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ここは解説の通り、儒教を基本とする朝廷が法治思想を否定する意図だろう。
政府が法治主義を否定するというのは政府体勢自体の否定になるわけで、奇妙に聞こえるが、実は「徳治主義」は「グレーゾーンを利用して(人々が勝手に忖度することで)世を治める」思想でもあり、「情義」を優先するという名目なら自分たちの恣意的な行為に何とでも理屈はつけられるわけだ。そして、儒教の先祖崇拝は、皇室絶対主義の土台にもなるわけである。
武烈天皇というのはこの後ほとんど「狂王」に近い描写をされるのだが、その最初に「刑理を好んだ」と書いてあるのは、「これからは儒教で行くぞ」という政治的意図がはっきりとあるかと思う。
もちろん、儒教は素晴らしい部分も多いが、その政治利用は「法治の否定」になるわけで、まさに「人治主義」、つまり、為政者の恣意ですべてが決まる危険性もある。


武烈天皇(一)法令に明るく、残虐な人物

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原文

小泊瀬稚鷦鷯天皇、億計天皇太子也、母曰春日大娘皇后。億計天皇七年、立爲皇太子。長好刑理、法令分明。日晏坐朝、幽枉必達、斷獄得情。又、頻造諸惡、不修一善。凡諸酷刑、無不親覽。国內居人、咸皆震怖。

現代語訳

小泊瀬稚鷦鷯天皇(オハツセノワカサザキノスメラミコト)は億計天皇(オケノスメラミコト=仁賢天皇)の太子です。母は春日大娘皇后(カスガノオオイラツメノキサキ)といいます。億計天皇が即位して7年に皇太子になりました。成長して刑理(ツミナエコトワルコト=罪人を刑罰に処して、理非を判定すること)を好みました。法令(ノリ)をよく分かっていて、裁定は明確でした。日が暮れるまで坐朝(マツリゴトキコシメシ=政務をすること)て、幽枉(カクレタルコト=無実の罪)も必ず見抜いてしまいました。獄(ウタエ=訴え)を断っても、情(マコト)は得ていました。また、頻繁に諸悪(モロモロノアシキコト)を造作しました。一つも善(ヨキコト)を修めませんでした。おおよそ全てのもろもろの酷刑(カラキノリ=極刑)を閲覧しないということはありませんでした。国中に居る人はみな、震えて恐れました。
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解説

このページの文章の前半と最後の間にある人物評価の差が酷いですよね。どうして、まじめに政務し法令を理解し、裁定は明確で無実の罪を明らかにするような天皇が、「諸悪を造作し」「善いことは一つもしない」となるのでしょうか?
儒家と法家
現在の中国と韓国は儒教の国です。儒教では道徳が重んじられます。道徳が重んじられるというのは、どういう意味かというと「法律が軽んじられる」ということです。儒教の「論語」にはこういうお話があります。
孔子がある国に招かれました。
その国の王が孔子に言いました。
「わたしの国には親の窃盗の罪を役所に申告するような正直な子がいる。すごいだろう?」
すると孔子は言いました。
「それは正直とは言いません。
本当の徳というのは親の罪は隠すものです」

窃盗は社会的には罪です。どの国の法律でも禁じられています。だから親だろうが、何だろうが罪は罪ですから、申告しないといけません。ところが孔子は「親を庇う」という道徳が法律より優先される、と主張するのです。これは「法律で人を縛るのではなく、道徳が人を動かす社会が理想である」という意味であって、法律を無視するべきという意味では本当はないのですが、法律が軽んじられているのは事実なんですね。
だから儒教では法律は「道徳を補助するもの」という立場なんです。法律を全否定はしないけど、あくまで補助。それに対して「法家」は曖昧な道徳ではなく「法律」によって国を治めるというのが理想です。これは現在の法治主義と同じものです。

徳治主義から見ると、法治主義ってのは「冷たい」「残虐」なんです。だって親の罪を役所に密告するのが「当たり前」の社会ってのは「冷たい」でしょう? 武烈天皇は極刑を全部見たと書いてありますよね。法律で、コレコレの罪を犯したら極刑となっていたら、もう極刑にしないといけないんです。それを最後まで見とるというのも、責任の取り方であって、それを残虐と取るべきかは何とも言えないのですが、少なくとも儒教から見ると残虐なんです。
秦の始皇帝
法家の法治主義は始皇帝の秦のときに採用されました。ところが秦はすぐに崩壊。すぐに法治主義から徳治主義に戻ったわけです。これ以降現在に至るまで中国は「徳治主義」です。すると儒教はこの始皇帝を徹底的に否定します。始皇帝は冷たく残虐だったと書き残したわけです。なにせ憎い法治主義ですからね。この始皇帝に対する憎しみと、武烈天皇の人物評は非常に似ています。

そういうことを考えると武烈天皇は「法治主義」を掲げて中央集権を図った人物ではないかと思われます。
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