忍者ブログ
[1422]  [1421]  [1420]  [1419]  [1418]  [1417]  [1416]  [1414]  [1413]  [1412]  [1411
メモだが、あまり長期にわたってブログを書かないと勝手に宣伝が入るので、その予防でもあるwww
今、松本清張の「点と線」を読んでいるが、私が清張の現代小説に関して持っていたイメージとは異なり、さほど陰鬱さは無く、純粋に推理の問題を扱っていて読み応えがある。
ただ、根本に「作家の騙し」があると思う。
推理小説自体が「騙し」のジャンルなのだが、この作品では「作品の鍵となる謎」よりも、「書かれていない部分の謎」がはるかに重要性を持っているように思われる。
つまり、「犯人のアリバイ崩し」が「メインの謎」なのだが、それよりも「殺人自体の謎」の方がはるかに不自然なのである。それは「アリバイ崩し」は「アリバイの不自然なところを追求していくことで達成できる」という事実(あるいは法則)から少し視点を変えて、「作品自体の比重の不自然さ」を感じたからである。先に言えば、アリバイ工作というのは必ず人工的なのだから「不自然」なのが当然で、問題はその不自然さに捜索者が気づくかどうかである。だが、作品全体として「ほとんど無視されている」謎には読者は気づきにくい。
「点と線」の場合は、「心中遺体」の「自殺」手段が不自然だ。青酸カリを飲んだ遺体が二つ並んでいて、その傍らに青酸カリの入ったジュースの瓶があったなら、それは「心中」と見ていい。しかし、それが「他殺」だとしたら、これは不可能なのではないか。つまり、一方がジュースを飲んで苦しんだり即死したりしたら、もう一方にそのジュースを飲ませることは不可能だろうからだ。とすると、この「心中事件」は他殺ではなく本当に心中だったということになる。そうすると、本書の土台となっている「アリバイ崩し」自体がまったく無意味な行為となるのではないか。
まあ、まだ全体の8割くらいしか読んでいないので、作者がどういう結末をつけるか楽しみである。
なお、私は松本清張を「日本のバルザック」だと思っており、彼が推理小説作家として出発したため正当な評価を受けていないのは悲劇だと思っている。
PR
この記事にコメントする
color
name
subject
mail
url
comment
pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
P R
忍者ブログ [PR]

photo byAnghel. 
◎ Template by hanamaru.