なお、進駐軍の兵士のエピソードでは、彼らが名所旧跡を観光した時に、その記念として残した落書きが「キルロイはここに来た」というもので、自分の名前ではなく、キルロイという正体不明の人物の名前であったのが、奇妙にユーモラスである。(その名前が「キルロイ」だというのは私の勘違いかもしれない。)
ビリケン
ビリケン (Billiken) は、尖った頭と吊り上がった目が特徴の子供の姿をしている幸運の神の像。 1908年10月6日にアメリカ合衆国のフローレンス・プレッツがデザイン特許を取得した[1]。
日本では大阪の通天閣 5階(展望台)にあるビリケン像が有名で、「ビリケンさん」の愛称で親しまれ、特に足を掻いてあげるとご利益があるとされている。
また、アラスカのエスキモーの間で彫刻品の題材として広まり、同地や極東ロシアでは時として自身の民族の伝統の神として祀られるほどの人気を得ている[2]。
目次
概要[編集]
元々はアメリカ合衆国ミズーリ州カンザスシティの美術教師・イラストレーターであったフローレンス・プレッツ(Florence Pretz、1885年 - 1969年[3])によって、親友の詩人サラ・ハミルトン・バーチャルが『ザ・カナダ・ウェスト』に連載していたおとぎ話であるビリケンシリーズのため、1907年ごろにデザインされたものである[4]。 その後、プレッツは1908年6月9日にデザイン特許を出願し、同年10月6日に7年間有効のデザイン特許を取得した(デザイン特許番号D39,603)が、特許には「ビリケン」という名称は使われていない[1]。 プレッツは、ビリケンが人々の希望と幸福の象徴になるようなデザインをしたと言い、最初に粘土で製作したビリケン人形には、オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』の一節(Ah, Love, could thou and I with Fate conspire,...)を記した紙切れを中に入れていたという[4]。
通説では、名前の由来は、当時のアメリカ合衆国大統領ウィリアム・タフトの愛称である[注釈 1]とされてきた。しかし、近年の研究では、カナダの詩人ブリス・カーマンによる1896年の詩集"More Songs from Vagabondia"所収の"Mr. Moon: A Song Of The Little People"の登場人物から、名付けられたと考えられている[4][5][6]。
ビリケンの造型には東洋美術の影響が見られるが、プレッツはジャポニスムの影響を濃厚に引くイラストレーターであり、 1908年5月3日にシカゴ・デイリー・トリビューン(現在のシカゴ・トリビューン)に掲載された記事では、 プレッツが和服を着た写真が掲載されている他、少女の頃から日本を夢見ていて色々な日本の事物についてスケッチを描いてきたとか、自分の前世は日本人であったに違いない、とまで語っている[4]。
特許取得後、ビリケングッズの売れ行きは当初非常に好調だったにも関わらず、契約の不備からデザイナーであるプレッツには一ヶ月あたり30ドルしか支払われず[注釈 2]、プレッツは失望から1909年の終わりにはビリケンの名前を聞くのも顔を見るのも嫌になってしまった[4]。 このことは当時の新聞でも話題になり、「作者以外の全員に幸福をもたらした」などという記事が掲載されてしまう[3]。
現在、アメリカではセントルイス大学のマスコットになっており、大学に属するすべてのスポーツチームが "ビリケンズ" を名乗っている[注釈 3]。
日本には1909年(明治42年)頃に伝わり、1911年(明治44年)に大阪の繊維会社・神田屋田村商店(現:田村駒株式会社)が商標登録を行い、販売促進用品や商品キャラクターとして使用した[注釈 4]。 当時の日本では、顔だちはアジア人、足を突き出しての座り方はアフリカ人がモデルとされ、「足の裏をかいて笑えば願いがかなう」とされた[7]。
ビリケンは、田村商店の商標という枠を超えて人気を博した。当時の雑誌などに掲載された広告では、「世界的福神」として紹介され、5寸5分の石膏製のビリケン像に一体1円85銭という値付けがされていた[8]。