「silverfish files」という読書感想ブログの記事の一部で、ディッケンズの「大いなる遺産」のラストの一文の解釈だが、翻訳者の訳もブログ筆者の訳も間違いだと思う。
私の解釈(訳)は
「(彼女の別れ方には)それ以外の別れ方もあるという陰影は見えなかった」
である。partingを「別れ」とせず「別れ方」と考えれば簡単である。なお、この記述の後で、ディッケンズが原作を出版した時の初版の最後のシーンが書かれているが、それがまさしく私の上記の内容なのである。つまり、第二版以降に曖昧な表現に改悪したのだろう。
(以下引用)
そして物語のラストシーン。40近くなったピップとエステラは、ミス・ハヴィサム邸の廃墟で偶然再会する。二人ともさんざん辛苦をなめた後である。エステラにもかつてのとげとげしさはないが、毒気と一緒にバイタリティまで抜けてしまっている。ピップに対し「離れ離れになってもいつまでも友達でいましょう」なんて言う。もう別れる気があからさまである。だがエステラへの想いが捨て切れてないピップには、「再びエステラと別れるという陰影は少しも見あたらなかった」。
これがこの長編の最後の文章。なんだかわかったようなわからないような文章だが、原文は、"I saw no shadow of another parting from her."。つまり、「またエステラと別れることになるとは、全然思えなかった」という意味だろう。だが、それはあくまでピップがそう感じているにすぎないのだ。
私の解釈(訳)は
「(彼女の別れ方には)それ以外の別れ方もあるという陰影は見えなかった」
である。partingを「別れ」とせず「別れ方」と考えれば簡単である。なお、この記述の後で、ディッケンズが原作を出版した時の初版の最後のシーンが書かれているが、それがまさしく私の上記の内容なのである。つまり、第二版以降に曖昧な表現に改悪したのだろう。
(以下引用)
そして物語のラストシーン。40近くなったピップとエステラは、ミス・ハヴィサム邸の廃墟で偶然再会する。二人ともさんざん辛苦をなめた後である。エステラにもかつてのとげとげしさはないが、毒気と一緒にバイタリティまで抜けてしまっている。ピップに対し「離れ離れになってもいつまでも友達でいましょう」なんて言う。もう別れる気があからさまである。だがエステラへの想いが捨て切れてないピップには、「再びエステラと別れるという陰影は少しも見あたらなかった」。
これがこの長編の最後の文章。なんだかわかったようなわからないような文章だが、原文は、"I saw no shadow of another parting from her."。つまり、「またエステラと別れることになるとは、全然思えなかった」という意味だろう。だが、それはあくまでピップがそう感じているにすぎないのだ。
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