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TERUのブログから転載。
まあ、たいした内容ではないが、創作のヒントになるかな、というメモ。
「登場人物の秘密」というのを「登場人物の過去」としたら、「ワンピース」も同じ作りなのではないか。いや、私は「ワンピース」は一話も見たことも読んだこともないが、ネットで知った情報からの推定である。「秘密」なり「過去」なりを、視聴者や読者の「未知情報」とすれば、それが興味を先へつなぐエンジンになるのだろう。その未知情報に恐怖や不安の要素があれば、「サスペンス」になる。


(以下引用)

しかしなんですな。アメリカのドラマって、どんなジャンルにも共通している「お約束」というか、「定番」のパターンがある。

1、登場人物に秘密がある。
2、それを隠しているのは家族や恋人など愛する人のため。
3、でもその愛する人に必ずバレてケンカになる。
4、たいていは2~3話後に仲直りする。
5、これをキャラを変えて繰り返す。

というパターン。ぼくが見た中ではどのドラマも、お約束のようにこのパターンを取り入れている。

さらに物語全体に流れる、「大きな秘密」があるのもアメリカドラマの特徴ですね。その秘密を、いつまでもダラダラ引っぱり続けることで、シーズン2、3、4と、視聴者を引きつける作戦なのです。

わたくしもまんまと引っかかって、いつまでもダラダラと見続けるのですが、いざその秘密が解き明かされると、必ず「大したことなくてガッカリ」します。

ああ、それがわかっているのに、ダラダラ見てしまうわたしっていったい……

人間は反省しない動物です(苦笑)。
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一般的には、以下のような学校行事があります。

【小学校の学校行事一覧(例)】

(4月〜夏休み
 ・始業式
 ・入学式
 ・身体測定
 ・春の遠足
 ・授業参観
 ・運動会(5〜6月開催の場合)
 ・プール開き
 ・終業式
(9月〜12月)
 ・始業式
 ・避難訓練
 ・授業参観
 ・運動会(秋開催の場合)
 ・秋の遠足
 ・学習発表会
 ・交通安全教室
 ・大掃除
 ・終業式
(1月〜3月)
 ・始業式
 ・書き初め大会、カルタ大会など
 ・校外学習
 ・授業参観
 ・卒業式、修了式
 ・終業式

保護者にとって、学校行事は書類を持たせたりお弁当を用意したりと忙しくなる日。同時に、保護者も参加できる授業参観などは成長した我が子の姿に感動することもある大切な日です。

どの時期に何をやるかは学校ごとに計画されるものの、4月には始業式・入学式・健康診断、学期末には終業式、3月には卒業式といったように、多くの学校で共通する場合もあります。



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小学校部活動・クラブ活動小学校
部活動
クラブ活動

児童が自主的におこなう部活動

児童が自主的におこなう部活動イメージ

本校では、学校生活を向上させるための活動を部活動と呼びます。小学4年生以上の全児童は部員として各部に入り、問題を共有し、話し合いながら解決していきます。主な活動は月1回の部会(仕事の分担や報告、新企画などの話し合い)と、常時活動(休み時間などの仕事)があります。
前期と後期で違う部に所属するため、小学4年生から小学6年生までで最大6つの部を経験することができます。また各部の部長は、選挙により小学6年生から選抜されます。

各部の活動内容

児童会
役員会
年間の生活目標をもとに計画を立て活動すること、いろいろな問題について話し合い解決方法を全校児童に呼びかける。必要に応じて代表委員会や総会を開く。
奉仕部 国内、国外に広く目を開いて、進んで人の役に立つよう働きかける。
保健部 みんなが健康に気をつけて生活できるように働きかける。
生活部 規律正しい生活が送れるよう呼びかけたり、学習に必要な物を整え、きちんと記名するように働きかける。
運動部 元気に楽しく運動したり、遊んだりできるように工夫し、計画を立てる。
整美部 校舎内外を美しく整え、気持ちのよい学校にするように働きかける。
図書部 みんなが読書に親しみ、資料の活用ができるように、図書館を整える。
広報部 学校生活のできごとや計画などをわかりやすく伝える。
放送部 規則正しい学校生活がおくれるよう、時刻を知らせたり、連絡したりする。また、楽しく有意義な校内放送を計画する。
典礼部 いろいろな宗教行事の意味を理解して参加できるよう、働きかける。
園芸部 植物の世話をし、校内を季節に応じた花で美しく整える。

仲間づくりをめざすクラブ活動

小学5年生からクラブ活動がはじまります。異なる学年や学級の仲間とともに、クラブ活動に参加することで、自主性や実践的な態度を養うことを目的としています。

アウトドアクラブ

アウトドアクラブイメージ

本校の自然を生かして、教育施設ロザリオヒルでハンモックやターザンロープをはって遊んだり、棒巻きパンを作るなど楽しい活動をおこなっています。

その他のクラブ活動

  • バドミントン
  • バレーボール
  • 卓球
  • ドッジボール
  • ダンス
  • 創作手芸
  • プログラミング
  • チャレンジ科学
  • 和文化

・時間の可逆性、あるいは可逆的記憶の話。
・主人公は意識を自分の記憶のある部分に集中することで、その時点の自分に戻れる。しかし、戻った時点以降のタイムラインは分岐しているので、そこからは「別の世界」に行くことになる。ただし、本人以外の行動の変更はないので、世界そのものの大きな変容は無く、歴史の大きな変更はほとんどない。彼の周辺だけが変わる。つまり、「リライフ」と言うより「ライフリセット」である。
・体を鍛え直すためには少なくとも6歳か7歳の時点に戻るのが望ましい。意識が70歳であることを隠すためには、うんと寡黙な子供である必要がある。無限の時間があるから、興味のあることをどこまでも研究できる。姿は子供だが、大人の嘘は容易に見抜ける。
・考えると、身体は子供で心は大人というのは「名探偵コナン」であるwww 違いは、コナンは同じ時代のままで体が子供になるのだが、これは自分自身の昔の姿に戻るのであり、時代も過去に戻るわけだ。(エピソードとして、コナン的な活動の話も書く。)
・自分の前に無限に近い時間があるので、主人公は絵に書道に作曲に研究にいくらでも時間が使えるので、趣味の面であらゆる達人になる。つまり、レオナルド・ダビンチである。
・学校図書館と市民図書館で、世界文学と歴史と社会と科学と芸術の本はほとんど読破する。
・暴力的な人間や犯罪者との闘いの話も書く。対処法はほとんど「闇討ち」である。あるいは、大人の協力者を作る。

・主人公の過去への反省。自分は何も見ておらず、何も考えず、毎日の生活を何も味わっていなかった、ということ。フィクションによる脳内世界と現実生活の両立。
・自分が毎日成長し、進歩していることへの喜び。
・中学で野球部に入る。
・主人公がタイムリープした人間であることは最後まで伏せておき、単に「異常に早熟な人間の半生」の物語として描くか。小学校篇、中学校篇、高校篇、大学篇、社会人篇、政治家篇と描いていく。

・話法は一人称か三人称か。一人称だと内面が書きやすいし読者の感情移入も成立しやすいが、他者から見た彼の姿が描けない。逆に、一人称を用いて人間の自己認識と他者による認識の相違を描くのも面白い。(「大いなる遺産」)
・コメディ性をいかにして作るか。無しにするか。単純に、語り手が現実には小学校1年生だが老人じみた内容の話をすることで生むか。つまり「吾輩は猫である」方式である。
・ワトソン的語り手を置くか。

・題名をどうするか。脇役をどうするか。


(題名)「吾輩はガキである」

(脇役)
主人公(語り手)の両親と兄弟姉妹。
学校の教師たち
同級生たち
上級生たち
不良たち

・一人称で少し書いてみたが、面白くない。つまり、事件が存在せず、単なる一人語りになるのである。これはたとえばサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」でも同じで、「事件」らしい事件はほとんど起こらない。主人公が学校をやめる話だけである。後は主人公による社会批判、人間批判だけで、語り口の面白さが無ければエッセイだ。それでも主人公の妹など、「登場人物」はいる。

・やはり、推理小説のように殺人事件でも起こらないとダメだろうか。或る意味、ドストエフスキーはそれである。バルザックがドストエフスキーほど人気が無いのは、そこだろう。

・殺人には限らないが、或る種の暴力の存在はほとんど必須なのではないか。私自身が完成まで至った作品は、暴力や「事件」が存在するものがほとんどだ。


・殺人事件、または暴力が連続する条件や舞台は何か。たとえば「ブラックラグーン」などは、街自体が暴力と殺人の街である。しかし主人公には暴力属性は無いため、「巻き込まれ型」の話になる。キャラがたくさん登場し、その大半が魅力的である。そのキャラ作りの面を工夫すべきだろう。
・時代や状況が暴力的な場合もある。戦時中の話、あるいは暴力が支配の条件だった中世や古代の話。現代は、暴力が日常の表舞台から隠されている隠微な暴力の時代である。

・主人公の上昇感覚と能力発揮の快感は重要。

・「涼宮ハルヒ」の話は、実はSF要素がゼロでも面白いはずである。実際、ハルヒ自身は自分の周囲のSF的状況に気づいていない。しかし、彼女の奇行が原因で面白い事件が起こっている。これは、彼女の超能力とは無関係でも面白いはずだ。つまり、「事件を起こすキャラクター」がいれば、涼宮ハルヒ的世界は作れるということだろう。この点に関して、ヒッチコックが、「登場人物に、水一杯でも何でもいいから『欲しがらせる』ことだ」と、ドラマの本質を述べている。

・SF的要素の無い「涼宮ハルヒ」的世界が「氷菓」と言えるかもしれない。この場合、「事件を起こす人間」は千反田エルということになる。語り手の立ち位置もキョン的である。この二つの作品の相違は、前者がSF、後者が推理小説の風味であることだろう。そして人物全体のキャラの魅力が後者は薄い。陰険な人物が仲間にいるというのはあまり愉快ではない。もちろん、それによって出来事に陰影が生まれるのかもしれない。

・舞台を大学にした場合、「行事」があまり無い、というのが最大の問題になる。(高校や中学というのは行事の宝庫である。)したがって、大学ではもっぱら恋愛と性的関係の話が中心になる。大学生活を描いた「面白い」話は非常に少ない。それは、「行事」がほとんど無いからだと私は思っている。しかし、アルバイトなどでの「本物の社会」との関わりを入れれば、高校生の気楽な浮遊生活とは異なる「重い現実」の要素を含む娯楽作が描けるかもしれない。

・ちなみに、高校生活の浮遊感覚を描いた系譜は「漫画版うる星やつら」→「映画ビューティフルドリーマー」→「涼宮ハルヒの憂鬱」→「わたモテ」となるのではないか。「わたモテ」の理想が「涼宮ハルヒ」にあることは確かだと思う。しかし、「わたモテ」になるとSF要素はほとんどゼロである。そのため、作中の主な出来事はほとんど学校行事から派生している。

・「氷菓」で一番面白いのは文化祭で、それ以外はあまり面白くはない。
・「ハルヒ」「氷菓」「わたモテ」の三つに共通するのは「映画作りをすること」。(「わたモテ」では、これから作ろうとしている。)

・森鴎外も夏目漱石も「事件」に興味を持つタイプではないと思うが、事件に際しての人間の心理に興味を持ってはいたと思う。つまり、「テーマ主義」だったのではないか。

・何度か書いているが、女性の場合は男と女がくっつくかどうかというテーマが最大の関心の的になるようだ。で、どのような男を好きになるかというのが、分かりにくい。「高慢と偏見」だと、ミスタ・ダーシーは男の目から見ても魅力的だが、それが作品世界では周囲に理解されていないという点が、読者の感興を盛り上げるのではないか。これは「タッチ」パターンかもしれない。できれば、「いい人でも女が好きになるとは限らない」ことの秘密を女性の手で明かしてほしいのだが、たとえば「メゾン一刻」でも、響子さんは五代にさほど惹かれてはいないのが、五代が彼女に死ぬほど惚れていることでだんだんと好きになる。誰かが言ったように「女性は自分を好きになる男を好きになる」ということだろうか。それ以前の、女子高生時代に教師に惚れる件はまったく謎で、周囲がその教師を低く見ているので同情心から好きになったという感じがある。そこから結婚まで行くのも不思議だ。
基本的には、バルザックの作中の貴婦人が言ったように、「女は他の女が好きにならないような男には惚れない」という、付和雷同性が女性は強いと思う(これは、プレイボーイを好きになり、その男と結ばれると、他の女たちが欲しがる男が自分のものになった、ということになる。そういう「自分の価値の上昇」と勝利感が底にある。)が、そうなると、人の知らない性格的美点によって惚れるというのは困難になるのだろう。だからこそ、「高慢と偏見」のベスがダーシーに惚れるのも、ダーシーの隠れた善行によってであるのは自然である。

・SF的な仕掛けというのは、そう見えるほど高度な能力を要するものなのだろうか。確かにタイムワープ(リープ)物は、整合性をつけるのに頭を使うだろうが、たとえば怪獣ものなどはいくらでも粗製乱造されてきた歴史がある。
・推理物に比べるとSF物のほうがセンスオブワンダーがあり、ワクワク感が高いわけだ。そこが「涼宮ハルヒ」と「氷菓」の違いだろう。「わたモテ」になると、SFでも推理でもなく、ただキャラの魅力によって、話の進展に伴うキャラの相互関係に視聴者(読者)が限りない興味を持つわけで、純粋の青春漫画と言えるだろう。

・「エル・ハザード」などは、初期の異世界転生もので、しかも高校生3人と教師1人が異世界に転生するという仕掛けだ。こういうのも案外珍しいのではないか。現在の異世界転生物は主人公1人だけの転生というのが普通だろう。
・「GATE」は異世界転生ではなく、異世界接触物と言えそうだ。ファンタジー的世界と現代の東京との間に穴があいて、お互いの世界に行き来できるというのも、(「犬夜叉」もそうだが)ほかにはあまり無いと思う。一部は「戦国自衛隊」に近い。「タイムライン」も戦国自衛隊パターンだが、装備無しで中世世界に行く点が少し違う。やはり「GATE」があって行き来できるパターンのほうが面白そうだ。

・「あっぱれクライトン」のように、現代での評価が異世界では逆転する、というのも面白いかもしれない。つまり、「全員が美男美女」の世界に行くと、こちらの世界の美男美女はまったく無価値になる、という感じ。「こちらの世界」で、好きな女の子が主人公の友人のハンサム男に恋していると知って失恋したその日にその3人が異世界に転生するわけだ。で、主人公の山男かゴリラめいた男がモテまくり、他のふたりは下男下女扱いになる。















日本の軍歌[編集]

軍歌の分類[編集]

日本の軍歌の歴史[編集]

明治初年-日清戦争[編集]

日本最初の軍歌は東征軍の進軍歌『トンヤレ節』であるとされる[1][2]俗謡調[2][3]の官製軍歌[1]であった。1869年に横浜に薩摩藩軍楽隊がつくられ、軍によって正式に軍歌がつくられるようになった[3]。その最初のものは海軍儀制曲『海ゆかば』で、『続日本紀』から引用した大伴家持の古歌に東儀季芳が曲を付けた雅楽調であるが、海軍軍楽師瀬戸口藤吉がその旋律を『軍艦行進曲』のトリオ部に採用したため[3]信時潔作曲の『海行かば』とよく混同されることがある[7]

東京大学文学部長や文部大臣を歴任した外山正一は1882年、5年前の西南戦争を題材に「抜刀隊」という名の詩を発表、詩詞において、国民の一体感や士気の高揚を目的として制作した旨を述べた[8]。外山はジャンルとしての軍歌の確立に向けて活動し、清国との外交関係が悪化しはじめた1885年、「軍歌」という名の楽曲が制作され、一般国民が容易に歌唱・作詞ができるような平易なメロディーが特徴づけられた。また「抜刀隊」がシャルル・ルルーの作曲を得て初演された[9]

当時は作曲の技能を持ったものが少なかったことから、既存のメロディに歌詞をあてはめた、「替え歌」が多くつくられた[10]

日清戦争[編集]

1894年に日清戦争が勃発すると、新聞社が軍歌を公募するなど、軍歌は一気に国民規模のエンターテインメントへと変貌する。それまで政府批判を主な題材に用いていた演歌師も国権論に舵を切り、この風潮を支えた。ただし、それまでのエリート中心の厳選された楽曲と較べると、歌詞が稚拙であったり、民衆受けのするアジテーションが前面に押し出されたりするなど、平均的な作品の質は低下せざるを得なかった[11]

戦時下での軍歌は、それまでの作品とは異なり、戦況を題材にした具体的な歌詞によるものが多くなる。よって、はやりの軍歌の変遷はニュースの側面を持ち、軍歌の歌詞で戦況を追いかけることができるようになった[12]。また、戦闘で軍功を挙げた兵士を題材にした楽曲もつくられた[13]

日清戦争の2年間で、制作された軍歌は1300曲、軍歌集は140冊にのぼった[14]

日露戦争[編集]

1904年の日露戦争は、日清戦争直後の三国干渉以来の対抗感情(「臥薪嘗胆」)が国民の中に堆積しており、開戦直後から楽曲発表が相次いだ。その多くは大衆娯楽として量産され、完成した作品から小出しに販売されるような形態で売り出された。この結果マンネリ化し、既存の作品の焼き直し感は否めず、軍歌研究家の堀内敬造は、この時期の軍歌を日清戦争期と較べて「軍歌の不振期」と位置付けている[15]

この時期の軍歌は、個別の戦闘を謳ったニュース調のものよりも、特定の軍人を謳ったキャラクター重視の作品が受け、後世にも残った[16]

大正時代[編集]

日露戦争以降、日本が大きな戦争を体験することはなく、オリジナルの軍歌が流行することは少なかった。兵科ごとの曲や、軍学校校歌寮歌の類が目立つ。

一方で、国民に広く膾炙したそのメロディを転用した替え歌がはやり、メロディの本来の出自とは無関係に盛んに借用された。「日本海軍」の替え歌として反戦歌や労働歌、革命歌など、原曲の趣旨とは正反対の歌詞が当てはめられることも増え、更には日本の施政下にあった朝鮮半島における独立派のゲリラ軍が軍歌に流用した例[17]辛亥革命の革命歌が日清戦争の際の軍歌を流用した例もあった[18]

また、第一次世界大戦の主戦場となったヨーロッパにおいては盛んに軍歌が制作され、日本においても当時の欧米の流行歌として娯楽の対象になった[19]

日中戦争期[編集]

満州事変後、世論やメディアは事変を積極的に評価し、レコード会社はこれに便乗して軍歌を量産し始めた。1932年には爆弾三勇士の顕彰歌が乱発し、メディア各社が公募を行うなど、最終的には20曲近くに達した。

一方で、国内クーデターである五・一五事件を賛美する軍歌も発表されたためこれが大問題になり、1934年、出版法を改正、レコード検閲が開始された。ただし、内務省内の検閲当局は小規模であり、すべてのレコードを検閲することは不可能であったため、「内閲」(レコード会社内部での事前チェック)と「懇談」(当局とレコード会社側でのすり合わせ)という運用方針を確立し、阿吽の呼吸で効率的にレコード市場が国策に深く関わるようになる[20]

太平洋戦争期[編集]

太平洋戦争開戦とともにさらに数多くの軍歌・戦時歌謡が作られた。公募は戦争末期まで多く行われ、戦時下にあった外地にあっても相当数の応募が存在した。1942年に戦況が暗転し始めると、「海行かば」が国歌に次ぐ「国民の歌」に指定されるなど、大政翼賛会主導の下、「国民皆唱運動」が行われ、軍歌は名実ともに総力戦体制の一翼を担うようになった。更に、歴代の軍歌のリバイバルやレコード会社の統合再編、敵性音楽の禁止など、「上からの軍歌」の様相が強くなった[21]

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