尾崎豊の歌は一度も聞いたことが無いのだが、「盗んだバイクで走り出す」と「夜中に校舎のガラス窓を割って回る」とか何とかいうフレーズだけでも、こういう神経の人間は大嫌いだ、と思っている。そのバイクの持ち主との関係や、学校との関係が歌詞の中で説明されているとは思えないが、短い歌詞でそこまで説明しているならともかく、これらのフレーズだけだと、社会や家族や友人や学校など、自分を取り巻く状況へのモヤモヤした不満がその行動の原因としか思えず、最低最悪の人間だと思う。つまり、幼児的な「八つ当たり」行為であり、若さには、そういう「理由なき反抗」が許されている、という甘えが気に入らない。
バイクを盗まれた人間は、それを買うのにどれだけ苦労し、そのバイクをどれだけ愛していたか、学校を作るのに税金(私立なら、生徒の学費)がいくら投入され、それを払うのに人々の汗がどれだけ流されたかということへの想像力が欠如した、「自分の感情は誇大視し、大事にするが、他人への思いやりが無い」という、幼児的自己中心世界の生き物だ、としか思えないのである。
この件は昔から、ずっと心の中でモヤモヤしていたので、下のツィートを機会に形にして吐き出してみた。
バイクを盗まれた人間は、それを買うのにどれだけ苦労し、そのバイクをどれだけ愛していたか、学校を作るのに税金(私立なら、生徒の学費)がいくら投入され、それを払うのに人々の汗がどれだけ流されたかということへの想像力が欠如した、「自分の感情は誇大視し、大事にするが、他人への思いやりが無い」という、幼児的自己中心世界の生き物だ、としか思えないのである。
この件は昔から、ずっと心の中でモヤモヤしていたので、下のツィートを機会に形にして吐き出してみた。
尾崎はヤンキーのカリスマではありません
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