持明院統と大覚寺統という名前の由来は下の回答にある通りだろうが、その寺自体、現存していないだろうから、イメージが湧かない。後深草統、亀山統と呼ぶべきではないのか。なぜ、御所の名前を二つの皇統の名にする必要があるのか、理解できない。
暗記するなら「(南・)90・亀山・大覚寺」と、一方を中心に(強調して)覚えるといいかもしれない。「北・89・後深草・持明院」よりは語呂がいい。(下の記述の順序どおり、持明院統が北朝としての話である。)
(以下引用)
88代の後嵯峨天皇の子の89代後深草天皇(持明院統))と90代亀山天皇(大覚寺統)が退位後に御所とした寺院の名前に由来します。二つの皇統で後継者争いが起きて幕府の調停で交互に天皇を出すようになり、これが後に北朝と南朝に分裂します。
暗記するなら「(南・)90・亀山・大覚寺」と、一方を中心に(強調して)覚えるといいかもしれない。「北・89・後深草・持明院」よりは語呂がいい。(下の記述の順序どおり、持明院統が北朝としての話である。)
(以下引用)
88代の後嵯峨天皇の子の89代後深草天皇(持明院統))と90代亀山天皇(大覚寺統)が退位後に御所とした寺院の名前に由来します。二つの皇統で後継者争いが起きて幕府の調停で交互に天皇を出すようになり、これが後に北朝と南朝に分裂します。
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