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A・クリスティの「スタイルズ荘の怪事件」読了。
たぶん、前に読んだことがあると思うが、最後まで読んだかどうか分からないし、ほとんど記憶にも残っていない。だから駄作だとか愚作だと言うのではなく、完全にこちら側が「読む能力が未熟だった」だけのことだ。
いや、処女作であるし、推理小説としての欠陥はあるが、まず、「小説として面白い」というのが彼女の作品すべてに言えると思う。昔はもっと分かりやすい小説が好きで、人物描写もドイルやカーなどの奇抜なものが好きだったのは、やはり若さゆえだろう。
巻末の解説で各務三郎が書いている中に、私がこのブログで訳したヘミングウェイの短編小説のことが出てきたので、下に転載するが、自分で該当作品を読まないままにこの文章を読んでも意味が分からなかっただろう。年を取るメリットは、こうした知識が増え、物事の理解が深まることである。
小説というのは、現実では体験できないものを体験させてくれ、しかもその巨大な体験が時にはわずか数分の読書で手に入るのである。ただし、それには「読む価値のある本」を選ぶ必要がある。古典的作品というのは、どのジャンルであれ、そういう作品なのだ。

(以下引用)私は各務氏の意見に必ずしも賛同してはいない。ヘミングウェイのこの作品は、「少年自身の描写」は無いが、他はすべて「描写」であり、「内面描写」をしないからこそ人物の心情が浮かび上がるという逆説性が彼の作品の特長なのである。また、傑作になるのは「状況」のためとは限らないだろう。状況に頼るだけの作品はアイデアストーリーにしかならない。ただし、「わたしたち自身(読者)の想像力によって」小説は生命を得る、というのはこれは何度でも言及すべき真理である。そして、読者の想像力を喚起するには作家自身の高度な技量が必要なのである。


描写など無くても、すぐれた状況さえあれば傑作は書ける。ヘミングウェイの短編「一日の期待」(引用者注:この訳題は愚劣である。日本語の「期待」は肯定的なものとしかイメージされない。)を思い出していただきたい。高熱で死ぬと覚悟する少年が主人公ながら、描写どころか登場するシーンさえ少ない。それなのに、わたしたちは、提示された状況とわたしたち自身の想像力とによって、死の恐怖におびえる少年の心境をまざまざと感じとることができるのである。


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