日本画の大家、平山郁夫らの絵画を基にした版画の偽作が見つかった事件は、関与を認めた大阪府の画商が人気の高い大家の偽作を大量に流通させ、市場で値崩れを起こす事態まで招いていた。美術関係者らは長年、偽作が流通した背景について、鑑定書がなく、真贋(しんがん)を目利きだけに頼る版画特有の事情を指摘する。さらには、偽作の制作を容易にする技術の向上、取引市場の移り変わりなど複雑な時代背景も浮かんでくる。(吉沢智美)
需要落ち込み
「いつの世も偽作は存在する。普通は画商が見つけるなどして歯止めがかかるものだが、今回はあまりにも長きにわたり流通してしまった」。東京都内の美術関係者は険しい表情で語る。
平山郁夫、東山魁夷(かいい)、片岡球子(たまこ)、有元利夫-。偽作版画は、大家や人気作家の名が並ぶ。これまでに、大阪府の50代の男性画商が一部への関与を認め、約8年前の平成25年ごろから、奈良県の工房に制作を依頼していたことがわかっている。
美術関係者によると、25年前後、日本画を取り巻く情勢は厳しかった。20年のリーマン・ショック以降、取引価格は大きく下落。23年の東日本大震災を経て、需要はさらに落ち込んだ。
美術関係者は「資金力がなく、著名作家の作品を仕入れることができない画商は経営が厳しいだろう」と証言する。大阪の画商が関与した偽作は、いずれも人気が高く、日本画が値崩れする情勢の中でも比較的高値で取引されている作家のものだった。業界関係者によると、東山の版画は高額なもので900万円、平山の版画も250万円ほどで売買されているという。
ある画廊経営者は「味をしめて、偽作を流通させ続けたのだろう」と話す。
業界特有の事情も
偽作の大量流通を長年、許した背景には版画特有の事情も浮かぶ。日本では、版画専門の鑑定機関などは存在しない。芸術作品の取引などで本物であることを証明する「鑑定書」もないまま、売り買いされているのが現状だという。
問題を受け、日本現代版画商協同組合(日版商)や美術商らが立ち上げた臨時偽作版画調査委員会の事務局は「どのような方法で鑑定するかを模索するところから、始めなければならない」と実情を明かす。
現状では、画商らは作品のカタログや真作と見比べながら真偽を判別。関係者は「きちんと鑑定できる人がいないことで、偽作が売り続けられたのかもしれない」と推察する。
一般客と画商らを結ぶ売買の舞台となる百貨店などの事情を原因に挙げる声もある。関係者によると、百貨店などにはかつて、美術品を見る専門担当者らがいたが、長引く不況で、こうした人員を育成することが困難に。結果的に「画商との信頼関係を頼りに作品を取り扱うしかなくなってきた」(関係者)という。
近年、技術の進歩などにより偽作はより容易に制作できるようになっているという。美術関係者は「今後も長い期間、偽作が見抜かれず流通するリスクはある」と話した。
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実際に偽作を制作したとされる奈良県の工房の男性経営者が、産経新聞の取材に応じ「(流通させるとは思わず)他の用途で使うと想像していた」などと語った。
男性は「摺師(すりし)」として40年以上にわたり、さまざまな作家の複製版画の制作に携わってきたという。ただ、仕事量が激減。20年ほど前から修復の仕事も引き受けるようになったとしている。
大阪の画商と知り合ったのは、その頃で、最初は修復の仕事をもらっていたという。偽作の依頼が来たのは8年ほど前。「修復で『ええ仕事するな』と見込まれたのではないか」と推察する。
「絶対に迷惑をかけないから」と言われ、東山魁夷や平山郁夫らの複製版画を作った。1作品を制作するのには約2カ月を要し、年5~6点ほどの依頼があったという。
約2年前まで依頼が来ていたとし、これまでに制作したのは、少なくとも東山ら4人の作家で「800枚だ」と証言した。
男性経営者は「『こんなもの何に使うのか』と思っていたが、売るとは思わなかった。よい仕事があれば受けるのは当然。(大阪の画商の)言葉を信じたのに…」と話した。(田中一毅)