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単なるメモである。

セイの法則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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セイの法則(セイのほうそく、Say's lawLoi des débouchés)は、「非貨幣市場の総供給と総需要が常に一致する」という原則である[1]フランスの経済学者ジャン=バティスト・セイによって発見され、「セイ法則」、「販路説」などとも呼ばれる[1]。「近代経済学の父」リカードが採用したことから、マルクスワルラスヒックスといった多くの経済学者によって継承されたが[2]ケインズ『一般理論』(1937年)によって否定され、その問題点が広く認知されるようになった[3]

概要[編集]

あらゆる経済活動は物々交換にすぎず、需要と供給が一致しないときは価格調整が行われ、仮に従来より供給が増えても価格が下がるので、ほとんどの場合需要が増え需要と供給は一致する。それゆえ、需要(あるいはその合計としての国の購買力・国富)を増やすには、供給を増やせばよいとする。

ジャン=バティスト・セイが著書『経済学概論』第1巻第15章「販路」に叙述したことからセイの販路法則と呼ばれることもある。単に「セイ法則」とも呼ぶ。セイの法則が主張する重要な点は、経済の後退は財・サービスへの需要不足や通貨の不足によるものではないとする点にある。

貨幣がこの相互交換において果たすのは一時的な役割だけである:交換が終わってみると、ある生産物に別の生産物が支払われたのだ、ということが常に見出される(L’argent ne remplit qu’un office passager dans ce double échange ; et, les échanges terminés, il se trouve toujours qu’on a payé des produits avec des produits.)

次のことは注目に値する。すなわち、ある生産物は作り出されるやいなや、その瞬間から、それ自身の総額の価値に見合った他の生産物の販路を供給するということである。(Il est bon de remarquer qu’un produit terminé offre, dès cet instant, un débouché à d’autres produits pour tout le montant de sa valeur.)— 『経済学概論』(Traité d’économie politique)


セイは、経済や景気の好転、あるいは購買力のさらなる増強は、ただ生産力の増強によってのみなされるのだとの社会的な洞察をもっていた。そこで不況の原因が行政府による消費支出の不足や、通貨としての金(金塊Bullion)の調達・供給不足にあるとする分析に対して、その批判の矛先を向けていた。

ジョン・スチュアート・ミルは、生産につながらない消費(非生産型の消費)の増大による経済刺激策をセイの法則を引用することで批判した。

なおセイ本人は、後代にセイの法則に付け加えられたこまかな定義をつかうようなことはなく、セイの法則とは、実際には同時代人や後代の人たちによって洗練されたものである。その断定的で洞察に富んだ表現から、セイの法則は、ジェームズ・ミルデヴィッド・リカードなどによって再述され、発展して行き、1800年代中頃から1930年代まで経済学のフレームワークとなった。

セイの法則については、現代では好況等で十分に潜在需要がある場合や、戦争等で市場供給が過小な場合に成り立つ限定的なものと考えられており、また一般に多数の耐久財資本財がある経済を想定していないことが指摘されている(耐久財のディレンマ)。またセイの法則そのものは後世の研究者により現代においても成熟されつづけている未完成のものであり、たとえば技術革新による供給能力の変化と生産調整による供給能力の変化の違いなどの現実のディテールなどは想定していない。また生産されたものがつねにあらゆる状況で財であることが暗黙の前提となっており、生産され供給されつづける財が累積的に人への効用を拡大させることを前提としている。この点がのちにオーストリア学派により批判された(限界効用理論、限界効用逓減の法則)。

「セイの法則」に対する議論[編集]

セイの法則に相対する考え方として、同時代に発生した一般過剰供給論争における、トマス・ロバート・マルサスジャン=シャルル=レオナール・シモンド・ド・シスモンディ、および後代のジョン・アトキンソン・ホブソンによる過少消費説がある。また彼らを先駆者としたジョン・メイナード・ケインズによる有効需要の原理がある。ケインズは投資需要によって消費性向とあいまって経済全体の供給量がマクロ的に決定されると主張した。また貯蓄投資の所得決定理論において、セイの法則が貯蓄(供給)は常に投資(需要)されることで両者が一致すると説明した貯蓄投資の利子率決定理論を批判し、むしろ投資に見合うように貯蓄が決まることを主張した。

セイの法則として著名な「供給はそれ自らの需要を生み出す」という文言について、ポール・デヴィッドソンによればセイのオリジナルではなく、1803年ジェームズ・ミルがセイの著作を翻訳するさいにそのような要約が登場したと指摘する。またセイら古典派の貨幣観を「ヴェール」と呼んだのはミルであるとする。

命題としての「セイの法則」[編集]

ケインズの体系においては、セイの法則はただ単に「供給された量は必ず需要される」という命題として捉えられている[4]。この場合に価格調整(需要不足のときは自動的に価格が下がるメカニズム)は、命題を成立させる十分条件の代表例の一つにすぎない。

現代経済では、資本財市場か資本用役(賃貸/サービス)市場のどちらか一方でしか価格調整は機能しないことが多い(耐久財のディレンマ)。鉄道輸送や電力供給などの場合、サービス(用益)需給の市場均衡に資本財市場は従属しており、列車や発電機の需給はセイの法則が想定する均衡システムの例外となる。またマンションなど戸売り(財市場)と賃貸(用益市場)が並存している市場においても、賃貸オーナーは市中金利と年間償却額より十分賃料価格が高い(低い)場合は投資用マンションを購入(売却)するため、おおむね財市場が用益市場に従属性をもつ関係にある。

このように資本財が用益市場の均衡に従属し独自の調整が利かない場合、資本財への投資が旺盛なとき(自然成長率が実質金利より十分に高いとき)にはこの命題(供給は必ず需要される)は真であるが、投資が旺盛でないときには偽となる。

通貨切り下げ競争[編集]

成熟した経済圏の間で、不況時にしばしば自国通貨の切り下げ競争が行われることがある(通貨安競争を参照)。自国通貨の価値を相手国の通貨より引き下げることは一見、自国の購買力を損なうように思えるが実際には生産増を通じて購買力が増すこの現象は、セイの法則が示す「生産力の増強が購買力の増強につながる」を如実に示現している。

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大藪春彦的なハードボイルド小説や漫画や脚本を書く参考になりそうである。
まあ、小さな城だ。

(以下引用)

【悲報】本日、死刑になった工藤会総裁の自宅がヤバすぎる…!!

言っていることは素晴らしいが、発言者が自称通り高校教師なら、「目指すべくは」ではなく「目指すべきは」と書いてほしい。「べく」は連用形で、この場合は「目指すべき(こと)は」の「こと」が省略された形だから連体形の「べき」になる。国語の教師でなくても、偏差値50程度の高校生レベルでの常識である。

(以下引用)


目指すべくは「みんなが偏差値の高い大学進学を希望する世界」ではなく、「高卒大卒に関わらずどのようなキャリアを選択しても、正当な労働によって経済的に困窮することのない世界」であり、かつ、「家庭の経済力や文化や性差によってキャリアを諦める生徒がいなくなる世界」である。



私は、英語文化圏におけるコンラッドの高い評価が不思議なのだが、実は私は彼の作品を読み通したことがない。日本語訳における文章にあまりに魅力が無さすぎて、1ページと読み続けられないのだ。
だが、彼の作品は「冒険小説」好きの英国人にはウケるようだ。(異国趣味という点ではキプリングに似ているか)その英語も、英語ネイティブとは違った味わいを感じるのだろう。思うのだが、彼のような作家にこそ「超訳」が向いているのではないか。彼の作品の映画化が非常に多いのを見ても、プロットが面白いのだろうと想像できるからだ。

(以下引用)

生前のコンラッドはエドワーディアンの作家の中で、アーノルド・ベネットH.G.ウェルズジョン・ゴールズワージーとともにビッグフォーと呼ばれていたが、むしろアジアインド洋などのエキゾチックな異国の風物や、海の冒険を描く海洋文学作家と見なされていた。

今日では、コンラッドはチャールズ・ディケンズフョードル・ドストエフスキーに代表される古典的小説と、モダニズム小説の中庸的存在として位置づけられる。ただしコンラッド自身は、イワン・ツルゲーネフを除いてロシア文学にはあまり良い印象を持っていなかったことが知られている。

作品[編集]

作風[編集]

タイム』誌1923年4月7日号表紙

コンラッドは、イギリス国内の出来事よりも、洋上や異国の地について書くことが多かった。エッセイ『海の鏡』が出版された時、フランス語翻訳者に送った手紙で「批評家たちは私への褒め言葉を浴びせるが、"地上でなく外海にいることだ"というささやきが私の耳に聞こえる、彼らは私を海の真ん中に追放したいのだ」、と書いている[6]

コンラッドの作品には、彼自身の経験の他に、過去及びその当時広く知られている事件や文学作品に基づいたものも多い。『ロード・ジム』の前半部は、蒸気船「ジッダ」が1880年に遭難した時に、船長らが乗客を置き去りにして避難した事件を題材にしており[11]、後半部はボルネオ島サラワク王国の王となったジェームズ・ブルックの生涯を基にしている[12]。 1904年発表の『ノストローモ』は、コンラッドがメキシコ湾上で耳にした、銀の大規模盗難事件にヒントを得ており[11]、また政治的には当時計画進行中のパナマ運河をめぐるアメリカコロンビアの関係を背景にしている[13]。『西欧人の眼に』では、1904年のロシア帝国内相ヴャチェスラフ・プレーヴェ暗殺がモデルとされている[11]

登場する人物の多くは、彼が実際に会った実在の人物をモデルにしている。『オルメイヤーの阿房宮』に登場する”William Charles Olmeijer”も、コンラッドがボルネオで訪問したことのある人物だ[11]。『台風』の”Captain McWhirr”、『青春』の”Captain Beard”と”Mr. Mahon”、『陰影線』の”Captain Ellis”などでも実在の人物の名前を借りている。

コンラッドは日記をつけたことはなく、ノートも持つことはなかったと語ったが、リチャード・カールがコンゴでのコンラッドの経験を記した日記を編集して没後刊行し、1978年にはより完全な版が出版された[14][15]

ジェイコブ・エプスタイン作コンラッドの胸像(1924年)(ロンドン・ナショナル・ポートレート・ギャラリー所蔵)

 

 

原作作品[編集]

映画[編集]




ニトロセルロースについては昔調べたことがあり、その完全燃焼性と急速な燃焼(爆発とも言う)は、これからのエネルギーとして大きな可能性があるのではないかと考えたものだ。セルロースとはつまり植物繊維だから、そのへんの雑草でも雑木でも素材になるはずで、日本のように亜熱帯で水の豊富な土地ならいくらでも原料が手に入るわけである。


(以下引用)

世界の武器防具百科!!
@emonok1
石炭爆弾:第二次大戦中、米英の諜報機関やゲリラが使用した爆弾。火気に触れると爆発するニトロセルロースを石炭に見えるよう偽装。蒸気機関車や発電所の燃料用の石炭に混入させ、火室にくべると爆発する仕組み。CIAではこの爆薬の製造キットが配布されていたという。
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