忍者ブログ
[1522]  [1521]  [1520]  [1519]  [1518]  [1517]  [1516]  [1515]  [1514]  [1513]  [1512
最近ずっと「宇宙兄弟」を見ているのだが、実はこのアニメが嫌いである。ただ、作劇術の研究として見ているだけだ。一時期、かなり一般受けした漫画のアニメ化であり、研究対象にはなる。
しかし、見ていて実に不愉快なのだが、その原因は、読者や視聴者を「舐めた」姿勢にあると思う。もちろん、実に丁寧に作ってはあるのだが、基本姿勢が「お前ら、こういうのに簡単に騙されるんだろwww」という感じなのである。
簡単に言えば、「イージーなサスペンス(宙づり、引っ張り)」の多用だ。どうでもいい事柄を、結果を見せるまで長々と引っ張る。たとえば、ムッタが三次試験に合格するかどうかを示す前に、ケンジのところに電話がかかる場面を見せ、その後、その電話の内容(もちろん、合否結果を伝えること)を見せる前にケンジの現在の職場の退屈さを示す場面(つまり、お前ら、「夢をあきらめた連中」の人生はこんなものだろ)を長々と見せ、さらに、ケンジと奥さんの出会いと結婚までの人生を長々と見せる。もう馬鹿馬鹿しくて見ていられないが、こういう描写を「深い」とか「人生をよく知っている」と思う視聴者や読者が多いのだろう。そして、こういうチャチなサスペンスにドキドキして次回や話の次の段階を待つわけである。もう、アホ臭くて見続けるのにかなり忍耐が要るので、そろそろ視聴をやめるかもしれない。
誤解されないように言っておくが、三次試験の合否は「どうでもいい事柄」ではない。しかし、それだけでなく、この作品は、話が少し進むたびに、ムッタとヒビトの少年時代の出来事などがしつこく出てくるし、新しい人物が出て来るたびにその人物に関するエピソードが語られるのである。これならいくらでも話を長引かせることができる。私はほとんど読んだことがないが、「ワンピース」などもその手法なのではないか。
ついでに言えば、「宇宙兄弟」でのギャグの寒さも私には耐えがたい。
なお、どうでもいいことをしつこく何度も描く(その度に、メインテーマ曲が流れる)ことで、それが重大な、あるいは感動的なことなのだ、と視聴者に思い込ませるという点では、これは「感動ポルノ」の見本である。で、描かれていることを批判的に見たら、感動的でも何でもない。ただの失策や愚行をリカバリーする、あるいは過去の出来事を感動的な出来事だったかのように登場キャラたちが語り合い、演じるだけなのである。
ただ、主人公のムッタを始め、登場人物たちの喜劇的部分を描くことが多いために、基本が感動ポルノであるということが見えにくいわけだ。
PR
この記事にコメントする
color
name
subject
mail
url
comment
pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
P R
忍者ブログ [PR]

photo byAnghel. 
◎ Template by hanamaru.