侍 (映画)
侍 | |
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監督 | 岡本喜八 |
脚本 | 橋本忍 |
製作 | 田中友幸 |
出演者 | 三船敏郎 新珠三千代 小林桂樹 伊藤雄之助 |
音楽 | 佐藤勝 |
撮影 | 村井博 |
編集 | 黒岩義民 |
配給 | 東宝 |
公開 | ![]() |
上映時間 | 120分 |
製作国 | ![]() |
言語 | 日本語 |
『侍』(さむらい)は、1965年(昭和40年)に公開された日本映画。原作は郡司次郎正の「侍ニッポン」で、5度目の映画化。
三船プロダクション製作の2本目の映画作品で、三船にとっては長期にわたった『赤ひげ』の撮影後、最初の主演作品となった。桜田門外の変を題材に、暗い過去を背負った一人の浪人の生き方を描く。岡本監督としては初の本格的な時代劇映画となった。作品は、実録風のリアルなタッチで主人公を巡るドラマが進んでいく。クライマックスの井伊大老襲撃シーンでは桜田門外を大がかりに再現、雪景色の中の惨劇が白黒画面の中で展開する。2007年(平成19年)に東宝よりDVDが発売されている。
併映は、『社長シリーズ』の一本である『社長忍法帖』(監督:松林宗恵)。
あらすじ[編集]
安政7年の2月、大老井伊直弼の暗殺を画策する水戸浪士らは、連日桜田門の前で登城する井伊を待ち受け、決行の機会を伺っていた。しかし井伊は企てを見透かしたかの如く姿を現さない。浪士の首領である星野監物は、事を起こすためにかき集めた浪士以外の何れかが井伊側と通じているのではないかと踏み、取り巻きに思い当たる者の素性を調らべよと命じた。 そこで名が挙がったのが尾州浪人と名乗る新納鶴千代と、上州浪人の栗原栄之助の二人だった。新納はたしかに素性の怪しい人間で、住まいも係累もなく、日々の暮らしすらままならない素浪人だが、示現一流を修める剣術の使い手であるという。一方の栗原は上州藩で近習番を勤めていた侍で、屋敷に住み妻子もある身元の確かな人間であり、道場で師範を務め武芸に秀でている。
二人は全く違う動機を持って浪士たちに力を貸す人間だった。新納の動機は止むに止まれぬものだった。彼は実はやんごとなき血筋の落し胤なのだが、名もない妾腹の出であるために身分を明かすものがなく、本当の親が誰なのかを聞かされることもないまま、不遇な生涯を余儀なくされてきた。望む地位も名誉も得られず、許嫁との縁組みも許されず、出奔して江戸に流れ着いた彼はいまはすっかり落ちぶれて、ただ禄にありつくことしか考えられないほど困窮していた。一方の栗原は恵まれた暮らしを営む一家の主だが、剣だけでなく海外の書物をも読み耽る知識人で、思想的反発から井伊の圧政に弓を引きたいと考えていた。
やがて調べは進み、栗原の妻と井伊側の重臣である松平松平左兵督との間に遠い繋がりがあることが判明する。知らせを聞いた監物は栗原を裏切り者とみなし、新納に斬れとを命じる。すでに栗原と大親友の間柄となっていた新納は懊悩するが、仕官の望みを諦めることになると脅され、鬼となって栗原を斬り伏せる。しかしその直後、真の通報者が浪士隊幹部の増位惣兵衛であり、栗原は無実であったことが明らかになる。もはや浪士の運命から逃れられぬと悟った新納は、井伊暗殺への決意を新たにする。ところが、星野監物は新納が井伊直弼の落胤だという情報をつかみ新納を暗殺すべく刺客を送り込むが、新納は刺客を倒す。新納は刺客が星野監物が放ったものだとは気づかず、井伊暗殺に向かう。
そして3月3日の総登城の日、ついに井伊を乗せた籠が桜田門から出た。星野監物は新納が現れたことに驚愕するが、平静を装い井伊暗殺に向かう。必ずやその首を挙げると意気込み一斉に斬り込む水戸浪士、そして新納。しかし彼は知らなかった。自分の本当の父がまさにこれから手に掛けようとしている井伊直弼その人であることを。
スタッフ[編集]
- 製作:田中友幸
- 監督:岡本喜八
- 脚本:橋本忍
- 原作:郡司次郎正「侍ニッポン」
- 撮影:村井博
- 美術:阿久根厳
- 録音:西川善男
- 照明:西川鶴三
- 音楽:佐藤勝
- 整音:下永尚
- 監督助手:山本迪夫
- 編集:黒岩義民
- 合成:泉実
- 殺陣:久世竜
- 現像:キヌタ・ラボラトリー
- 製作担当者:鈴木政雄
キャスト[編集]
不遇な生まれ育ちの娘なのだが、だからこそ社会に「鍛えられている」わけだ。
作者の筆致はこのヒロインにまったく同情的ではないのも面白い。不遇は不遇として、彼女の性格は自分で作り上げたものでもあり、周囲の人間が彼女を嫌うのも、彼女が周囲の人間に見せる態度の反映だ、というのがちゃんと描かれている。
小説を書くのにお手本になりそうな作品である。
かなり冗談交じりの書き方なのだが、そのユーモアはディッケンズよりはどちらかと言うとフィールディングに近いか。
森薫に漫画化してもらいたい作品である。ユーモアの質は案外似ている気がする。
そして、戦いの場面の描写では、視覚芸術である漫画が小説より有利であるのは言うまでもない。小説の場合は、どうしても読者の想像に任せるしか動きの描写はできないのである。
そして、「敵」の描写においても漫画が有利だ。新しい敵を創造する場合、ビジュアル的に違う敵を出せばだいたい済むからである。(昔は、強大な敵を表現するのに、まさに身長や体重が常人の2倍も3倍もある巨人を出すことが多かったのは、漫画がまさにビジュアル性が生命だったからである。)
そこで、私ならどう書くか、どう作るか、という考察をしてみる。
まず、主人公は炭焼きにはしない。妹も出さないか、設定をまったく変える。つまり、鬼化するという設定はやめる。単に、親を鬼に殺されて、鬼退治をする兄妹にする。妹の気が優しいために、しばしば兄妹は危機に陥る。
この兄妹に絡めて、桃太郎の「犬、猿、雉」に相当する仲間を出す。犬は忠実で真面目な少年。猿は豪快だが優しくて頭が少し弱い大男。(この設定は変えてもいい。猿がずる賢い孤児の少年。犬が真面目な優しい大男)雉は高慢な美少女。遊女でもいい。犬太郎、佐吉(猿吉)、お吉。
鬼とは実は山賊か海賊だとしてもいい。つまり、村が麦わら頭の留非異一味に襲われ、村人はほとんど殺され、女たちは犯されて連れ去られた、ということ。
「桃太郎」に酒呑童子その他の説話をアレンジして加える。つまり、最終目的は海賊退治だが、その道中の話として山賊退治や都での経験などを入れる。一寸法師、鉢被り姫、かぐや姫、青頭巾の話、安倍晴明などが登場。源平の話を入れてもいい。つまり「ドリフターズ」日本限定版か。
前の3人に加えて「七人の侍」にしてもいい。あれも原型は「桃太郎」である。
以上に何か加えて新機軸を出したい。「鬼退治」は帝からの拝命とするか。つまり、両親の仇打ちという設定はやめる。もともとパロディにする要素はすべて消えているのだから。まあ、妹の存在くらいか。それもやめてもいい。しかし、女がふたりいたほうがドラマになりやすいか。
後から加わるのは「ルパン3世」的な連中。「遊び人の泥棒」流藩「クールな剣豪」五右衛門「真面目な剣豪」示現「忍者的な泥棒女」お藤(男性だけで7人、女性が3人となる)。最後は男は子供と主人公だけ、女は3人とも生き残る。
作品冒頭のエピグラム「剣に生きる者剣に死すべし」
まあ、ジュブナイル推理小説あるいはSF小説の冒頭として面白い。当然、あとはその死体が何者か、という話が中心になる。リュックサックが話の鍵になりそうだ。ふつう、リュックサックを背負って図書館の屋上には上らない。近親(兄)が失踪した若い女性が主人公、というのが面白いのではないか。発見者の高校生との絡みも面白いかもしれない。
(以下引用)
26日午後4時50分ごろ、兵庫県明石市明石公園の旧明石市立図書館の屋上で、ミイラ化した遺体を男子高校生(15)が見つけ、隣接する県立図書館の職員を通じて110番した。
兵庫県警明石署によると、遺体はあおむけに倒れており、目立った外傷などはなかったという。死後長期間が経過しているとみられ、性別や年齢は不明。黒いTシャツとズボン姿で作業靴を履いており、周囲にリュックサックと飲料水のペットボトルが落ちていた。同署は身元や死亡の経緯などを調べている。