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「silverfish files」という読書感想ブログの記事の一部で、ディッケンズの「大いなる遺産」のラストの一文の解釈だが、翻訳者の訳もブログ筆者の訳も間違いだと思う。
私の解釈(訳)は

「(彼女の別れ方には)それ以外の別れ方もあるという陰影は見えなかった」

である。partingを「別れ」とせず「別れ方」と考えれば簡単である。なお、この記述の後で、ディッケンズが原作を出版した時の初版の最後のシーンが書かれているが、それがまさしく私の上記の内容なのである。つまり、第二版以降に曖昧な表現に改悪したのだろう。


(以下引用)

そして物語のラストシーン。40近くなったピップとエステラは、ミス・ハヴィサム邸の廃墟で偶然再会する。二人ともさんざん辛苦をなめた後である。エステラにもかつてのとげとげしさはないが、毒気と一緒にバイタリティまで抜けてしまっている。ピップに対し「離れ離れになってもいつまでも友達でいましょう」なんて言う。もう別れる気があからさまである。だがエステラへの想いが捨て切れてないピップには、「再びエステラと別れるという陰影は少しも見あたらなかった」。
 これがこの長編の最後の文章。なんだかわかったようなわからないような文章だが、原文は、"I saw no shadow of another parting from her."。つまり、「またエステラと別れることになるとは、全然思えなかった」という意味だろう。だが、それはあくまでピップがそう感じているにすぎないのだ。
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最初からの意味の「テンから」の「てん」はどういう漢字を当てるのか、下のツィートを見て疑問に思ったのだが、所有している国語辞典には載っていない。方言か隠語だろうか。後で調べてみる。

〘副〙
① 「天から」すなわち、最初からので、迷うまでもないという気持をこめて用いる語。はじめっから。あたまから。
滑稽本・八笑人(1820‐49)二上「なんでも最初(テン)から立って、押合って見るが一チばん早イヨ」
② 打消表現を伴って、まったく、そのようであることを強めていうのに用いる語。てんで。まるっきり。てんきり
歌舞伎彩入御伽草(おつま八郎兵衛)(1808)序幕「女が不承知なら、てんから出来ねえ仕事だわな」

(以下引用)

ファインマンbot
@feynmannnn
僕は科学者だから自分のやっている事を必ず説明できるものといつも考えていたのだ。だから「これはいい」「あれはだめだ」と言いながら、その判断の理由は説明できないような芸術家の言う事など、天から信じていなかった。ところがどうだ。僕自身その通りのことをやっているではないか!
先ほど、汚れた貨幣をウスターソースできれいにしてみたところ、5円黄銅貨がかなり美しいのに気付いた。10円銅貨より金色に近い。
で、それを見ていて、5円貨幣を使って「鎖帷子」が作れそうだな、と思ったのだが、それにはどのくらいの5円玉が必要なのか、計算してみる。
先に幾つかの貨幣の形状と重さを引用しておく。


発行年直径量目
五十円白銅貨幣 昭和42年~ 21.0mm 4.00g
十円青銅貨幣 昭和34年~ 23.5mm 4.50g
五円黄銅貨幣 昭和34年~ 22.0mm 3.75g
一円アルミニウム貨幣 昭和30年~ 20.0mm 1.00g
他 2 行


5円貨幣は22ミリメートル直径だから、上半身の体表面積を大雑把に計算して、それを縦横22ミリメートルの正方形で割ればいい。
上半身の胴体部分は直径30センチ、高さ90センチの円筒の横面積と考えればいいし、それをさらに大雑把に言えば、縦横90センチの正方形と見做せる。
これだけでも重要部分の概算はできるが、腕の部分は横50センチ、縦20センチの長方形の面積がふたつ、と考えていいだろう。もちろん、上腕の太さが太ももくらいある筋肉馬鹿の体型は別の話だ。
すると、全体の面積は

90×90+2×50×20=10100平方センチメートルである。

これを、5円玉の占有面積として約5平方センチで割ると、2020個である。
つまり、5円玉が2020個と針金があれば手製の鎖帷子が作れるということになる。
もちろん、肌触りは悪いだろうから、下着を着てから着る必要がある。
で、5円玉2020個の重さは7.575グラム、つまり、約7.5キロで、それに針金の重さが加わるから、8キロくらいの重さになるかと予想できる。

針金を約300円として総材料費10400円くらいである。
確か、5円玉は原材料価格と貨幣としての額面が同じだったと記憶するから、5円玉と同じ大きさの黄銅を使っても原材料費は同じになると思う。

これは非常に面白い問題提起だが、私が今考えたのは、軍隊というもの自体がもともと「上級国民」のためのものだったから、その指揮系統は下層国民に絶対に譲らなかったということで、それが世界的に共通だったのではないか。下からの成り上がりだと、どうしても下に対して無慈悲な命令が下せないだろう。古代から中世にはそういう成り上がり将軍(将官、佐官)もいたかもしれないが、近世近代にはほとんど無いと思う。

(以下引用)

軍隊って一兵卒として入隊したら、どれだけ昇進しても少尉だったかくらいで頭打ちになるんだったよね?

対して士官学校卒業したら少尉士官から始まる。

当然、軍の上層部には士官学校を出ていないと入れない。

 

この仕組を軍隊のような現実的集団が堅持しているということは、

この仕組が有効であるという証左なんだと思う。

でも、疑問なのは、なぜそうなるんだろう?ということだ。

一兵卒で入隊して、叩き上げ将軍にまでなれる仕組みよりも

学校を出て士官から始めた人たちだけで将軍が占められる仕組み。

なぜ後者の仕組みのほうがより合理的組織がつくられると考えるのだろうか?






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