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コピーするとツィッター部分が一部消えるが、それ以外の部分だけ読んでも意味は通じるだろう。
以前からこのブログで紹介してきた、「天智天皇と天武天皇は兄弟ではない」説は、井沢以外にも何人かの人が出している。つまり、「王朝交代説」のひとつである。継体天皇の時、南北朝の時、そして陰謀論と見られているが「明治維新」で孝明天皇が暗殺され、明治天皇は長州の大室虎次郎とか何とかいう「力士隊」の者が本来の明治天皇とすり替えられた、という説もある。




八幡和郎の叫び

Facebook上で歴史愛好家の八幡和郎氏が、中世史家の呉座勇一氏の書評を非難し、「盗作に近い」と表現しています。

つまり、『日本国紀』が井沢説に拠っていることは自身(八幡氏)の発見であり、後から同じ指摘をした呉座氏の書評は、これを剽窃しているというのです。

本記事では、この八幡氏の指摘が妥当であるかどうかを検討していきます。

八幡説に新規性はあるのか?

まず、問題となる八幡氏の(第一発見?)記事を見てみましょう。

そんななかで目立つのは、井沢元彦氏からの強い影響である。祟りや怨霊の重視、武士の勃興についての見方、刀伊を撃退した藤原隆家の称揚、足利義満の皇位簒奪計画という見方への支持、信長や秀吉についての見方などである。古代では応神天皇についての記述とか、すでに「「日本国紀」の江戸時代観には根本的な矛盾がある」で書いた江戸時代の経済政策などの見方もそうだ。

百田『日本国紀』は井沢『逆説の日本史』に似てる?(アゴラ, 2018.11.23)

以下の六点について井沢説との類似性を指摘しています。

  1. 祟りや怨霊の重視
  2. 武士の勃興についての見方
  3. 足利義満の皇位簒奪計画
  4. 信長や秀吉についての見方
  5. 応神天皇の記述
  6. 江戸時代の経済政策

しかし『日本国紀』と井沢説との類似性を発見したのは、八幡氏が第一という認識は間違っています。

というのも『日本国紀』の前近代史が井沢元彦『逆説の日本史』をなぞっていることは、歴史好きなら誰でも気が付くことです。よって、これに言及したからといって新規性はありません。

事実、八幡氏の書評が2018年11月23日に出る前から、百田尚樹『日本国紀』の種本が井沢元彦『逆説の日本史』であると、既にツイッター上で指摘されていました。

このように、『日本国紀』と井沢説の類似性は、読んだ人ならば誰でも気が付く性格のものであって、そこに新規性を見出すことは難しいでしょう。

よって「盗作に近い」という八幡氏の発言は、想像力が逞し過ぎるでしょう。

指摘される類似が全く異なる

また、先の述べたように八幡書評は六つの類似点をあげていますが、呉座書評ではこれを踏襲していません。

八幡書評 呉座書評
①祟りや怨霊の重視 怨霊信仰の強調
②武士の勃興についての見方
③足利義満の皇位簒奪計画 足利義満暗殺説
④信長や秀吉についての見方
⑤応神天皇の記述
⑥江戸時代の経済政策
天智天皇と天武天皇は兄弟ではない
勇猛果敢な幕府と無為無策な朝廷の対比

したがって二つの書評で共通して指摘されている、「『日本国紀』と井沢説の類似点」は、①怨霊信仰と、③足利義満だけです。さすがにこれで「盗用に近い」というのは言い掛かりでしょう。

加えて、③足利義満の類似については、八幡氏の書評が出る前にツイッターで指摘されていました。

八幡氏の理論を借りるならば、八幡書評こそが、ツイッターから「盗作!とはいわないが、それに近い」ものであるとも表現できます。

もちろん、さすがに八幡氏がツイッターから剽窃したとは私は考えていませんし、誰もそうは思わないでしょう。なにせこれまで述べてきたように、歴史好きが読めば誰でも気が付くレベルの話なのですから。

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