銅剣・銅矛は後期には巨大化し、非実用性が際立つために、考古学上は祭具として見做されることが多いようだが、もちろん最初は実用的な武具だったはずである。おそらく、剣と言うよりは短剣だったのではないか。古代ローマの兵士が使ったのも短剣であり、戦では銅剣は折れやすかったので短剣が広く使われたのだと思う。
下の記述にもあるように、すぐに鉄剣に取って代わられ、銅剣が使われた期間は短かったようだ。
銅鐸は何に使用されたかいまだに定説は無いようだが、初期には楽器で、後には祭具になったのではないか。大地神を鎮めるためかと思う。SF的には、異世界との交流のための器具と考えると面白い。
(以下引用)
下の記述にもあるように、すぐに鉄剣に取って代わられ、銅剣が使われた期間は短かったようだ。
銅鐸は何に使用されたかいまだに定説は無いようだが、初期には楽器で、後には祭具になったのではないか。大地神を鎮めるためかと思う。SF的には、異世界との交流のための器具と考えると面白い。
(以下引用)
日本の銅剣[編集]
日本における銅剣は、弥生時代の初期に大陸より伝来といわれている。伝来時の銅剣は、細身で鋭いデザインである。日本考古学では初期のものが武器として考えられ、巨大化した後期のものは祭器と考える傾向がある。もっともギリシアの青銅武器発展の過程を見る限り、銅は堅いかわりにもろく、細く鋭いデザインでは壊れやすくなってしまい、実戦で使用するならば逆に巨大化し打撃によって相手にダメージを与える方向に進化すると考えるのが妥当である。
その後、日本でも銅剣の鋳造技術を発達させ、弥生時代を通じて盛んに製造されたが、すぐに鉄剣も伝来した。大陸や朝鮮と違って、到来の時期的な差が少ないため、銅剣が戦場で使用されていた時期は比較的短いとされる。鉄剣が主流になってからは、銅剣は次第に主に儀式に使用されていったと考えられている。
弥生時代の青銅器としては銅鐸が著名であるが、これが近畿地方から多く発見される祭器であるのに対し、銅剣は九州地方、中国・四国地方などに特に濃密に分布する。儀式などで使用されるにつれ大型化したものと考えられ、形も徐々に変化した。現在では、作成時期により3種類に分けて、初期は「細形」、中期が「中細形」、後期が「平形」と編年分類されている。種類としては、有柄銅剣(ゆうへいどうけん)や金色銅剣(こんじきどうけん)などもある。
滋賀県の上御殿遺跡で出土した双環柄頭短剣は、中国華北や内モンゴルに分布するオルドス式銅剣に似ており、朝鮮半島での出土例は無いことから、 中国から日本海ルートで流入した可能性がある[1]。
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