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私は「赤毛のアン」が大好きなので、同作品を批判し、悪口コメントで一杯のこのスレッドに呆れているのだが、これだけ悪口コメントが集まるのは実際に、女性の間ですら今の若い人たちは「赤毛のアン」嫌いが多いという可能性もありそうだ。だとしたら、その理由は何なのだろうか。まあ、コメントをしているのは男が多いのではないか、という気もするが、コメント35などは女性と思われる。男が、女性が「女女している」のを嫌うというのはありそうにない。急進的フェミニストの発言の雰囲気だ。「若草物語」も好きではない、というのは保守的倫理観が嫌いなのだろうな、と想像できる。まあ、その性的自由主義が今の社会の荒廃を招いているのだが。

(以下引用)

コメント

      • 1. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月16日 16:40
      • 第2作ではアンが母校を教える傍ら村の環境整備に奮闘したり若き社会人ぶりが良い感じだったが
        第3作で念願の大学に進学してからは上流階級の学生たちと付き合って苦学生ギルバートを振ったり
        自分の言葉で語らず大学教授の言葉の受け売りばかりするつまらない秀才女になっていたな
      • 2. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月16日 17:29
      • モンゴメリは作品の中で必要以上の人種差別をしている。
        アンシリーズにも日本人と中国人をバカにする記述や、差別語として用いた部分があるが、日本人はそれを全く気にせず、アンが好きだモンゴメリのファンだとカナダに金を落としにいく。
        カナダは人種差別意識の高い国だけど、日本人がチヤホヤされるのは、誹られても気づかず、モンゴメリを褒めてお金を落としていい気分にしてくれるから。

        これ中学の時、教師の交換留学で来たカナダ人英語教師が言ったこと。
        中学生でアンを読んでなかった女子生徒は「女として終わってる(ちゃんとした思春期を迎えられてない)」とカナダでは言われる、と言う話から何故か上記のことまでペラペラと。
        英語主任が止めたが、本人は「本当のこと言っちゃった、ごめんごめん」って悪びれなかったのも衝撃だった。

        大学こモンゴメリ研究の教授からも、カナダ人の日本文学教授からも、同じことを聞いた。モンゴメリは日本人がお金を落とす理由の一つだから、表向きは持ち上げるが、時代だから、と看過できないほどの差別主義で恥ずかしいと思ってるカナダ人も多いと。
        中国人の教授はカナダに留学中、何度もモンゴメリの小説に出てくる東洋人侮蔑の言葉を投げかけられ、うんざりして「カナダの人って本当にそう言うんだ」と興奮気味に返したら言われなくなったそう。
      • 3. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月16日 18:48
      • 女性が能力で成功するということ自体が素直に称賛されない時代だったのも大きいな
        逆に与謝野晶子は本人の性格もあってか成功してた
        正直なところ鉄幹は晶子の才能を超える作品を終生作り出せなかったと思ってるが、それでもずっと晶子は鉄幹を尊敬して公私ともに支えて子だくさんで幸せに生涯を全うした
        鉄幹は愛人にも慕われてたし、たぶん度量の広いいい男だったんだろう
      • 4. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月16日 18:55
      • 無理に結婚なんてするもんじゃないね
      • 5. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月16日 19:20
      • 2が書いてるから書かないけど赤毛のアンは信者がウザくて嫌いだったからザマァとかヤッパリとしか思わん
      • 6. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月16日 19:26
      • ハリーポッターとか最初からそうなんだが
      • 7. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月16日 21:15
      • 文学ファンの皆さま、横道それてすみません。
        >> 2
        「赤毛のアン」シリーズでは、日本のハンカチ?とか、○○は日本に行った、の記述がありますがが、差別的な感じはありませんでした。雇ったフランス人農夫とか、行商に来たユダヤ人、あたりは異質な者として嫌っている感がありました。1世紀以上前の小説ですから今の常識とは異なります。

        教師や教授が言ってたから正しい、と思うマヌケ(失礼)、或いは権威をかざせば信じるだろう、と企むゲス(失礼)、そのどちらでもないなら具体的にディスリの箇所を示していただきませんか。
        「日本人」をバカにする記述限定でお願いします。話ひろげちゃぁ、ダメですよ。
      • 8. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月16日 21:44
      • ※6
        ハリポタ作者は映画主演のダニエル・ラドクリフに夢中になって
        「養子にしたい」とマジで言い出してラドクリフ少年をビビらせたが
        ラドクリフが年々濃い顔になって腕なんかも毛むくじゃらになったら
        いつの間にか養子の話をしなくなったらしいw
        我が子が3人もいてそのうち一人は男の子なのに気持ちを考えなかったのか。
        離婚したのもそういう恥知らずで無神経な性格が関係あったのかもしれんな。
      • 9. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月16日 22:53
      • ※6
        ハリポタ作者ローリングは有名になり大金稼ぐようになったら元夫が「離婚の成立はしていなかった」とか言って訴訟に持ち込もうとした。元夫は既に別の妻がいるにもかかわらず。
        元夫との間に生まれた娘にも接触しようとしてきた。ここでローリングが万一死んだら、未成年の娘の親権とともに莫大な印税が転がり込む、元夫に。そこでローリングは医者と再婚、その夫との間にも子供作ったんだよ。財産を利用して福祉もやってる。自分は離婚後、生活保護受けてたことも正直に話してるからそれほどひどい人ではない。
      • 10. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月17日 00:11
      • 松本侑子訳の「アンの夢の家」の後書き(487ページ)に興味深い話が出ている。

        「夫と心の通い合わない結婚に打ちひしがれるレスリー・ムーアのイニシャルが、
        『夫を愛したことはこれまで一度もない…彼のことは好きではあるが』と
        日記(1917年1月5日)に書いているモンゴメリと同じL・Mである点は暗示的です。」
      • 11. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月17日 00:24
      • >>7
        2じゃないけど、それ原書で読んだの?
        翻訳なら、都合の悪い箇所はカットしてることもあるぞ。
      • 12. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月17日 03:05
      • >>11
        アドルフ・ヒトラーの我が闘争にも、東洋人や日本人に関する蔑みの言葉が可也、有るけれども、支障を色々来す部分が有るので削除した部分が有るのは有名。 確か、海軍はナチに関しては快く思ってはおらず、我が闘争を読んで…狂人だと誇大妄想狂だとか、見抜いて居た人がかなりの数居た。とくに東洋人への侮蔑の部分には激怒し、同盟には大反対した人も多かった。
      • 13. 
      • 2021年10月17日 04:04
      • このコメントは削除されました。
      • 14. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月17日 08:12
      • こんな人生モーゴメンリー
      • 15. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月17日 12:39
      • 差別的な~というけどその部分の抜粋をだれも持ってこれない不思議

        アン自体読んだことないから自分も知りませんw
        日本人が赤毛のアンにの舞台に金落とす~ってのはほとんどアニメの影響だろうしなあ
      • 16. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月17日 12:44
      • 金子みすずは梅毒じゃなかったっけ
        当時は死病で全身に梅斑ができたあげくに鼻がとけてなくなり最後は脳梅毒といって脳にまわってのたれじぬという救いようのない病気だった
      • 17. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月17日 12:47
      • 金子みすずは梅毒じゃなかったっけ
        当時は死病で全身に梅斑ができたあげくに鼻がとけてなくなり最後は脳梅毒といって脳にまわってのたれじぬという特効薬すらない救いようのない病気だったので、それを悲観して自殺したはず
        ちなみに今はよく効く特効薬があるので死病ではない
      • 18. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月17日 13:19
      • >>11
        助言ありがとう。原書はほぼ読んだことはありません。関係ないけど村岡花子訳が好きです。

        2さんの言う「教師・教授」が「モンゴメリは日本ディスてんでぇ!」的な事と言ってるなら、
        まず自ら調べ「ほんまや!」となるはずです。それ吹っ飛ばして「金になるから黙っている。日本人は馬鹿nid..(失礼、噛みまみた)」に結論づけるには「無理があるんじゃね?」とオモてます。

        民族的差別が普遍的だった時代の小説です。日本サゲを知ったとしても「けしからん」と憤るつもりはなく、モンゴメリの本質を垣間見れるので興味深々です。

        2さんには「話を広げないで」とお願いしてありますので「日本人」サゲ箇所を、得意な英語表記で示してくれることでしょう。deepLが唸っているぜ。
      • 19. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月17日 21:10
      • >>2は中国人じゃね?カナダで生まれ育ったのち日本に移住した中国人。
        「赤毛のアン」には白人ばかりで中国人は出てこないが、
        カナダはちょうど赤毛のアンの時代設定である1880年代から中国人の移住が始まった。

        (時事用語辞典より)カナダの中国系移民 [Chinese immigrants in Canada]
        中国からカナダへの移民は歴史的に見ると二つの要因により動いてきた。最初の要因は19世紀中ごろに始まったゴールドラッシュであり、西海岸のビクトリアやバンクーバーにおいて小さな中国人コミュニティーが形成されることになった。第2の要因は大陸横断鉄道の建設に必要となる労働力の一部として、カナダ政府が中国人労働者を受け入れたことであり、時期としては1880年代から始まる。地元の白人社会は中国人労働者の受け入れには反対したが、連邦政府は安い労働力を確保できるとしてこれを推進した。しかし、大陸横断鉄道が完成した85年以降、連邦政府は中国からの移民について、一人当たり50ドルという「人頭税」を課すなど、厳しい条件を課すようになった。これらの制約を課した中国人移民法は1947年に廃止された。
        (https://imidas.jp/genre/detail/D-116-0097.html)

        >>2がモンゴメリとその作品に反感を持っている本当の理由は、
        中国人移民がカナダ社会から完全に拒絶されていたからではないか?
      • 20. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月17日 23:07
      • >> 19
        なるほどね。"ボス"のほうでしたか。句読点しっかり打って読みやすい文章ですもんね。
        ほらほら2さん、出ておいでー。中国人ディスリ箇所でいいから示して欲しいな♡
      • 21. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月19日 13:34
      • そんな事言ったらラヴクラフトも話の中に有色人種に嫌悪感もっているような描写があったし、時代的にも仕方ない気がするなあ。
      • 22. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月20日 01:29
      • 別にアジア人だけを差別していたとは思わないな
        アンとダイアナが幼馴染の女の子、もちろん白人しかも金髪碧眼で顔も村一番の美人のことを
        「ギリス家の血筋が出てきたのよ、血筋だからどうしようもないわ」とこきおろす場面がある
      • 23. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月20日 21:00
      • アンシリーズが書かれた当時はともかく、
        現在まだアンシリーズに夢中なのは日本だけらしいな。
        アニメ化した宮崎駿と高畑勲も原作を読んだ感想は「この小説のどこがいいの??」
        宮崎駿は会話ばかりで動きの少ない内容に嫌気がさして離脱し高畑勲だけ残った。
        その高畑もどう料理していいかわからず、とにかく全編原作に忠実に描き起こし、
        そのおかげで「原作を無視している」「改悪が多い」と言われた世界名作劇場シリーズの中で
        「唯一原作に忠実で素晴らしい!」と高く評価されるという皮肉な結果にw
      • 24. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月21日 14:36
      • ※23
        外国でも「アン」人気はアニメ人気らしいよ。
        原作読んだことない英語国民も多い。
        「アヴォンリーへの道」というモンゴメリの他の作品を元にしたスピンオフドラマがカナダで製作されて大ヒットした。こちらはアンやマリラはその他大勢的扱いだが、マシュウ死後のマリラの様子やギルバートもちらりと出てくる。1990年代の作品だから人種や社会に対する理解も進んだ解釈。
        その後のポリコレ要素推進はあまりなくて受け入れやすい。NHKでも放映された。
      • 25. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月24日 07:16
      • >>18
        その文章やばいね、いつの時代の人?
      • 26. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月24日 07:22
      • >>23
        やっぱそうだよな
        私も小学校であれ読んで嫌な女だな…って印象しか受けなかった
        面白いとも思わず、結局読了せずに返した記憶がある

        周囲もそんなに流行ってなかったので、最近は読む人も減ってるんでは?
      • 27. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年10月24日 07:23
      • >>7
        ここって文学ファンが集まるとこだったっけ…?
        どこから来たの?文章浮きすぎてやばいよ
      • 28. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2021年11月02日 13:41
      • カナダへの集団移民の日本人がほぼ消滅したって話前にみたよ
        これや今回の話から察するにエグい状態だった「かもしれない」から皆はややこしい事にならん様に気をつけてな
      • 29. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2022年01月07日 22:02
      • >>21
        時代背景的には一般的だけどラブクラフトがガチのレイシストだったのは有名な話ですよ。
        そもそも深き者とかグールは有色人種のメタファーって言われてるし
        インスマス面は西洋人から見たアジア人の特徴そのものだし
      • 30. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2022年02月18日 00:17
      • カナダは国の方針で日系人にめちゃくちゃ厳しかった歴史があるからな
      • 31. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2022年02月28日 11:46
      • ラブクラフトとP・K・ディックは、レイシストというよりは、東洋人恐怖症に近いと聞いたことがある。
      • 32. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2022年03月07日 22:36
      • アンの話は主人公の頭がイカレている感じがして1冊目も完読できなかった。
        あの話にはまる人の頭も理解ができないと思った。
      • 33. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2022年03月14日 12:40
      • 一回図書館で借りたけど主人公のキャラがキモくて読むのやめたから内容もおぼろげな昔のアニメと三部作の映画しか知らない
      • 34. 本当にあった怖い名無しさん
      •  
      • 2022年03月26日 01:19
      • アンの根強い人気なんて今の50代以上の話でしょ
        ワイは世界名作劇場のアニメですら面白いと思えんわ。
        不思議な島のフローネの方が好き
    • 35. 本当にあった怖い名無しさん
    •  
    • 2022年05月15日 23:32
    • 私もアンは女女してて苦手だわ
      若草物語の方が読みやすかった(こっちも好きではない)

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「シロクマの屑籠」から転載。末尾を省略。

ところが経験値が増して世界が大きくなると、その外側にある未知の領域のこともなんとなく予測できるようになり、いわば疑似既知化できる。予測可能領域がひろがり、本当は未知なのに、なんだか既知の内側にとりこんでしまっているような感覚になり、それなら対応可能だろう、と思えてくるのだ

という部分は「中年の危機」のメカニズムとしてかなり妥当性がありそうだ。

(以下引用)

残り時間を気にしながらいつも走っている

 
president.jp
 
4月に入ってからいろいろ忙しいため、しばらく読むのを後回しにしていたけれども、読んで得心するものがあった。そうか、私はこれを読むのを怖がっていたわけだ。
 
リンク先の文章は『裸の大地 第一部 狩りと漂白』という書籍からの抜き出しであるという。そこに書かれている、冒険家の筆者が43歳という年齢を迎えて思うこと・実行することは私には身近なことと感じられ、他人事で済まされるものではなかった。
 
四十代になって見えてくるいくつかの問題。
 
ひとつめ、厄年の問題。
 
古来、日本では42歳は厄年と言われ、忌み嫌われてきた。実際には、女性の厄年としての33歳、子どもの厄年としての13歳もあり、それら厄年みっつの合計数である88が、四国遍路の霊場の数だったりする。
 

「四十二歳は日本人にとって不吉な年なんだろ。ナオミだって死んだ。カナダで氷に落ちて死んだのもいただろ。日本人はみんな四十二歳で死ぬんだ。たぶんあんたも北方の旅から村にもどる途中、イータの地に立ち寄り、そこで命を落とすことになる。あんたの遺体はオレが六月に鴨の卵を取りにボートでイータにむかったときに発見することになるだろう。本当だよ」
(上掲リンク先より)

この、イヌイットのシャーマンの言葉をひいたうえで、筆者は日本の探検家たちが43歳前後で相次いで命を落とした事実を振り返る。確かに、それぐらいの年齢で亡くなった探検家は多い。でもってリンク先の文中にも書かれているように、これは、職業によっていくらかのズレを含むものでもあるのだろう。たとえば瞬発力を必要とするスポーツなら危機の年齢は早まり、たとえば結晶性知能で勝負の職業なら危機の年齢は遅くなるだろう。eスポーツ選手などは、もっともっと早くに危機の年齢が訪れるのかもしれない。
 
危機の年齢と言って語弊があるなら、人生の曲がり角、とでも言えばいいか。とにかく、発展と発達の一途にあった人でさえ上り坂から下り坂に変わりやすい時期を、いにしえの人々は厄年と名付け、注意を払った。思春期の盛りを過ぎた後、人間の肉体は少しずつ衰え、いっぽうで経験は少しずつ蓄積していく。その能力の総和として、これから下り坂に入っていく直感が得られる時期が厄年のあたりなのだろう。
 
ふたつめは「今ならできる」という問題。
厄年のあたりで自分が下り坂に入っていくという直感が得られたとて、本当に衰えてしまう時期はまだ遠い。これも職業によるが、基本的にあと何年かは全盛期に近いアウトプットが期待できるし、衰えを補えるぐらいの経験蓄積も期待できる。全盛期そのもの、ではないかもしれないが全盛期に近いアウトプットを、残り何年かは叩き出せるという目算が立つ。
 
これも私自身にはわかる感覚で、今の私は30代の頃にできなかった幾つかのことが楽々とできるし、30代の頃には読めなかったものが読め、書けなかったことが書けるようになっている。ああ、もし今の私ぐらいの能力が20代や30代の私自身に宿っていたらどんなことができたんだろう、という思いと、いやいや、40代になってようやく今の私ぐらいの能力なのだから、この先は知れているという思いが相半ばする感じだ。と同時に、おそらく人生のなかで現在ほど高い打点でヒットやホームランを狙える時期は無いはずだ、という直感もある(これが、後述する残り時間に対する焦りをも生む)。
 
だから、物書きとしての私は今、全力で、できれば、全裸で走りたいと願っている。おそらく人生のなかで一番高い打点でヒットやホームランが狙えるのは、今を置いて他にないからだ。私よりもずっとずっと偉大な物書きの先人たちを見ていても、代表的な作品が50代を過ぎてから出ている人はいないわけではないが少数だ。だから統計的に推定しても、自分自身の直感に問いただしても、まさに「今ならできる」だとしか思えない。
 
しかし、リンク先にはその「今ならできる」について以下のように記されている。
 

実際にできるかどうかより、たぶんできるはずだと思えるようになるところがポイントだ。

若くて経験値がひくく想像力が貧困であれば、実際の経験の外側にある未知の世界は、純粋に未知で、予測がつかないぶん恐ろしく、そこに手を出すことなど考えられない。あるのは体力だけ、だから思いつく計画のレベルもたかが知れている。

ところが経験値が増して世界が大きくなると、その外側にある未知の領域のこともなんとなく予測できるようになり、いわば疑似既知化できる。予測可能領域がひろがり、本当は未知なのに、なんだか既知の内側にとりこんでしまっているような感覚になり、それなら対応可能だろう、と思えてくるのだ。だからカヤックの経験が皆無でも、北極で長期の旅を何度もこなしていれば、つぎは北極をカヤックで旅するか、という発想がおのずとうまれる。経験と予測の相関関係はこのような仕組みになっている。

この文章を読むと、中年期の「今ならできる」の感覚のなかには、経験の蓄積や世界の拡大に伴って可能になった、ある種の先読みによる疑似既知化が含まれていると記されている。つまり「本当はやっていないことでも」「これまでの経験と照らし合わせて、おそらくこれぐらいでできる」という読みをきかせてしまっている部分。
 
たぶん、ここが中年が人生を滑落を滑落させるポイントのひとつなのだろう。中年の「今ならできる」という手ごたえの内側には、先読みによってだいたいできると推測しているもの、逆に言えば、本当は踏破していないものが含まれている。「今ならできる」と思ってトライするものに対する予備調査能力も若い頃よりは高まっているに違いない。けれどもそれはどこまでも推測の域であり、予備調査でしかない。それらに基づいて大股なトライをした時、何%の確率かはわからないが、足を滑らせたり、脱出不能の穴に落ちたりする可能性は否定できない。だのに、「今ならできる」と思い込んでいると、推測や予備調査にうつらない穴の存在を忘れてしまう。
 
なにより、みっつめは残り時間の問題。
どんなに「今ならできる」と思っていても、中年には残り時間がない。

このように四十になると、人の世界は経験によって拡大膨張し、その大きくなった世界をよりどころに様々な局面を想像できるようになり、冒険家にはなんでもできるという自信がうまれる。つまり経験値のカーブは上昇線をえがく。その一方で、肉体は衰えはじめ、体力や勢いや気力などが低下し、個体としての生命力は下降線をしめす。

リンク先の筆者は、経験が増えても体力が、気力が、生命力が落ちていく、その交叉点として40歳か41歳を挙げている。繰り返すが、これは冒険家の場合で、スポーツ選手なら、医者なら、それぞれまた異なった年齢が交叉点になるだろう。いずれにせよ、その交叉点を越えてからは経験の蓄積を生命力の衰えが凌駕していくようになり、総合的なスペックは下降線を辿るようになる。
 
「今ならできる」という感覚と、総合的なスペックの翳りが重なる時、人は焦りを感じる。「今ならできる」が「今やらなかったら、もうできない」になっていく。ゆえに筆者はこう書いている。
  

南極大陸犬橇横断を最終目標としていた植村直己が、やらなくてもいいように思える冬のデナリにあえてむかったのは、なんでもいいから身体を動かしておかないと、南極が、すなわち彼固有の、彼にしか思いつけない最高の行為が遠のくという焦りがあったからだ。北極点から愛媛の自宅に帰るという旅に出発した河野兵市にも、おなじような焦燥があっただろう。
 
すくなくとも、二〇一八年三月に私をシオラパルクにむかわせた原動力として、この年齢の焦りは確実に作用していた。私がやりたかったのは、北極で狩りをしながら長期に漂泊することだ。それは今年やらなければ、もう永久にできないことだと思われた。

植村直己の挑戦とご自身の挑戦とを、筆者はここでダブらせている。「今年やらなければ、もう永久にできない」。私もまた、それにシンパシーを感じた。私も物書きとして、今年とは言わないにしても2020年代にやらなければ、もう永久にできないという気持ちを抱えている。「今なら書ける」が「今書かなかったら、もう書けない」になるきわの淵に、私は立っている。

まあ、人間の真実とはウンコとチンコとマンコだ、と考えているような元文学青年の化石ではないか、と思うのだが、彼の映画は「みんな、エスパーだよ!」を最初の5分か10分くらいしか見たことがない。娯楽映画だろうと思っていたら、少年ジャンプの最低レベルの漫画という印象だった。作り手の人間性が下品そのものであることだけは分かった。その下品さが彼には誇りなのだろう。
しかし、下の記事もリベラルを「反日リベラル」と書いているあたり、ネトウヨだろう。私も最近のリベラルは嫌いだが、彼らを「反日」とレッテル貼りするネトウヨの頭の悪さも大概である。自民党の長年の「お仲間利益だけが目当ての」売国政治を支持するほうがよほど反日である。

(以下引用)

映画監督wikipediaから

ファンであり友人である著名な者として、水道橋博士や『映画秘宝』を創刊した映画評論家コラムニスト町山智浩が知られる。

町山は2009年ベスト10を選んだ際に、園の『愛のむきだし』を一位に選んだ。

同年に日本で公開されたクリント・イーストウッド監督・主演『グラン・トリノ』を二位にして「『グラン・トリノ』は『愛のむき出し』を見るまで一位の作品」「どちらも(『グラン・トリノ』と『愛のむきだし』)「不在の聖母」を描いた作品。」と評した。

水道橋博士とは親交が深く、お笑いライブを二人で開催したりしている。水道橋博士園子温を「映画監督として圧倒的に天才」と絶賛している。

他に園と親交が深い友人として、茂木健一郎会田誠津田大介宮台真司がいる。宮台真司あいちトリエンナーレの「表現不自由展」に対する批判意見への反論に友人・園子温作品を例にあげ、

そもそもアートは心に傷を付ける。心を回復させる娯楽とは違う」「こうした基本的なことでさえ、行政政治家、そして市民までもが分かっていないことに驚きました」と開催を擁護している。

ジャパニーズアニメ嫌い

2016年は「近年稀に見る邦画の当たり年と言われた本年」と呼ばれたが、そのなかでも話題を一手に集めたのは、

新海誠の「君の名は」と庵野秀明の「シン・ゴジラ」であり、『君の名は。』は興行収入200億円突破というダントツの1位、「シン・ゴジラ」は3位であるが例年なら邦画興行収入1位とされる81億円を記録した。

しかし、園子温はどちらも2016年12月9日に突如、「糞ジャパアニメ、すべて死ね。」という暴言ツイッターに書き込んで罵倒している。

ネット上ではシン・ゴジラ」と同じ長谷川博己を主演で前年に撮られた自身怪獣映画「ラブ&ピース」が興収5300万円だったこから

「園が嫉妬のあまり中2病発症させた」と批判するツイート殺到した。ただし、リテラは園による批判について、「まさに正論だと思うが、しかし、こうした意見はしょせん異端に過ぎない。」との報道をした。

護憲SEALDS支持・日本批判

自民党2016年参院選改憲現実のモノにしようとしているとして、2015年9月11日安倍晋三内閣における特定秘密保護法集団的自衛権行使容認への反対や護憲

「従来の政治的枠組みを越えたリベラル勢力結集」を訴える『TAKE BACK DEMOCRACY(民主主義を取り戻せ)#本当に止める SEALDs 5時間SPECIAL!!!!!』に、磯部涼(司会)、SEALDs中野晃一上智大学教授日本学術会議の廣渡清吾前会長らと共に出演した。

2016年12月に「評論家のための評論やす映画ばかり。狙ってんのかお互い癒着して。革命家も産めない肉体のない言葉、、乾いた言葉を。」

「去年見たSEALDSの何倍も何倍も薄めた小さなセカイ系とやら。セカイ系の正体は地球上の規模じゃねえ。このセカイの小さな島国辺境の、空想されたせ・・か・・い・・やめろ。」

日本批判SEALDs支持のツイートをしている。

思っていた以上に日本反日リベラルキモフェミが大好きそうな香ばしい野郎で笑った。

そりゃーフェミとか反差別界隈がだんまりな訳だw

メモだが、あまり長期にわたってブログを書かないと勝手に宣伝が入るので、その予防でもあるwww
今、松本清張の「点と線」を読んでいるが、私が清張の現代小説に関して持っていたイメージとは異なり、さほど陰鬱さは無く、純粋に推理の問題を扱っていて読み応えがある。
ただ、根本に「作家の騙し」があると思う。
推理小説自体が「騙し」のジャンルなのだが、この作品では「作品の鍵となる謎」よりも、「書かれていない部分の謎」がはるかに重要性を持っているように思われる。
つまり、「犯人のアリバイ崩し」が「メインの謎」なのだが、それよりも「殺人自体の謎」の方がはるかに不自然なのである。それは「アリバイ崩し」は「アリバイの不自然なところを追求していくことで達成できる」という事実(あるいは法則)から少し視点を変えて、「作品自体の比重の不自然さ」を感じたからである。先に言えば、アリバイ工作というのは必ず人工的なのだから「不自然」なのが当然で、問題はその不自然さに捜索者が気づくかどうかである。だが、作品全体として「ほとんど無視されている」謎には読者は気づきにくい。
「点と線」の場合は、「心中遺体」の「自殺」手段が不自然だ。青酸カリを飲んだ遺体が二つ並んでいて、その傍らに青酸カリの入ったジュースの瓶があったなら、それは「心中」と見ていい。しかし、それが「他殺」だとしたら、これは不可能なのではないか。つまり、一方がジュースを飲んで苦しんだり即死したりしたら、もう一方にそのジュースを飲ませることは不可能だろうからだ。とすると、この「心中事件」は他殺ではなく本当に心中だったということになる。そうすると、本書の土台となっている「アリバイ崩し」自体がまったく無意味な行為となるのではないか。
まあ、まだ全体の8割くらいしか読んでいないので、作者がどういう結末をつけるか楽しみである。
なお、私は松本清張を「日本のバルザック」だと思っており、彼が推理小説作家として出発したため正当な評価を受けていないのは悲劇だと思っている。
とあるサイトから転載。

(以下引用)赤字は当ブログ筆者による強調。

P124
「こうした表現を反復することによって、クラウゼヴィッツは、当初からあいまいな自己の哲学理論の全貌をさらに不明確にし、それを、単なる行進曲のリフレイン、すなわち、ラ・マルセイユズ(フランス国歌)のプロセイン版を作り、国民の血を沸かし人心を鼓舞するだけのものにしてしまった。注入されたこの教義は、将校用ではなく、下士官用のものであった。というのは、戦闘を唯一の「真に戦争らしい行為」とすることにより、彼の教義は戦略の優位を奪い、戦争の術(アート)を大量殺戮の製造者に仕立てて、さらには、軍人を先導して、有利な戦機を醸成することではなく、単に決戦を挑むよう仕向けてしまったからである。」

この部分は正しい。
ドイツ人とフランス人を見ればまさにこう言う意図で作った部分が戦争論に注入されているのは明らか...
(しかし、クラウゼヴィッツは世界が正しい理論部分を読み取らずこんな無様な結果になるとは思わなかった。)

P127
「ヨーロッパの軍人は、一世紀もの間、クラウゼヴィッツが誤解して主唱した、「人間と人間の格闘は、明らかに戦闘の基礎である」ということに固執した。」

損害計算の無い歪んだ戦闘モデルに固執したということ。

P144
絶対戦争の概念は、クラウゼヴィッツの教義の源泉であるが、これは、彼のあらゆる戦略思想への貢献の中で、最も極端かつ非現実的なものであった。「絶対戦争」という用語の意味するところは、対峙する軍のどちらかが抵抗能力を消耗し尽くすまで継続される戦闘であり、現実には、勝者も力を消耗して極限に達することを意味するのである。」

ここは、制限事項をはずして戦争に勝つ処方箋だと信じて使った無能な蒋師達が悪いのか?
それとも、矛盾する絶対戦争理論(総動員用の仕掛け)を理念として残したクラウゼヴィッツが悪いのか?

P145
「1870年の戦争の結果はクラウゼヴィッツを支持し、彼の絶対戦争理論がヨーロッパの軍人に定着、あらゆる国家の軍人に議論の余地の無い真理として認められ、さらには、危険なまでに戦争に無知な世代の政治家に、簡単に容認されるようになったからである。こうしたヨーロッパ社会の思想に偏見が加わり、クラウゼヴィッツの哲学的理論は、第一次世界大戦の勃発を後押ししたのである。

世間一般に広まったのは正しいクラウゼヴィッツではなく、ナポレオン戦争の悪しき投影部分の絶対戦争理論だった。
この部分は誤解ではなく実際に起こったこと
2003.02.04...


戦略論大系「リデルハート」の「ナポレオンの亡霊」を引用した部分の批判はリデルハートの正しかった部分を抜き出して誤りだと書いている部分があり悪文
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