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これも、歴史の「if」だが、あなたが昭和天皇の立場だったら、第二次大戦でどのような政略と軍略を取ったか、想像するのも面白いのではないか。いわゆる「元老」や政治家、軍人の意見を聞く必要はない、という前提だ。
そうすれば、確実に「戦争はやっても戦争の拡大は絶対に避ける」というのが大方針になるだろうし、独伊と三国同盟を結ぶという愚劣そのものの政策は取らないだろう。独も伊も日本まで救助に来る余裕も能力も無いからだ。つまり、この協定は世界で孤立化する以外の意味を持たなかったのである。単に、ナチスドイツの欧州制覇に目がくらんだ(勝ち馬に乗ろうとした)だけだ。そして、その軍事力を過大評価したのである。
まあ、満州事変の段階で、暴発軍人や軍隊(満州軍)を処罰するか、それ以前に満州進出を止めていたら、それが最高の正解だろう。
では、昭和大恐慌への対策はどうするか。それは、軍事とは別の話であり、満州進出がその解決策にならないというのは明々白々だろう。軍事拡大は好景気どころか国家破産の道なのである。今のアメリカや欧州はその道を進んでいる。
これは私が平和主義者であるゆえの偏見か? なら、軍事拡大が好景気を生むその理由を言ってほしいものだ。国内の生産力や労働力を軍事に振り向けて、なぜ好景気になるのだ? (他国の戦争ならその利用で好景気になる、というのは当然の話で論じるまでもない。)

問題は「日本を叩きのめそうとする」欧米の圧迫や挑発にどう対応するかである。あなたが国家元首ならどうする? そこが政略と軍略のしどころである。

ひとつの答えは「何もしない」だろう。完全に国内の政治と経済に全力を振り向けるのである。その内容は、また別の問題だ。愚行は「何もしない」より悪いのである。そして大東亜戦争の、あるいは太平洋戦争での日本の破滅は愚行に次ぐ愚行の歴史なのである。そしてそれは226後も軍部の増長が止められなかった結果なのである。つまり、政治が軍部に完全に簒奪されていたのである。それが完全に表面化したというのが「大政翼賛会」の意味だ。
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考えてみると、私は現代文学というのをほとんど読んだことがない。特にアメリカ文学はそうだ。イギリスだと、サマセット・モームあたりが最後か。グレアム・グリーンは読んだことがない。カズオ・イシグロなどは、何かの冒頭を数行読んだだけで挫折した。アメリカだと、カート・ヴォネガットやジョン・アービングの作品の映画化は見たが、その原作を読もうという気にはならなかった。
なぜ、それらを読む気にならないか、というと、「文学、あるいは純文学は終わったジャンルである」というのが私の心の底にあるからだと思われる。大衆小説には時々面白いのが出るだろうが、それらにしても、ドストエフスキーやトルストイの小説のように面白いだろうとは思えないのである。現代小説は、過去の小説群の焼き直しにしかならない、ということだ。新しい風俗の描写を入れたところで、過去の名作を超えることにはならない。人間心理の掘り下げも、19世紀から20世紀初頭でほぼし尽くしているだろう。知的レベルでもユーモアでも、現代小説が過去の大文学を上回るとは思えない。
つまり、モームの選んだ「世界の十大小説」を読めば、もはや小説を読む意味はほとんど無い、ということだ。これは私が高校生のころに予感したことだが、まあ、20世紀初頭までは、たとえばバーナード・ショーなども「読んで面白い」小説だった。それが現代小説とどこが違うのか、というのはいい考察課題になりそうだ。
なお、読んで面白いかどうかは別として、1950年代くらいに書かれた(と思うが)「1984年」などが、今でも世界の実相を指摘する深い洞察を示しているのは、そのころまでは西洋知識人にも優れた知性があったということだろうか。その知性の劣化は、神の非存在が明白になったため、西洋人は哲学的考察の習慣を失ったためかもしれない。それは同時に西洋の道徳的劣化をも生んでいる。
「風姿花伝」の中に、「しおれたる風情とは、『花』よりも高度な美感である」という意味の言葉があり、それに続けて、「美しい花がしおれているからこそ面白いのであって、花の咲かない草木がしおれたところで何の面白みがあろうか」と言っている。

しおれた花の美しさ、というのは世界でも稀な思想だろう。それに近いのは「廃墟の美」だろうか。廃墟に魅せられる人は多いと思うが、それは、その「栄華の時」の幻想が、現実の廃墟と重ね合わされたものかと思う。

昔の学校唱歌で「荒城の月」というのがあったが、まさに「昔の光 今いずこ」という詠嘆である。

ついでに言えば、俳句の「さび、しおり」の「しおり」も、能楽の「しおれたる風情」のことかと思われる。つまり、当時の芸術家には「風姿花伝」は、芸術思想の基本テキストだったと思われるからだ。で、「さび」は「寂しさ」の美感であり、「しおり」は上記の「しおれたる風情」だと思われる。
たぶん、ほとんどの人に興味の無い話だろうと思うし、例によって書きながら考えるので、(これは、小林秀雄もそうだったらしい。書いていないときは何も考えていないに等しいという感じだったとか。)とりあえず、メモ中心のこちらのブログに書いておく。

1:恩田陸と小川未明の類縁性
2:三島由紀夫とリラダンの「残酷物語」(なぜリラダンはこの作品集に「残酷物語」と名付けたか)(「ヴィルジニーとポール」の何が「残酷」なのか)
3:残酷さと詩情(「雨の中の噴水」)
4:残酷さとは「リアルな人生の姿」であること→それがなぜ「詩情」を生むかという、不思議なメカニズム→「グロテスク」な描写には「詩情」は無い
5:小川未明の童話の「残酷さと詩情」、宮沢賢治の童話の「残酷さと詩情」
6:詩情とは「もののあはれ」であり、「あはれ」とは「哀れ」でもある
7:悲しみと詩情の近縁性(「喜び」における「詩情の欠如」と対照的)
8:「喪失(別れ)」の悲しみと詩情
9:「山の人生」の親による子殺しの残酷さと夕日の対照による異常な効果→この「子殺し」は、はたして「グロテスク」か? 子供自身がその死を望んだことの「哀切さ」

といったところか。



私はエロ小説やエロ描写が嫌いで、性的描写で面白いと思うのは、マルキ・ド・サドのように「人間生活の症例報告」みたいな筆致で冷静に書いた小説くらいである。
で、私自身が興味が無いせいか、女性作家の「エロ描写」というのは、ほとんど見たことがない。まあ、それだけ女性は世間体を気にするからだろうとは想像できる。男の性描写だってロクなものは無いのではないか。セックスそのものは挿入して射精して終わりなのだから、問題は「どういう女性を相手にするか」だけになる。で、相手の女性を性的に刺激してエクスタシーに達せさせるのがエロ小説の常だと思うが、ご苦労な話である。単なる御奉仕ではないか。
ただ、そこには、自分が愛し賛美している女性が他の男によって快感を得ることへの敗北感が背後にあると思う。(セックスにおける「勝利と敗北」という概念が男にはあるわけだ。)「千一夜物語」の王様のように、国内の処女に次々と相手をさせて、処女を奪った相手は翌朝殺す、というのが、男の征服欲(性的敗北忌避)の「合理的」処置法ではあるかと思う。

(以下引用)

男性小説家が女性について描写する際、ぞっとするくらい気持ち悪い筆致の作家がいる

2024年08月02日 02:05

何を書いても構いませんので@生活板140
929 :名無し : 24/07/27(土) 22:20:27 ID:FS.24.L1
男性小説家が女性について描写する際、
ぞっとするくらい気持ち悪い筆致の作家さんと、
特に嫌悪感を抱かない筆致の作家さんの二種類がいらっしゃるように思う



気持ち悪いほうの作家さんの共通点を考えると、
なんかじめじめしてて卑屈っぽいわりに欲望だけは粘液みたいに
ぬめぬめ染み出してる感じが似てる

せっかく話自体は面白いのに、彼女や妻や好きな人や美女を描写する部分に入ったら途端に、
欲まみれの目線でうなじやら汗やら匂いやらをねちっこく書き連ね始めるので
(うわ~来たわこういうの)ってなっちゃう(笑)

もちろん官能小説ではなくて大衆小説の中での話

男性読者目線ではそういう描写は逆にサービスシーンみたいに思えるんだろうか

931 :名無し : 24/07/27(土) 23:12:26 ID:qR.zb.L1
>>929
そういう、ある人には嫌悪感しかないぬめぬめした欲望の煮凝りみたいな小説が、
ある人にとってはたまらなくハマったり救われたりするから
創作物は面白いんだよ

どっちがいい悪いでも、どっちが益害でもない、両方が存在することが
必要で意義があるんだよね

コメント

  1. 名無しさん : 2024/08/02 02:26:45 ID: 7VmxSZjs

    わかる
    気持ち悪くなるタイプの作家結構いる

  2. 名無しさん : 2024/08/02 02:31:23 ID: XOPhpMMc

    文字だけでそれだけ感情を揺さぶることができるなんて創作物として大成功じゃないの

  3. 名無しさん : 2024/08/02 02:38:27 ID: XlMDHJOM

    単に自分の好き嫌いに叩いても良い免罪符を得ようとしてる様がとてつもなく気持ち悪いですね

  4. 名無しさん : 2024/08/02 02:57:02 ID: cDOroQeU

    純文学も色恋ドロドロで困惑した子どもの頃の思い出
    キモい作者といえばまず谷崎潤一郎
    もろ特殊セイ癖でまあ平然と世に出せたなと
    川端康成も偏屈ジジイがセイ描写マシマシでキモい
    反して夏目漱石は色恋はほぼないけど女性に対して淡白超えて同じ人間として見てない感じがして苦手
    坊っちゃんとかプライド高いひねた性格にしか見えないし、他の作品含めて主人公の嫉妬とかとても成熟してない人間性がどうも共感出来ない
    メンタルマッチョな作者なイメージ

  5. 名無しさん : 2024/08/02 03:01:45 ID: mZIfeZOE

    貴志祐介の悪口はそこまでだ。

  6. 名無しさん : 2024/08/02 03:08:53 ID: fEzhPWM2

    >>3
    ありとあらゆる女性に関する表現は好きに叩いていい時代だからな
    タバコと同じ扱い

  7. 名無しさん : 2024/08/02 03:51:43 ID: fa12l78E

    純文学じゃなくてラノベだけど、
    自分は魔法科高校の原作の妹の表現が苦手。
    褒め方がいちいち他の女と比べてどうだ、
    この村一番のべっぴんだばかりで
    主観的な美しさが何も無い。
    多少ネチネチヌメヌメ入ってもいいから、
    女を褒める時は絶対的に褒めろって思う。

  8. 名無しさん : 2024/08/02 04:13:47 ID: K.lJeosM

    ただ感想を述べてるだけやん。
    感想を述べるのは自由だぞ。
    いちいち過剰反応するなよ

  9. 名無しさん : 2024/08/02 04:53:00 ID: xahaT0H6

    スレは気持ち悪いタイプの見本だね
    生理的にキモい

  10. 名無しさん : 2024/08/02 04:56:28 ID: aILN7mhM

    抽象的な議題で話が進んでて具体的じゃないから、モヤモヤするなあ。

  11. 名無しさん : 2024/08/02 05:24:44 ID: BOShY2fI

    私にとって井上靖がそうだわ
    女が一人も出てこない「天平の甍」でさえ主人公のセーヨクから話が始まるのでげんなり

  12. 名無しさん : 2024/08/02 05:56:17 ID: XsfSx2XA

    ○辺淳一とか渡○淳一とか渡辺○一とか渡辺淳○とか?

    谷崎潤一郎はキモいの多いけど蘆刈とか吉野葛はそうでもない
    魔術師とか人魚の嘆きとかも

  13. 名無しさん : 2024/08/02 06:08:45 ID: 4Gxyk2Vg

    例えば花村萬月みたいに全編ねちっこいのは気にならないけど、それまでサラッと読んできたのに急に部分的なねちっこさを感じると嫌悪感が湧くのかな?
    私は赤川次郎の『プロメテウスの乙女』が彼の一番いい作品だと思ってるけど、三毛猫ホームズが好きだった伯母には「それだけは好きになれない作品だ」と言われた
    趣味全開だとヒいちゃうとかあるあるかもしれない
    賭博や乗物でも出やすい

  14. 名無しさん : 2024/08/02 06:14:30 ID: Jsdrbtz6

    気にしたことなかったけど○辺淳一みたいなやつのことか
    ※欄もいつも何でもない話に対して嫉妬してるとか金持ちアピールだのどこをどうしたらそこまでひねくれられるの?っていう報告者叩きがあるもんな

  15. 名無しさん : 2024/08/02 06:18:41 ID: ywEnsO8Y

    むしろ記事>>1の感性の方が‡モくないでしょうか?

  16. 名無しさん : 2024/08/02 06:46:20 ID: pnfv3cLk

    自分でドスケベなモノを好んで見といてそれはあんまりだろ
    肥溜めにわざわざ近付いて「臭い!汚い!」と言うようなもんだ

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