昔、田辺聖子が川柳の解説を書いたものに、
故郷へ回る六部は気の弱り
という川柳があって、その中の「六部」というのが何なのかの説明はしていなかったので、たぶん、巡礼のようなもので、時代劇に時々出てくる山伏めいた白装束のあれだろうな、とは思っていたが、調べる機会がなく、心の隅に掛かっていた。
今はネットで調べられるので便利である。
ろくじゅうろくぶ【六十六部】
正しくは日本回国大乗妙典六十六部経聖(ひじり)といい,江戸時代にはおとしめられて六十六部または六部の略称でよばれた回国聖。今も各地にこの回国供養碑を見ることができる。江戸時代には単なる回国聖または遊行(ゆぎよう)聖になってしまったが,中世には法華経六十六部を如法(によほう)に写経し,これを日本全国の霊仏霊社に納経するために回国したのである。西国三十三所観音霊場の巡礼納経にならって,六十六部納経したとも考えられるが,日本全国六十六ヵ国をめぐることによって,より大きな功徳を積もうとしたものであろう。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
ろくじゅうろくぶ【六十六部】
法華経を六六部書き写し、日本全国六六か国の国々の霊場に一部ずつ奉納してまわった僧。鎌倉時代から流行。江戸時代には、諸国の寺社に参詣さんけいする巡礼または遊行ゆぎようの聖。白衣に手甲・脚絆きやはん・草鞋わらじがけ、背に阿弥陀像を納めた長方形の龕がんを負い、六部笠をかぶった姿で諸国をまわった。また、巡礼姿で米銭を請い歩いた一種の乞食。六部。
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