今読みかけの横溝正史の時代物(捕り物)小説の中に「千姫と吉田御殿」の話が少し出たので興味を持って調べたが、もちろんフィクションであるようで、いわば、マリー・アントワネットが侍従や貴族たちと浮気ばかりしていた、という話のようなものだろう。だが江戸時代の口さがない町人の間の卑猥なネタとして人口に膾炙してはいたかと思う。
(以下引用)
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人物[編集]
- 従兄にあたる初めの夫・豊臣秀頼とは夫婦仲睦まじく、千姫が16歳のとき、秀頼が女性の黒髪を揃える儀式「鬢削」を千姫にしていたのを侍女が見ている。
- 穏和な性格の持ち主と伝えられる一方で、秀頼と側室の間に生まれた娘・天秀尼が処刑されそうになった際に体を張って必死の助命嘆願を行い、その結果、天秀尼は助けられたとされる。天秀尼は後に「縁切り寺」として有名な東慶寺の住職となった。
- 曾祖父・織田信秀と祖母・市の聡明さと美貌を受け継いだ、美しい姫君であったという。2人目の夫・本多忠刻(母・熊姫は徳川家康と織田信長の孫で、千姫の従姉である)も眉目秀麗であったといわれ、美男美女夫婦で仲睦まじかった。
- 亡くなった際、娘・勝姫の長女である奈阿姫(本多忠平室)は祖母の菩提を弔うために「浄土三部経」を書き写し、弘経寺に納めた。奈阿姫の書いた「浄土三部経(紺紙金泥阿弥陀経)」は現在、茨城県常総市指定文化財となっている。
- 祖父・家康や父・秀忠から可愛がられ、また、弟・家光とも姉弟仲は良好だったらしい。歴代の幕府もその経歴から処遇に関しては細心の注意を払った。
- 江戸時代に『吉田御殿』(あるいは『千姫御殿』)[3]の伝承があり、夜な夜な美男を招き入れては殺す千姫像は、錦絵や浪曲にもなった。昭和時代においてもその伝承を基にした映画[4]やテレビドラマ[5]が制作され、広く知られていたが、史実ではない。豊臣家や「千姫事件」の坂崎直盛への同情が生んだ民間伝承である。
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