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漫画家の青木俊直のツィートだが、朝ドラの感想だろう。
俳優が俳優の役をやって下手な芝居の演技をするのは難しいだろうと思うが、下手な芝居には固有の特徴があるのだろうか。
昔の邦画は下手な芝居のオンパレードだったが、特に子役など無残そのもので、観ていると共感性羞恥(最近の流行語だろうが、穿った言い方である。)を覚えることが多かった。日本の俳優の演技が自然になってきたのは、沢田研二やショーケンなど、歌手が俳優として演技をするようになってからで、それまでは新劇系統の不自然で大仰な演技をする俳優が多かったのである。歌手は演技の体験が少ないから、自然体で役柄を演じたのが良かったのだろう。
最近の俳優の演技は自然だが、ただし、演出が悪く、「泣く、喚く、怒鳴る」の頻度が高く、そういう場面だと見るに耐えないことが多い。そもそも、現実の生活ではそれほど泣く喚く怒鳴るという経験は誰もほとんど無い(昔の子役の演技で泣く演技が最悪に下手だったのは、泣いた経験の有無よりも、泣きたい感情も無いのに泣くこと自体がやりにくかったからだろう。それで、子供なりの判断で「泣く演技」をしたら、「泣き真似」でしかない、無残な出来になったわけだ。)のだから、その演技も不自然になって当然なのである。洋画では、そういう泣く喚く怒鳴るの場面が少ないのはご存じの通りだ。

「泣く演技」と「泣き真似」の相違を考えれば、面白い演技論になるかもしれないが、いわゆるスタニフラフスキーシステムなどもこれと同じ話かもしれない。つまり、泣き真似をいかにして泣く演技に昇華させるか、という問題だろう。


(以下引用)

みんな下手な芝居が上手いw(朝ちょ)
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