そもそも、ブラックモンが『北斎漫画』を発見したというエピソードは、フランスの美術史家であるレオンス・ベネディットの著作(Léonce Bénédite,《Félix Bracquemond l'animalier》, in Art et décoration, févr.1905, p.39)を根拠としています。
Chez Delâtre, en effet, tout en causant, Bracquemond découvrit un petit livre bizarrement broché, à couverture rouge. Ce livre venait de très loin. En raison de sa matière souple et élastique, il avait servi à caler des porcelaines expédiées par des Français établis au Japon.
un petit livre=一冊の小さな本が、caler des porcelaines=磁器の仕切り材として提供されていた、とあります。
唯二冊の根本資料とは、次のものである。 Paul Lafond: Degas, 1918. Paris. E.R. and J. Pennell: Whistler. 1908. London (中略) 後著によると、いっそうくわしく、それは、ブラックモンの手に渡るまえに、二人の手をへている。最初、モンマルトルのムーラン・ド・ラ・ギャレットの下に住んでいた名摺師オーギュスト・ドラトル Augusut Delâtreが、家人のした陶器の包装中より救い出し、それが当時の大印刷者ラヴィーユ Lavielle(中井宗太郎「北斎とドガ」はこれをラヴェイユ Lavieilleと語記している)に渡り、そして、さいごにブラックモンのものとなった。 (中略) 以上である。ここで一般の文献の記載と異なる点は、第一に、ブラックモンが最初の発見者ではないということ、第二に、陶の器包装中より救い出したとはいえ、それは日本から直接来たものではなく、家人がした包装のなかからであるということ、第三に、従って、「漫画」がもともと、どこにあったかは不明であるということである。 包装とはいっても、「漫画」は本であるから、つつみ紙にはならず、むしろつめものとして使用されたのだろう。それならば、日本において、輸出陶器の包装をするために、無智なものがわけもわからずに本をつめこむというようなことをする可能性は、じゅうぶんにありそうだ。それがパリに到着した後、ドラトル家でふたたび、同様に使用されたのであろうか。
瀬木氏は、ドゥラートルの家人が『北斎漫画』で陶器の包装をしたと述べております。しかしながら、典拠としているE.R. and J. Pennelの The life of James McNeill Whistlerを確認してみたところ、以下のようにありました。
Whistler was in Paris in 1856, when Bracquemond "discovered" Japan in a little volume of Hokusai, used for packing china, and rescued by Delâtre, the printer. It passed into the hands of Laveille, the engraver, and from him Bracquemond obtained it.
また、The life of James McNeill Whistlerは、内容が一致することから、先に刊行されたレオンス・ベネディットの著作を参考にしたと推測されます。
③瀬木慎一「明治以前における浮世絵の海外流出」『浮世絵芸術』24号、1970年。
恐らく一八七〇年のこととおもわれるけれど、モネがオランダ旅行したとき、ある食料品で、燻製の鯡やローソクの包紙として、歌麿、写楽、北斎などの版画が使われているのを見て、びっくりしてもらいうけたといいう話が、アンリ・フォシォン Henri Focillon の「北斎」(パリ、一九二五年刊)に見えるし、エミール・ベルナール Emile Bernardも、ファン・ゴッホが、パリ時代に、ある骨董屋で、つつみ紙に用いられているものをもらったり、あるいは田舎家から、傷んだまま放置されていたものを一箱買いこんできたという話を、「ファン・ゴッホの手紙」Viencent Van Gogh dans la Plume. Paris, 1891.の序文に書きとめている。
Henri FocillonのHokusai, le Fou Génial du Japon Moderneを2017年版の書籍で確認したところ、以下のような記述がありました。
Octave Mirbeau raconte comment Claude Monet le découvrit en Hollande, dans la boutique d’un épicier qui enveloppait ses paquets dans des estampes d’Hokusai, d’Utamaro, de Kōrin, et qui fut heureux de s’en débarrasser, car il trouvait ce papier peu solide.