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「うっせえわ」を、「若者はマイノリティである」という、なかなか斬新な視点から論じた文章の末尾だが、こうした「若者への理解のある」やや老いた若者は、若者の目にどう見えるのだろうか。それこそ「聞いたふうなこと言ってら、うっせえわ」となるのではないかwww

つまり、現代の若者は「他者に理解されない」ことを自分の優越性(つまり、相手は自分より知性や感受性が下だから自分を理解できない)として保持したいという心理があるのではないか。と言うより、いつの時代でも一部の若者はそうではないか。「うっせえわ」の歌は一度も聞いたことが無いが、その中に「自分は優等生だ、天才だ」という歌詞があるらしいので、そう推定したわけである。
そういうタイプの若者には、金八先生など、唾棄すべき存在だったと思う。


(以下引用)


「うっせぇわ」を聞いた30代以上が犯している、致命的な「勘違い」

わかった気でいる年長者に言いたいこと
鮎川ぱて @しゅわしゅわP プロフィール

冒頭で宣言した通り、年長世代には耳の痛い文章になってしまったかと思う。彼らが苦労知らずでここまできたわけではないことを、若者は少なくとも机上では知っている。いま読んでいるあなたが47歳なら就職氷河期第一世代。自分たちも被害者世代なのに、どうしてこうも拒絶されなければならないのか。そう思うかもしれない。

各世代には世代ごとの被害者意識がある。森喜朗も「(自分にとっては)ふつうのことを言っただけなのに、怒られた」と“被害者意識”を持っていると思う。

だがやはり、年長世代は数が多いのだ。若者があなたたちを「一切合切凡庸な」と指差してしまうのは、数が多すぎて顔が見えないのだ。マジョリティは強者である。ではマジョリティであるだけで加害者になるのかというと……ときにそういう場合もあると言わざるをえない。「うっせぇわ」は、その被害者たちの声なのだ。

最後に念のため。LGBTQ当事者に無理やりカミングアウトを強いてはいけないように、本稿の議論を根拠に「お前らは本音を言ってないらしいな、言いなさい!」などと若者に強要してはいけない。本音を言わない権利を尊重してほしい。まずはそれから。

その上で、自分たちの数の多さ=声の大きさにブレーキをかけて、「現代の代弁者」の役を正しく若者に譲るなら、そのずっと先には「分断」が解消した別の光景が見えてくるかもしれない。








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