奥山貴宏は癌末期にもかかわらず終末ホスピス入所を拒否する理由が、「それ(ホスピス)はロックじゃないからだ」だった。自らの行動規範をロック/ロックじゃないで規定していたのは、インタビューでの質問に「それはパンクだから/パンクじゃないから」で応えたTHE STAR CLUBのヒカゲ以来だったな。
だいたいにおいて「ロックだ」とは、初期のロックンロールが置かれた立場や社会の視線から推察するなら「(クラシックだけでなく)ジャズも含め、既成の音楽芸術を否定し、新しいどんな表現でも認める」姿勢と思われる(ただし、ビートルズ、いや、ジョンとポールはクラシックの基礎教養が底にあると思う。)のだが、それが生き方の姿勢となると、ほとんど無制限の自由を追求する姿勢、と言えるのではないか。当然、倫理を否定し、法律を否定することも珍しくない。
で、「パンクな生き方」とは、既成のロックやその世界に安住することもまた否定する姿勢かと思う。まあ、外部の人間にはロックとパンクの何が違うのか知らないが。
(追記)ウィキペディアの下の記述はなかなか分かりやすい。上で私が書いたことは大筋では合っているのではないか。
パンクのイデオロギーは多くの場合、個人の自由と反体制的視点に関係している。典型的なパンクの視点としては、反権威主義、DIY主義、不服従、直接行動、反産業ロックなどが含まれる。その他の傾向として、反サッチャー、反人種差別、反ネオナチ、反ナショナル・フロント、戦争反対、ニヒリズム、アナキズム、社会主義支持、反軍国主義、反資本主義、反レーガン、反性差別、反民族主義、反ホモフォビア、環境保全主義支持なども含まれた。しかし、パンクであっても多くはロック愛好家のノンポリのパンクスであった。他に右翼的思想の者もいたし、絶望感が深まるにつれ、ネオナチ思想やキリスト教原理主義、リバタリアンのパンクスも目立ってきた。
初期のイギリスのパンクスは No Future というスローガンでニヒリズム的姿勢を表していた。これは、セックス・ピストルズの "God Save the Queen" の一節である。パンクのニヒリズムは、「ヘロインや…メタンフェタミンといった強くて自滅性の高い薬物」の使用や剃刀での「身体の一部の切断」といった形で表されていた[14]。
サンマーメン
サンマーメン(サンマーめん、生碼麺、生馬麺、三碼麺)は神奈川県のご当地ラーメンであり、神奈川県南部を中心に広く浸透しているラーメンの一種である。名称から「サンマが入っている」と誤解される事が多いが、全く関係がない(#語源を参照)。
概要[編集]
細麺を使った塩ラーメンもしくは醤油ラーメンの上に、歯ごたえが残る程度に炒めたモヤシ入りのあんをかけた麺料理である。モヤシ炒めの中にはキャベツやキクラゲ等の野菜や蒲鉾、豚肉の細切り等も入っていることもあり、皿うどんのあんかけによく似ている。モヤシを主とするあんかけだが、「肉そば」の肉を減らして野菜を増やしたものが原型とされている。神奈川県内のラーメン店ではメニューにあることが多く、通常のラーメンより価格が安いことも多い。
桑田佳祐が自身の番組『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』で紹介するなど、多摩川以南、富士川以東の特に太平洋沿岸地域で多く食べられている。また、神奈川県外の近い地域(特に静岡県東部)でも数十年前から見受けられるようになった。神奈川県の中華料理店組合ではこのサンマーメンを県のご当地料理としてアピールしている[1]。なお、神奈川県内でも小田急小田原線沿線より北側ではあまり食べられておらず、かながわサンマー麺の会加盟店が存在しない市区も多い[2]。
語源[編集]
諸説があり、はっきりしていない。「生碼」と書く場合、生きのよい具材(碼)の意味とされる。「三碼」と書く場合、三種類の具(モヤシ、豚肉、ターサイ)を使ったための命名との説がある。馬のような生気がつくという意味で命名されたという説もあるが、「馬」は「碼」の当て字である[注釈 1]。
「碼」の用例として北京語では、「麺碼児」(ミエンマール、miànmǎr)という言い方で、炸醤麺などに載せる細切りのキュウリ、ニンニクの芽、モヤシ、白菜、大根などの麺類の具を指す[3]。ちなみにメンマは、本来の麺類に載せる各種の具という意味が、その内の支那竹(中国語 筍乾 スンガン)に特定化してしまったものである。「碼」が具という意味を持つのは北京の方言であるため、北京語で「ション、shēng」と読む「生」よりも、「サン、sān」と読む「三」の方が音に合う。また、あんかけの麺は北京を含む華北に多く見られるものである。
かながわサンマー麺の会によると、サンマーメンは「生馬麺」と書き、「生=サン 馬=マー」は広東語の読み方で、生(サン)は「新鮮でしゃきしゃきした」、馬(マー)は「上に載せる」と言う意味がある、としている[4]。
歴史[編集]
生碼麺(サンマー麺)の由来については、昭和5年(午年)に聘珍樓の当時の料理長が考案した麺料理で、それを裏付けるように昭和初期の聘珍樓の御品書には既に「生碼麺」の掲載がある。[5]
私は、「尻軽女」のことを「すべた」と言うと思っていたが、その意味で使われることもあるようだが、「ブス」の意味が主であるようだ。
ついでに、下の質問を見つけて面白かったので、載せておく。確かに「売女」と書いて「ばいた」と読ませるのは変であるが、これは疑問に思ったことも無かった。で、理由は不明らしい。質問者自身が書いているように「すべた」という言葉が関係しているとは思うが、もともと「ばいじょ」とか「ばいめ」と読んでいたとは思わない。むしろ「売春もやるような尻軽女」を、「すべた」から生まれた言葉で「ばいた」と言っていて、後で「売女」の字を当てはめたのではないか。「ばい」という言葉はかなり古くから「物売り」一般に使われたと思う。たとえば「売僧」は「まいす」と読むが、これは「ばいそう」からの転訛だろう。
バタヴィア
バタヴィア (Batavia) はインドネシアの首都ジャカルタのオランダ植民地時代の名称。インドネシア語では通常バタフィアと発音する。
解説[編集]
ジャワ島西部の北岸に位置し、古くはジャヤカルタ、ジャカトラなどと呼ばれていたが、1619年オランダ東インド会社東インド総督ヤン・ピーテルスゾーン・クーンがバンテン王国からこの地を占領、堅固な要塞バタヴィア城を築いてオランダ東インド会社のアジアにおける本拠地とした。
バタヴィアの名は、古代ローマ時代に今のオランダにあたる地に住んでいたゲルマン人の一部族、バターウィー族(Batavii)に由来し、オランダ地方の古称でもある。この名称はオランダ本国でもフランス支配下のバタヴィア共和国(1793年 - 1806年)として使われたことがある[1]。
以後、バタヴィアはオランダ植民地時代を通じてこの名称で呼ばれた。朱印船時代の日本人は現地式に「ジャガタラ(咬吧)」と呼んでいる。
17世紀末頃のバタウィアは、優に80年の歴史を刻み落ち着いた町になっていた。城壁を巡らした地区のなかにはいくつもの砲塔を備えた政庁があり、チャイナタウンやたくさんの倉庫も築かれ、街路には小さなテラスハウスが無数に立ち並び、運河や酒場もあった。チャイナタウンがあるのは、当時オランダが日本と中国の間で中継貿易を営み、日本に中国の品物を含めて輸送する役割を担っていたからである。また、気候としては赤道直下ということもあって一年中高温多湿の町でもあり、ここへ移住してくるオランダ人はさほど満足していなかった。マラリア、コレラ、デング熱などの熱帯病に倒れることが多かった。[2]。
旧バタヴィアは、ヤン・ピーテルスゾーン・クーンによって創られた。18世紀には疫病が蔓延するヨーロッパ系住民の「墓場」として、東洋中に悪名を届かせていた[3]。
1808年に総督に任命されたナポレオン麾下の元帥ヘルマン・ウィレム・ダーンデルスは、バタヴィアをイギリス軍のあらゆる攻撃から守り抜くために、海岸沿いにあった城・要塞・倉庫などを放棄し、「ベネデンスタッド(下の方の町)」と呼ばれ見下されていた古くからのバタヴィアを事実上閉鎖した。そして、海からの攻撃に対して安全と考えられる内陸で、海岸より8キロメートルほど入った場所に新しい首都を築いた。新都は「ウェルトフレーデン(十分満足した)」と名付けられた[3]。
1942年日本軍が占領して当地に軍政を敷いた際にジャカルタと都市名を変更し、第二次世界大戦後にインドネシアがオランダから独立した後も、スカルノ政権が日本統治時代の『ジャカルタ』の名称を引き続き使用することを決定し、現在に至っている。