どうでもいい話だが、新語の中でも「必要性があって生まれた」ものがあり、これは否定されるべきものではないと思う。たとえば「目線」という言葉は1970年代くらいに一般化してきた言葉で、最初はテレビ局でドラマの撮影時に使われたものらしい。それがなぜ一般化してきたかというと、流行というだけでなく、言葉としての便利さがあったからだ。
それまでは「視線」という言葉しかなかったが、それと「目線」は明らかに違うのである。「視線を感じる」という言い方はあるが、「目線を感じる」とは言わないことで、両者が違うのは明白である。つまり、「視線」という言い方は、実際に目から何かの放射線が出ているイメージであるが、「目線」は単に見ている人の目と見られている物を結ぶ動線でしかないのである。そして、後者では両者の位置関係が大事になる。だから「上から目線」とは言うが「上から視線」とは言わないわけだ。
それに対して、芸能人たちが使い始めて、素人がそれを真似した結果、既にあった同じ意味の言葉が駆逐されて、新語が「使われて当たり前」の言葉になることもある。これは昔からたくさんあるようだ。まあ、軽薄な流行語だが、服の流行同様に、流行したから仕方が無い、という類のものである。洋服の時代に羽織袴で生活するわけにはいかないわけだ。
それまでは「視線」という言葉しかなかったが、それと「目線」は明らかに違うのである。「視線を感じる」という言い方はあるが、「目線を感じる」とは言わないことで、両者が違うのは明白である。つまり、「視線」という言い方は、実際に目から何かの放射線が出ているイメージであるが、「目線」は単に見ている人の目と見られている物を結ぶ動線でしかないのである。そして、後者では両者の位置関係が大事になる。だから「上から目線」とは言うが「上から視線」とは言わないわけだ。
それに対して、芸能人たちが使い始めて、素人がそれを真似した結果、既にあった同じ意味の言葉が駆逐されて、新語が「使われて当たり前」の言葉になることもある。これは昔からたくさんあるようだ。まあ、軽薄な流行語だが、服の流行同様に、流行したから仕方が無い、という類のものである。洋服の時代に羽織袴で生活するわけにはいかないわけだ。
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