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小説の主人公として魅力のあるのはどういう人物かと言えば、やはり超人的な能力がありながら善意の持ち主であることだろうか。たとえば、ジャン・ヴァルジャンなどであり。善良でない人間は、話を進める上では面白い存在だが、好きになれるものではない。

魅力のある人物(男性)の魅力の要素を並べてみる。数字は別に魅力の順位ではない。 

1:善良である。
2:頭がいい。
3:勇気と根性がある。
4:騎士道精神がある。
5:ユーモア精神がある。
6:人を観る目がある。
7:寛大である。優しい。
8:他愛ない弱点がある。(当人の可愛さがある)
9:度量が大きい。
10:誠実である。人を裏切らない。

たとえば漱石の「坊ちゃん」などは、上記のうちで(1,3,4、8,10)などの美点があるが、その美点が「そそっかしい」「考えが浅い」「考えずに行動する」などの欠点があるために、逆に事件を自ら引き起こす。
つまり、上記のすべてを備えていると、話そのものが起こらないわけだ。
そこで、上記の美点を数人に分配すると、話に都合がいいわけだ。
あだち充の作品の主人公は、たとえば「タッチ」の達也にしても、美点が多いのだが、その美点が周囲に理解されないことから、話は転がるわけである。もちろん、達也以上に「周囲に高く評価されている」和也の存在によって、達也は実力よりはるか下に評価されており、それを読む読者の共感と同情を得る仕組みになっている。巧妙な仕掛けである。だが、これは小説でも可能な方法だろうか。

私がまったく理解できないのは、女性から見ての男の魅力とは何かということである。これは本当に理解できない。ひとつ言えることは、バルザックの小説で或る貴族の夫人が言った「女は、他の女が評価しない男にはまったく興味を持たないのよ」という言葉である。
とりあえず、有名文学作品の男主人公の中で女性読者から見て魅力的だと思える人物の人気投票をしたらどうなるだろうか。私の予想だと「嵐が丘」のヒースクリフあたりが人気上位になりそうな気がする。で、男からの人気投票だと、おそらくかなり下位だろう。つまり、「恋愛の相手になる男」「誰か(女主人公、つまり読者のアバター)のためにすべてを犠牲にする、恋愛のためだけに生きる男」が人気を得るのではないか。で、そういう男は男から見ると糞なのである。いくら愛した女でも、既に結婚した相手の家庭を壊す行為は唾棄すべきものだと感じる男のほうが多数派なのではないか。つまり、人生における恋愛の価値が男と女ではかなり違うだろう。いや、これは私が日本人だからそう思うので、西洋の小説には、男が書いた作品でも、恋愛のために身を滅ぼす男は無数に描かれている。
これは不思議な現象だと思う。たとえAという相手に失恋しても、Bという相手と恋愛して幸福な人生を送ることは無数にあることだし、Aを得られなければ相手を殺して自分も死ぬということの何が偉いのか、素晴らしいことなのか、私にはまったく理解不能なのである。
ただし、バルザックのウジェニー・グランデのように、恋愛妄想だけのために一生を費やすという行為もまた「凄い人生」だとは思う。だが、やはりそれは女性の生き方の特殊例であって、恋愛機会の少なかった時代の話であり、社会の中で生きる男の生き方としてはかなり奇形だろう。




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における口径は、銃身の内径(≒発射される弾丸の直径)を示す。単位としては、ヨーロッパで主用されるメートル法米国で用いられるヤード・ポンド法の二つが用いられている。このほか重量単位が用いられることがある。銃身長は3インチや77ミリメートルといった実測値がそのまま表記される。

軍用弾においては、弾種は7.62x54mmR弾に見られるように口径×薬莢長の表記が用いられている。米国で開発された.50 BMG弾と.223レミントン弾がNATOの標準弾に指定された際には、12.7x99mm NATO弾5.56x45mm NATO弾としてヤード・ポンド法表記から口径×薬莢長のメートル法表記に改められた。

拳銃などにおいて、n口径とは、銃口の内径が「100分のn」インチであることを意味し、独立の単位として存在する。1インチは25.4ミリ(=2.54センチメートル)であるので、たとえば40口径は約10ミリである。また、50口径は別名「半インチ」(12.7mm)となる。表記においては小数点(.)を数字の前に書き記すことも多い。口径の後ろに固有の名前をつけて弾種が表される。たとえば、日本の警察用拳銃、ニューナンブM60(現在はS&W M37だが同じ)の口径は38口径で弾薬.38スペシャル弾が用いられている。まれに、弾丸の直径ではなく薬莢の直径を表している場合がある。一般に38口径≒9mmとされているが、薬莢の直径が0.38インチ(9.65mm)であり、弾丸の直径が9mmである。.357マグナム弾(0.357インチ=9mm)用の銃は、.38スペシャル弾を発射することが可能であるが、この場合は数値は異なっているが、実際に発射される弾丸のサイズは同じである。

直感的にだが、引用文中の川崎氏の考えは的外れだろう、という気がする。
「わかりやすい表現はマンガ家の寿命を縮める」というほど、他の漫画家の漫画歴を彼は熟知しているのだろうか。短命に終わった漫画家は、「わかりやすい」から短命だったのか。「分かりやすい」のではなく、絵や話が小学生レベルだっただけではないのか。そして、その中には幼児時代の郷愁から年月が経っても一定の支持を得る「キン肉マン」のような作品もある。
確かに、つげ義春のように「わかりやすい」とは言えない漫画家が高い評価を得ることはあるが、それは分かりにくさのための高評価ではなく、その芸術的達成度の高さのためだろう。逆に、表現は一見「分かりやすい」が、その漫画技術の高さ(たとえばコマ運びの上手さや細部の描写の的確さ)ではなく、話やキャラや「分かりやすいギャグ」が大衆の自然な好みにあって好感を得ている「スパイ×ファミリー」など、「分かりやすさ」云々を越えた生命力を持っているのではないか。ネットで一部の偏屈なファンから「面白い」と評判された「素人には分かりにくい」ギャグマンガの大半は実に人気が短かったではないか。
ついでに言えば、紙屋氏の文末での発言は「ミステリー性」や「サスペンス性」と「分かりにくさ」を混同するという、初歩的な勘違いをしている。高等数学の問題は分かりにくいが、ほとんどの人間にはまったく興味を引かないのである。人間関係の葛藤とはまったく別の話だ。

(以下「紙屋研究所」から引用)


 さて、この川崎の本の中に、売れないマンガ家を続けるコツとして「『わかりやすさ』と距離を置くこと」というテーゼが示されている。

 わかりやすさはある方向への偏り(偏向)かもしれないし、もっと深く考えられる主題を浅くしてしまっている危険をはらんでいるのかもしれない、と川崎は警戒するのだ。

わかりやすい表現はマンガ家の寿命を縮める

とまで言う。

 『ブルーピリオド』12で主人公が興味を抱いたアートコレクティブのリーダーのアジテーションが「わかりやすく」、主人公が「シンプルな存在になれる」と感じてしまうその危険な魅力を描いていたことをぼくは紹介した。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 わかりやすくしたい、というのはぼくの基本的欲求であるので、このテーゼはむしろぼくと対立する。しかし、言いたいことはわかる。物事はそれほど単純ではないのである。しかし、その単純でなさが多くの人を問題から遠ざけてしまっているのであればやはりわかりやすくすることには大義がある。

 だが、ここではあえてこの川崎のテーゼを考えてみたい。

 最近そのことを感じたのは、木村イマ『シュガーレス・シュガー』1を読んだ時であった。

 

 

 昔は小説に応募して入選したこともあり作家にもなりたかった平凡な主婦・柴田業(しばた・ごう)は新進気鋭のSF作家・弦巻融(つるまき・とおる)と喫茶店で知り合う。弦巻との交流に刺激を受けてモノを書くことに目覚めるが、そこにのめり込む様子を見て柴田の夫は不安を感じる。夫のいる妻の行動としておかしくないか? 昼間の主婦に行動として逸脱してはいないか? と疑問をぶつけるのである。

結婚している女性が家族でもない男と会っていたらおかしいでしょ

 柴田はキレる。夫は自分の書いた小説をロクに読みもしない、つまり自分そのものに何の興味も示さなくなっているくせに、妻や母や主婦としての役割だけを形式的に求めようとするからである。

結婚して子供がいても私だよ!!

母親やって妻やってもも私は私だよ

役割のために生きてるんじゃない

 泣きながら飛び出して、しかしすぐに柴田は反省をする。

女性の一生を乗りこなすのは容易い

女性というパッケージに妻というパッケージ 親というパッケージ それさえ用意できれば主体性などなくても乗りこなしていける

SNSに以前投稿した小賢しい自分の一文を読み直しつつ

何をのぼせているんだろうか

今までパッケージに頼って生きてきたのは私じゃないか

自己批判をするのだ。

帰りたくない…

このまま全部やり直したい

 しかしこのような「役割」を破壊したくなる衝動は、そんなに単純に「役割」という檻を壊せるものではない。

 柴田は結局「役割」に戻っていこうとする。

 だが、それを壊そうとする衝動は常に自分の中に蓄積していく。

 「役割」を壊そうとする「私」たらんとする衝動と矛盾は解決していない。一体この矛盾とどう折り合いをつけるのか、と不安に満ちた展開を示して1巻は閉じられる。

 一体どうする気なんだ、と思う。

 その「わかりにくさ」がこの作品の矛盾に満ちた推進力になっている。



キャラクター

1:孫悟空:「男の子」で、女々しいものや複雑なものが大嫌い。直情径行。「力こそパワー」という思想のマッチョ。暇があれば筋トレと格闘技の訓練をしている。魔法も使えるが武術を好む。
2:猪八戒:天界一の美男子で、月の女神嫦娥との恋愛遊戯に耽っていたが、天帝の怒りに触れて地上に落とされ、豚の胎内に入り、豚の化け物として生まれ代わるが、美男子にも変化できる。色事と美食が大好きで仕事嫌い。快楽主義者。妖艶な美女が好きでロリ趣味はゼロ。戦闘は嫌い。
3:沙悟浄:天界での些細な失敗で下界に落とされ河の怪物となるが、その処分のあまりの不条理さに怒りを持ち、虚無主義的哲学者となる。孫悟空をも猪八戒をも軽蔑しているが、三蔵法師には一目置いている。根が真面目。人間の姿の時はやせ型で頭頂を剃り、長い口髭を伸ばしている。基本的に懐疑主義者。他人をなかなか信じない。睡眠をまったくとらない。戦闘は魔法頼り。
4:三蔵法師:超真面目人間で融通が利かない。厳格な道徳家。他人にも自分にも厳しい。一日も早く天竺からお経を持ち帰ることが念願で、いつも気が急いている。日常的な仕事にはまったく無能。他の3人にとっては世話の焼ける子供。魔法は使えないが「魔法破り」ができる。
5:龍馬:もともとは龍だったが、今は馬の姿をしている。三蔵の乗馬。同行者たちに関心が無いでもないが、基本的には仕事として彼らにつきあっている。不満があればいつでも龍になって飛び去るつもりである。カノンの命令には絶対服従する。
6:カノン:観音の化身の少女。魔法で極小の姿になれる。女性版らんまに姿も性格も似ている。法師一行への援助は必要最低限であるように釈迦牟尼から命じられている。

基本プロット

1:太宗の病気と死、地獄での経験。蘇生。天竺へお経を取りに行くプロジェクトを構想。
2:三蔵法師への下命。
3:三蔵法師の出立。
4:孫悟空との出会い。彼をお供にする。
5:猪八戒との出会い。彼をお供にする。
6:沙悟浄との出会い。彼をお供にする。
7:カノンとの出会い。
8:龍馬との出会い。

以下、怪物との遭遇と天竺までの旅。(長安→チベット→天竺)
「西遊記」のリライト版というか、下敷きにしたライトノベルを書いてみようかと思っている。ただ、主要登場人物を人間にしたものかどうか迷っている。人間にすると「最遊記」(読んだことはないが)みたいで不愉快である。化け物のままだと現代の人間には感情移入が難しそうだ。原作のほうが「ドラゴンボール」よりはるかに面白いのではないかと私は思うのだが、現代の子供は原作を読んだことはないだろうし、子供向けのリライト版を面白いと思えるかどうか疑問だ。
まあ、アニメ脚本にして、主人公たちは普段は人間の姿で、闘争場面だけ妖怪の姿になる、とするか。

(以下引用)

主要登場キャラクター[編集]

西游真詮 图像6 孫行者(孫悟空)
西游真詮 图像7 猪八戒
西游真詮 图像8 沙僧(沙悟浄)
西游真詮 图像5 唐僧(三蔵法師)
孫悟空そん ごくう
“悟空”は仙術の師匠・須菩提祖師からもらった法号であるため、「実名敬避俗」(参照)に準じ“孫行者”と呼ばれる。孫悟空の孫は猿の昔の呼び方である「猢猻」から来ている(“猢”は縁起が悪いため、子と系で釣り合いの良い“猻”の獣偏を取った“孫”を名前に取り入れ、悟空は十番目の弟子だった為“穎悟円覚”の悟の字から取り入れた)。
はじめの通称は「美猴王」(びこうおう)、天界時の自称は「斉天大聖」(せいてんたいせい)。
天界の乗っ取りを目論み下界の妖怪を引き連れて反乱を起こすが、釈迦如来の策で五行山に五百年間拘束される。罪を償うべく三蔵の弟子として同行し、妖魔を下して取経の旅を支えた。西域より帰還の後、未来世に成仏して闘戦勝仏となることを釈迦如来より約束される(これを記別という)。
猪八戒ちょ はっかい
“八戒”は「実名敬避俗」に準じた通称であり、観音菩薩からもらった法号は「猪悟能」(ちょごのう)。天界から地上へと落とされた際、雌豚の胎内に入ってしまったため、容姿が豚となってしまう。
天界時の官職は「天蓬元帥」(てんぽうげんすい)。
転生後は福梁山で悪事を重ね、高老荘で翠蘭という人間の女と結婚していたが、先んじて三蔵に同行していた悟空と一騎討ちをしたのち旅に加わった。西域より帰還の後、未来世に「浄壇使者」(じょうだんししゃ)となることを釈迦如来より約束される。
沙悟浄さ ごじょう
“悟浄”は観音菩薩からもらった法号であるため、「実名敬避俗」に準じ“沙和尚”と呼ばれる。悟空と八戒との間を取り持つ役。天界から流沙河に追放され、そこで人を襲う妖怪となり、赤い髪に青黒い肌となった。川に住む妖怪から、日本では河童の姿で表現される。
天界時の官職は「捲簾大将」(けんれんたいしょう)。
西域より帰還の後、未来世に「金身羅漢」(こんしんらかん)となることを釈迦如来より約束され、天界の池に住まうことを許される。
三蔵法師さんぞうほうし
俗名は陳江流[8]。三蔵法師は尊称、法名は「玄奘三蔵」(げんじょうさんぞう)。この人物には実在のモデルがいるが、劇中の内容は史実とは全く異なる。
生まれる前に父を殺され[9]、母を奪われて、生まれてすぐに川に流されるが、金山寺[10] で拾われずっとそこで育てられる。観音菩薩の命を受けて天竺へと取経の旅へ遣わされる。その際、太宗皇帝と義兄弟となった。
前世で天界にいた時は釈迦の第二の弟子、「金蝉子」(こんぜんし)であったが、仏法を軽んじたため下界に落とされた。
西域より帰還の後、未来に「旃檀功徳仏」(せんだんくどくぶつ)という仏に成る記別を釈迦如来より与えられる。
玉龍ぎょくりゅう
四海龍王の一人・西海龍王敖閏の第3太子であり三蔵が乗っている馬に化身している。
西域より帰還の後、未来世に「八部天竜」(はちぶてんりゅう)、またの名を天竜八部衆になると釈迦如来より約束される。
釈迦如来しゃかにょらい
西方の霊山大雷音寺に住み、天帝の依頼で孫悟空を退治した。天界で暴れ、強者こそが尊いとして天帝に位を譲れという孫悟空を痛罵し、その力を見せてみよと挑発した。如来の右の手のひらから飛び出せるか賭けをすることになり、悟空は觔斗雲きんとうんで飛び去るが、はたして最果ての天の柱は如来の指であった。まやかしの術だと抗弁する悟空を手で打ち据え、押さえつけて、五行山に閉じ込めて封印してしまう。
観世音菩薩かんぜおんぼさつ
鳩摩羅什による訳語、観世音菩薩がの二代目皇帝李世民の名“世”から避諱により唐時代の中国では観音菩薩。玄奘三蔵の訳では観自在菩薩。落伽山に住んでいる。悟空が逃げないように、老婆の姿になって三蔵に緊箍児(僧頭巾)と、緊箍呪(定心真言)・鬆箍呪を教えた(は緊呪で締まり、鬆呪で緩む)。
哪吒太子なた たいし
天界軍を指揮する托塔李天王の息子。火尖槍と風火二輪を使う。『封神演義』では主役級のキャラクター。
顕聖二郎真君けんせいじろうしんくん
天界を治める神である玉帝の妹の息子。悟空が天界に対して反乱を起こした際に悟空を捕えることに成功する。『封神演義』では楊戩と呼ばれ、哪と並んで主役級のキャラクター。
牛魔王ぎゅうまおう
牛の妖仙であり孫悟空の義兄弟。
鉄扇公主てっせんこうしゅ
牛魔王の妻。日本では種族名の羅刹女らせつにょ/らせつじょの名で呼ばれることが多い。火焔山の炎を消すことができる芭蕉扇を持つ。
紅孩児こうがいじ
牛魔王と羅刹女の息子。聖嬰大王と号する。牛魔王繋がりで孫悟空から見て甥ということになるが、紅孩児本人は甥呼ばわり(中国では人を馬鹿にする際に、相手を甥、姪と呼ぶことがある)されることを嫌う。三昧眞火と呼ばれる術を使い、一度は悟空を敗退せしめたが、観世音菩薩に調伏され、弟子となる。
金角大王きんかくだいおう
正体は太上老君の金炉の童子。銀角の兄。義母に九尾の狐がいる。
銀角大王ぎんかくだいおう
正体は太上老君の銀炉の童子。金角の弟。移山倒海の術で悟空をおしつぶそうとするが、失敗する。

回目[編集]

以下は世徳堂本の百回。(省略)

内容[編集]

大鬧天宮 (だいどうてんぐう)[編集]

東勝神州とうしょうしんしゅう傲来国ごうらいこく花果山かかざんの仙石から天地の霊気をまとった石猿が誕生する。猿はとてつもない度胸の持ち主で、山奥の滝壺にて洞天福地水簾洞すいれんどうを発見した功により、花果山の周辺の猿を従えて王となり、美猴王と名乗る。ある時、美猴王はこの世の森羅万象について考えていくうち、生きとし生ける物の生死に悲観し、不老不死を願うようになり、西牛賀州霊台方寸山まで仙術を身につけに行く。師匠須菩提祖師から孫悟空という法名を授かり、七十二般の術と觔斗雲の術を身につけるがまだ満たされず、とうとう四海竜王の竜宮ひいては天界にまで殴り込みに行き、天界を統べる玉帝より弼馬温ひつばおんの位を授かる。当初悟空は弼馬温の実態も知らず喜んでいたが、後に弼馬温が只の馬飼いと知るや否やたちまち激怒し、自ら斉天大聖と名乗り、哪太子や顕聖二郎真君相手に天界で大暴れする。西王母の蟠桃を食らい、太上老君の金丹を平らげ、罰として八卦炉に入れられるも、悟空は「銅筋鐵骨 火眼金睛」の不死身の体となって生きのび飛び出した。ついには釈迦如来と「俺は地の果てまでも飛んでいってみせる」と賭けをする。地の果てらしき場所に立っていた5本の柱に到達したしるしとして悟空は一筆書き、柱に小便を引っかけて得意となって戻ってくるものの、実は釈迦の両手のなかをぐるりと周回しただけであった。釈迦が示した手に自分の署名を見て呆然とした悟空はその場を逃げようとしたものの、あっという間に五行山の下敷きにされてしまった。

三蔵が取経に出るまで[編集]

悟空が五行山の下敷きにされてから五百年の時が流れた。時は唐代の太宗の御世であった。太宗は一時病のために死んで地獄を巡ったが、冥土の高官たちの目こぼしにより再び現世によみがえった。やがて太宗が閻魔の言い付け通りに水陸大会を催し、その時後に取経の僧に選ばれる玄奘を見出す。所変わって天界では観世音菩薩が弟子の恵岸とともに下界へ降り立ち、悟空を含む諸々の罪人達にある取り引きをした。天界にて罪を犯していたのは悟空だけではなかった。その罪人たちとは、天の川の水軍を統べる天蓬元帥であったが月の女神嫦娥をたぶらかしたために天界を追われ、妖仙と化して深山にて暴れていた猪八戒、天界の軍人であった捲簾大将が天界の宝である玻璃の器を壊して天界を追われ流沙河にて人を食らう妖仙となった沙悟浄、そして父竜王の竜宮で宝珠を焼き死罪を言い渡されその間中空に逆さ吊りにされて苦しんでいた西海竜王敖閏の子の玉龍である。観音はめいめいにいつか現れる取経の僧とともに天竺へ参り、贖罪を果たすことを約束させる。功によっては彼らを仏にしてもいいということを条件として。その取経の僧こそが、あらゆる経典を学び、人徳に優れ、多くの人々から聖僧と敬われていた玄奘三蔵であった。彼もまたかつて釈迦の二番弟子(金蝉子)であったのにもかかわらず、釈迦の説法を侮ったために罰として下界に転生させられていた。やがて貞観13年9月3日(639年)、三蔵は太宗と菩薩の命で天竺へ行くことを決意し、菩薩から教えられた、自分に従うことになる弟子たちを探して旅立ったのだった。最初に三蔵は五行山で悟空を助け出し、続いて鷹愁澗で玉龍を導き、さらに高老荘で八戒を、最後に流沙河で悟浄を弟子にした。

旅の途中での妖仙との戦い[編集]

贖罪の旅をする三蔵一行は天界が用意した八十一の難と対峙する。三蔵の袈裟けさが黒熊怪に奪われる、三蔵が黄風大王にさらわれる、太上老君(老子)の炉の番人の金角・銀角大王と戦う、牛魔王の子の紅孩児と争う、観世音菩薩が飼っていた金魚が逃げ出した霊感大王と戦う、太上老君の乗用牛の獨角兕大王と戦う、西梁女人国という女だらけの国で心ならずも三蔵と八戒が子を孕む(後に堕胎した)、三蔵が釈迦如来を刺したサソリの精に誘惑される、火焔山で悟空が紅孩児の母の羅刹女に芭蕉扇で吹き飛ばされる、その夫にして紅孩児の父の牛魔王と対決する、朱紫国で観世音菩薩の乗用金毛毛孔の賽太歳大王と戦う、獅駝嶺で文殊菩薩の乗用去勢獅子の一大王・普賢菩薩乗用黄牙白の二大王・大鵬金翅鵰の三大王と戦う、小子城で寿星(南極星)の乗用の鹿である比丘国国丈と対決する、鎮海寺で哪吒太子なたたいしを兄と慕う地湧夫人(正体はネズミ)と戦う…など、あまたの苦難が一行を待っていた。

西天取経[編集]

旅の終盤、とうとう天竺にたどり着いた一行。底のない渡し舟で川を渡る。そのとき、上流から三蔵の抜け殻である死体が流れてきて、三蔵は凡体を脱することができたと喜ぶ。その後釈迦と謁見、経典を授かるもそれは無字の経典だった。新たに字のある経典を授かるが、旅の日数と経典の数が八つ合わないため、一行は雲に乗せられて8日間のうちに東土から西天へ帰ってくるように命じられる。観世音菩薩が三蔵の災難簿を見るとあと一難足りないとある。そこで雲から落とされる一行。通天河に落ちた後、経典を乾かすが紙が岩にくっつき、1字はがれてしまう。長安に戻って太宗皇帝と謁見する一行。経典を渡し、雁塔寺に納めると八大金剛が現れて一行を連れ去っていった。その後西天にて釈迦に称賛の言葉をかけられ、ついに五人は罪を許され、三蔵は旃檀功徳仏せんだんくどくぶつ、悟空は闘戦勝仏とうせんしょうぶつ、八戒は浄壇使者じょうだんししゃ、悟浄は金身羅漢こんしんらかん、玉龍は八部天竜はちぶてんりゅうとなる。悟空の頭からはいつの間にか緊箍の輪が消えていた。

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