語界にとって貴重な存在ではあったと思う。
ただし、落語の本質を「人間の業の肯定である」としたことはまったく感心しない。「業」という仏教語で意味ありげに見せているだけである。
落語とは単に「聞き手を笑わせる芸」でしかない、と覚悟するのが本当の落語家だろう。そして、そういうはかない、時として他人の軽蔑の対象になる商売を一生の仕事として選んだことは落語家の業ではあっても、落語そのものの本質ではない。人が転ぶだけでも笑いは生まれるし、その笑いと落語の笑いに本質的な差はない。幼児でも子供でも笑うレベルのものを、いかに磨き上げるかというところに落語家の苦悩があり、「業」があるのである。


(以下引用)

もっとも、昭和の一般人がどんな気持ちで談志師匠の落語を聴いていたのかを、私が正確に知っているわけではない。あの人のマクラの中で開陳される高飛車な断言に、私が個人として辟易していたということです。天下一品の語りの芸を、クソ生意気なマクラが台無しにしてる感じでしたよ。




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