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ネットテレビで、古い白黒撮影映画である「愛の調べ」を見たら、意外な秀作だったので、メモしておく。最初は、作業のBGMとして流すつもりだったが、最初のあたりを見ていると、だんだん引き込まれ、とうとう全部見てしまった。特に派手なところは何もない、夫婦愛の物語だが、細部に至るまで丁寧に作られ、気持ちよく見られるという点では「会議は踊る」や、たつき監督の「けものフレンズ」に通じるものがある。
昔の映画は、本数が少なかっただけに、評判は高くなくても腕のある監督によって一作一作が丁寧に作られていたのがよく分かる。白黒時代の監督たちは特に一部の監督だけが映画史に名を残したが、その他の監督とさほど腕前に差があったわけではないと思う。
この作品の場合は音楽の使い方が特に見事で、シューマンの精神病を、場違いなAの音が頭の中に響くことで表したのが上手い。また、話の最初と最後を「トロイメライ」でつなげたのも上手い。いわゆる「円環構造」になっているわけだ。トロイメライという甘い通俗的クラシック(まあ、人気がありすぎるのはどこでも聞くので通俗曲化するのが宿命である。)がこれほどしみじみと聞けるのは稀だろう。また、同じ曲をシンプルに弾くのと装飾音過剰で弾くのとの違いが明瞭に分かるのも凄い。これはルービンシュタインが弾き分けたのだろうと思う。
なお、話のつなぎとしての「生活スケッチ」のギャグが、実に上手い。何でもないようなとぼけたギャグだが、実にいい味付けになっているのである。
「クラシック曲を上手く使った映画」という点では、前出の「会議は踊る」の中の「韃靼人の踊り」と、キューブリックの「2001年宇宙の旅」「時計仕掛けのオレンジ」などと並べてこの映画を入れてもいい。


愛の調べ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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愛の調べ
Song of Love
監督 クラレンス・ブラウン
脚本 アイヴァン・トース
イルマ・フォン・クーベ
アレン・ヴィンセント
ロバート・アードリー
原作 バーナード・シューバート
マリオ・シルヴァ
製作 クラレンス・ブラウン
出演者 キャサリン・ヘプバーン
ポール・ヘンリード
ロバート・ウォーカー
音楽 ブロニスラウ・ケイパー(音楽監督)
撮影 ハリー・ストラドリング
編集 ロバート・カーン
製作会社 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)
配給 アメリカ合衆国の旗 MGM
日本の旗 セントラル映画社
公開 アメリカ合衆国の旗 1947年10月9日
日本の旗 1949年2月1日
上映時間 119分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 2,696,000ドル[1]
配給収入 1,469,000ドル(北米)
1,268,000ドル(海外)[1]
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愛の調べ』(あいのしらべ、原題・英語: Song of Love)は、1947年に製作・公開されたアメリカ合衆国の映画である。

概要[編集]

クララ・シューマンと夫ロベルトとの出会い・結婚生活を描き、クラレンス・ブラウンが監督、キャサリン・ヘプバーンポール・ヘンリードロバート・ウォーカーが主演した。

劇中のピアノ演奏シーンでは、アルトゥール・ルービンシュタインの演奏による音声が使用されている[2]

キャスト[編集]

スタッフ[編集]




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「私を野球に連れていって」(シナトラとジーン・ケリー)を半分見たが、シチュエーションだけは面白い。(歌と踊りは非常に退屈)
そのシチュエーションだけを使って、野球漫画の原作にできそうである。
つまり、野球の好きな女の子が、金持ちの父親(祖父)が所有していた球団を遺産で相続して球団改革に乗り出し、選手たちとのトラブルなど紆余曲折の後、成功するという話。
特に目的の無い、思考メモ

・古いジャズメンの名前をキャラクターの名前に使うこと
(例)マイルス&デイビス兄弟、剛腕ルイ(サッチモ)、サッチモのコンビのニッチモ、コルトレーン教授、etc

・鳳凰が「回復薬」と同じ効果の歌を歌うRPG 、その住む近くにはホウオウボクがある。

・月の出は地球の自転によるものとしたら、月の公転(?)は地球から見てどのような回り方なのか。東西方向か南北方向か、それとも、どちらでもない? 仮に東西方向だとしたら、月の出は地球の自転と月の公転(?)の複合現象か。(月の公転は、月の満ち欠けに関するもので、約1か月周期だから、毎日の月の出にはあまり関係しない、関係しても、月の出が毎日少しづつ遅くなる、という現象としてのみ関係する、そして公転軌道は地球の東西方向というのが正解かと思われるが、小学生レベルの頭ではなかなか理解が難しい。)

・「ステンカラージン」の「うつつにはなやぐ笑みこそあわれ」の「うつつに」は「夢うつつに」の意味であって、このような用法の「うつつに」の使い方も多いのではないか。

・「あはれ(あわれ)」は感動を大雑把に表すもので、喜び悲しみいずれにも使い、もともと「ああ、はれ」だったとされている。その「はれ」とは、「何かが突出する」意味だと思われる。「ああ、はれ」とは「ああ、思いが胸から溢れ出る」意味かと思う。「晴れる」とは「雲に閉ざされた中から光と青空が突出拡大してきた」意味、「腫れる」は、「皮膚の下から皮膚を持ち上げる何かが突出してきた」意味、「春」は、「寒さと暗さの季節から、暖かさと明るさが突出してきた」意味。「はる」は突出だけでなく拡張や膨張の意味もあり、「張る」がそれ。腹が張る、弓に弦を張る、など拡張や膨張やそれらを引き締めることに伴う強い緊張状態をも表わす。
高校時代にちゃんと西洋史(世界史)の勉強をしていたら、こんなのは常識なのだろうが、「ヴィシー政権(政府)」のヴィシーが人名なのか地名なのか分からなくなって、ネットで調べてみた。まあ、「ペタン将軍」とかいうのが政権の座にいたような記憶がうっすらあるからたぶん地名かな、とは思ったが、自信がなかったのだ。フランス語の「レジーム・ド・ヴィシー」は「ヴィシー政権」ではなく「ヴィシー体制」と訳するべきだろう。



ヴィシー政権ヴィシーせいけん、フランス語: Régime de Vichy)は、第二次世界大戦中における、フランスの政権(1940年 - 1944年)。 フランス中部の町、ヴィシーに首都を置いたことからそう呼ばれた。「 ヴィシー政府」、「ヴィシー・フランス」ともいい、この政権下の体制を「ヴィシー体制」と呼ぶ。







私が基本的に推理小説をあまり好まないのは、「登場人物が、単にストーリーを進ませるための道具である」のが理由だと思う。(SF小説もそれに近い。)もちろん、キャラ作りに力を入れている、たとえば森博嗣のような作家(彼の場合は青年時代に漫画を描いていたからだろう。)もいるが、それはそれで、話の筋とキャラ作りが無理に接合した感じである。推理小説は短編に限る、というのはそのためだ。
推理小説のキャラで、生きているのはシャーロック・ホームズだけではないか。まあ、ルパンもそうかもしれない。つまり、「冒険小説」的推理小説の場合は必然的にキャラと話が密接性を持ってくる、ということだろう。





最近、具体例で『お話しと設定を、台詞で並べるだけ』と『登場人物の個性が、直面した状況で行う行動と発言が物語になる』間の、埋められない落差に気付き始めた人が増えて重畳。
自分も小中生頃には、過去の創作物の表層をなぞった前者側に居たのだが、それは単なる創作ごっこ。
抜け出せて良かった。




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