萩尾望都の「思い出を切りぬくとき」というエッセイ集の中に、ベラスケスの絵の構造の凄さを、ピカソの再構成した絵によって知る、という部分がある。
(以下引用)
私が、視点が定まらないと言ったその構図が、いかに数学的に完璧なものか、大きすぎると言った画布や空間の配慮が、画面の中にどのような意味をもっていすわっているか、横に並ぶ王女とそのお付きが、どんな面と線と方向に行くか、そのすべての面と線と方向を一手に引きついで、奥の開いて光のさすドアが、一気にこの宇宙を引きこみ、向こうへ解放しようとしている。
(引用終わり)
この、絵の中の動きあるいは動線、あるいは(視線の)導線というものをレオナルド・ダ・ヴィンチがその手記の中で書いていた気がするが、斜め読みしただけの記憶なので、確かではない。
(以下引用)
私が、視点が定まらないと言ったその構図が、いかに数学的に完璧なものか、大きすぎると言った画布や空間の配慮が、画面の中にどのような意味をもっていすわっているか、横に並ぶ王女とそのお付きが、どんな面と線と方向に行くか、そのすべての面と線と方向を一手に引きついで、奥の開いて光のさすドアが、一気にこの宇宙を引きこみ、向こうへ解放しようとしている。
(引用終わり)
この、絵の中の動きあるいは動線、あるいは(視線の)導線というものをレオナルド・ダ・ヴィンチがその手記の中で書いていた気がするが、斜め読みしただけの記憶なので、確かではない。
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