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古いフラッシュメモリーの内容を見ていたら、昔、予備校教師時代に書いた批評文(教師としては他人に見せられる内容ではない)が出てきて、なかなか鋭い批評に思えるので、ここに載せておく。
言うまでもないが、私にはこの程度の小説も書くことはできないのである。だが、他人の書いた作品のアラは分かるわけだ。創作より批評が楽だ、というのは実は「常識でない常識」ではないか。

(以下自己引用)

「楽隊のうさぎ」読了。

やたらと中高校の模試に使われ、センター試験にまで使われた作品だから、どんなものかと読んでみたが、感想は「ツマンネー」の一言。まあ、中学生あたりが読んだら、それなりに面白いのかもしれないが、いくらジュブナイルでも、これより面白い作品、興味深い作品、有益な作品はゴマンとあるだろう。ストーリーがツマンネー、キャラクターがツマンネーで、いったい何が良くてこの作品がこんなに持ち上げられてきたのか、分からない。まあ、好きになればあばたもえくぼになるだろうが、どうもいい所が一つもない。しいて言えば、曲の演奏の描写は、それらしい感じに書けている。しかし、一人一人の人物に魅力がまったく無いし、それ以前に、それぞれの人物が何のために登場しているのか分からない。人物関係にまったく発展性がないのである。この作品の登場人物同士で濃密な人間関係になるのは一人もいない。最初意味ありげに書かれた敵対関係さえ途中で雲散霧消である。その一方では、博多で偶然的に知った人物と全国大会会場で遭遇するという、意味不明の再会があったりする。いったい、何の意味があって、この人物を二度も出す必要があるのか。最後に「ブラボー」を言わせるなら、むしろ何度も対立してきた主人公の母親にするべきだろう。

それに、中学校の男の子と女の子なら、頭の中は異性のことしかないはずだのに、それもほとんど描かれない。セックスめいたことと言えば、何と両親のキスシーンを目撃するという、おぞましい場面くらいだ。まあ、セックスを排除したところが「文部省推薦」みたいな扱いの最大原因かもしれない。

森勉という指揮者を作者は最大限にほめたたえるのだが、これも魅力はない。一人も魅力的な人物は出ないのである。しいて言えば、「悪役」として出る無気力教師くらいが興味深そうだが、これも事件として、あるいは人間関係として発展しない。教師が無気力だからクラスが荒れる、というステロタイプの話作りも面白味がない。それ以前に、話にも発展しないのだから、ただ作者が教育現場についての低レベルの主観的感想を述べるにとどまっている。つまり、いい教師に当たればハッピー、悪い教師に当たればアンハッピーという程度の、世間一般の母親レベルの感想だ。作家の書く内容ではない。

「楽隊のうさぎ」は、まあ18歳くらいの人間が書いたなら「よく最後まで書いたねえ」とほめられる、そういう程度の作品である。作者がこれを書くのにほとんど頭を使っていない事は保証できる。新聞連載の間、おそらく毎日適当に書き流していたのだろう。それがこれほどに持ち上げられるようになるとは、作者本人も思っていなかっただろう。

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