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昔、ドストエフスキーの「作家の手帖」をざっと見たことがあったが、設定や粗筋はほとんど書かれてなく、いろいろなシーンでの人物の対話などが主だった記憶がある。だから、研究者でないと、書かれた断片がどういう作品に反映されているか、読み取れないと思う。しかも使われなかった断片が大半だったのではないか。しかし、そういう作業を通じて、「生きた人間」が生まれてくるのだと思う。
たとえば、イヴァン・カラマーゾフの語る「大審問官」の話など、作者自身のキリストやキリスト教への普段の思索が結晶したものであって、話の都合で作った、いわゆる、娯楽ジャンルの創作におけるギミック(うまい手、からくり)ではない。そこがエンタメと純文学の相違でもある。たとえば、ゲーテの『ファウスト』は、悪魔との契約という設定は昔から御伽噺にあるものだ。だが、「この世で生きることの最高の果実は何か」というのは哲学問題であり、多くの御伽噺には哲学は無く、単に「この設定で聞き手を面白がらせよう」というレベルで終わる。つまり、「文学」にはならない。設定自体の面白さは、小話にしかならないのである。もっとも、その切れ味によっては名作短編になるが、設定自体が長編でなければ表現できないようなものの場合は、物凄い忍耐力、馬車馬的努力が必要になる。
私も、設定を考えるのは好きだが、完成させた少数の作品は、発作的な創作衝動で、一気に書き上げたものばかりであり、設定から作ったものはほとんど無い。
その反対が、なろう小説やなろう小説から作られたアニメだろう。これらは設定から出発し、アニメやゲームのお約束のデティールを詰め込み、馬車馬的努力で長々と続けただけのものだとしか私には思えない。もちろん、それらは「ここではないどこかへ」行ってしまいたいという近現代人の「実存の悩み」のお手軽な救済だから需要は大きいのである。

たつき監督の「ケムリクサ」はかなり前(7年ほど前?)から自主制作アニメとして「プロトタイプ」が作られており、それを、新たな要素を加え、再構成することでワンクールのテレビアニメにしたものである。要するに、アイデアと試作品と完成品の間に普通人では耐えきれない長い時間が横たわっているわけだ。ひとつのアイデアを反芻し、完成品として作り上げるまでにはそれだけの時間と努力がかかるわけで、これが制作委員会方式アニメでは決定的に欠けている部分でもある。「けものフレンズ2」のいい加減さとの対比があまりに明白だったから、ネットで「けものフレンズ2」はあれほど叩かれたのであり、実はあの程度のいい加減なアニメは腐るほどあったと私は思っている。いや、そういうアニメのほうがはるかに多いのであり、むしろたつきは現代アニメ界の「異端者」だろう。もちろん、私はその異端者を尊敬し、応援する。




設定やお話しから作って、説明役として登場人物に全部しゃべらせるという、全部、創作の逆を行ったための結果だよな。 

条件が与えられているにしても、その中で『何を見せるのか』『そのために必要なキャラクターは』という『創る』方向に動けなければ、ただ並んだ要件を語るだけで、何も生まない。

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ツィート内容と関係は無いが、この地図は気に入った。私は関東各県の位置関係がいまひとつ頭にイメージできないのだが、これならよく分かる。埼玉が東京の真上(真北)に載っているのも、埼玉群馬栃木茨城千葉神奈川すべて東京より大きいのも知らなかった。そのいちばん小さい東京の人口がいちばん多いわけである。なお、山梨も関東に入れてやればいいのに、仲間外れで気の毒である。昔は江戸から大菩薩峠を通って山梨(甲斐の国)に行ったわけで、お隣さんだのに、なぜ関東ではないのだろうか。関東とは「関の東側」だから、箱根の関より西の山梨県はダメ、ということか。いや、下の地図のどのあたりが箱根の関かは知らないのだが。
ちなみに、大東亜戦争時の「関東軍」も、なぜ「関東」なのか分からず、最初は関東出身の兵士だけで構成された軍隊なのかな、と思っていた。たぶん、中国のどこかの有名な場所より東側を治める軍隊ということかと思う。函谷関だろうか。その函谷関の位置も私は知らない。


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【教会豆知識】

イエス様が活動した地域はだいたい今の日本の関東地方くらいの広さで、故郷のナザレからエルサレムに行くのは、だいたい今の群馬県から東京に出て来るくらいの距離。



(追記)「関東軍」の名称の意味はウィキペディアに載っていた。函谷関ではなかった。


「関東軍」の名称は警備地の関東州に由来し(関東とは、万里の長城の東端とされた山海関の東側、つまり満州全体を意味する)、日本の関東地方とは関係ない。



ゲーテの「ファウスト」のように、悪魔との契約で異世界に転生する話。1900年くらいのロシア皇帝に転生し、日露同盟、露土同盟を結び、世界を平和にする。
皮肉屋のメフィストフェレスとの対話で話にアクセントをつけることができる。

断片だけでも少しずつ書いていくべきだろうか。だが、最近パソコンが不調で、書いたものすべてが無駄になるかもしれない。
ロジャー・パルバースと四方田犬彦の共著「こんにちは、ユダヤ人です」の中に、ウッディ・アレンが一番尊敬しているのはベルイマンだ、というパルバースの発言があるのだが、なかなか面白い言葉である。たぶん、アレンはどう努力してもベルイマンにはなれないし、逆もまた同じである。
たとえば、スタンリー・キューブリックがベルイマンになろうとしても無理だろうし、なる気もないだろう。逆もまた同じだ。
ベルイマンの特徴を一言で言えば、「超真面目でユーモアのかけらも無い」ということではないか、と思う。それでいて、見ていてある種の快感があるのが不思議なのだが、ユーモアとは別に、「厳粛な面白さ」というのが映画や文学には存在するのである。人生について、見る者にひとつの次元上昇を体験させる、というのが一番近いのではないか。これは、トルストイやドストエフスキーの小説にも言えることで、優れた純文学の持つ特長だと思う。一見軽く見える「第三の男」でも、人生についての次元上昇を観る者に与えるから、名作なのである。
「縁なき衆生は度し難し」というテーマが共通するツィートとブログ記事を載せておく。後者は「神戸だいすき」より。

(以下引用)


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父と原稿で思い出した話
まだ実家で描いてた頃に
台所の雨漏りを修理するからと
二階の私の部屋(屋根に出られる)に父が来たので
ちょうどいいとお茶飲みに行き
戻って窓の外みたら靴下の汚れ防止に
描きかけマンガの原稿を足の下に敷いてた
描いた面が下
超怒ったけど全然通じず
とんでもなかった





「話せばわかるんだ」と、40歳過ぎまで信じていました。

それが「話してもわからない。話せば話すほど遠ざかる」ことに気付いたのは45歳ごろです。

話すことによって、互いの違いが鮮明になるので、いさかいは大きくなるだけでした。

初めは、話し方が悪いのか、下手なのかと思いました。
確かに、相手の欲しがるものを、エサを投げれば、うまく食いつくかもしれない・・・それも、技だろうけど・・・

ついには「話さなければわからない相手は、話してもわからない」と、悟りました。
それは「わかる」というメカニズムを理解できたからでした。

「わかる」というのは、基礎に「共通認識」があるときのことです。
過去に同じ体験をしたとか、境遇が似ている、

そういう時には、互いに分かり合えることが多いのです。
ことばに出さなくても、目と目でわかる。
時には、瞳を見交わさなくても、わかる。
けれど、同じベースを持っていない人とは、話してみてもかみ合いません。外国人としゃべっているようです。

(中略)

子供を亡くした親の気持ちは、無くしたことのないモノにはわかりません。
話してもらっても、わかりません。

あるいてきた道や、周囲の景色が違う人とは、完全に理解し合うことができない。
まして、故郷の話なんか、故郷が違えば、なにもわからない。

思想や、ものの考えかた、判断にしても、同じです、
共通認識なしに、語り合うことなど出来ない。

相手が、今の安倍政権のやっていることを知らなければ、いくら「けしからん」と言っても伝わりません。
放射能被害にしても数値や、程度に共通の認識が無ければ、同じ結論は出ないのです。
話すほど、心は離れていきます。

話せばわかる?

どんでもない。話さなければわからない相手は、話してみてもわかりません。

わかるように「基礎知識を教える」にしても、問題意識をもって、自力で検索した人と、あてがわれた人では考え方が違います。
どこか、似た者同士で、同じような体験をして、同じような価値観を持つ人となら、ヒントになる言葉を、投げ合うだけで、お互いの考えがわかる。
今ここに同席していても、昨日までの歩み方が異なれば・・・話してもわかりようがありません。
話し合いが有効なのは、話し合いができる組み合わせの時だけです。








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