忍者ブログ
[118]  [119]  [120]  [121]  [122]  [123]  [124]  [125]  [126]  [127]  [128
小田嶋氏のツィートで、その発言内容に同感だが、それより私が考えたいのは「侠気」を「おとこ気」と読む、つまり「侠」を「おとこ」と読ませる慣習で、もちろんこれは一般的によく見られるものだ。そして、「侠客」がヤクザの別名であるように、「侠」にはアウトローのイメージが付きまとう。美化的に言えば、「法に逆らっても俺は大事なもの(友情や組織)を守る」という思想が「侠」という言葉には含まれているようだ。その「侠」という字に「おとこ」という読みが当てられるのは、そういう一種の「勇気」は男に特有のものだ、という意識が近代以前には一般的だったのだろう。つまり、「女は家を守り、家族の世話をし、子供を育てる優しい存在」だから、「法を破ることで家庭をも捨てる」ことを含意する「侠」という字には女はふさわしくない、という無意識的思考が背後にあったのではないかと思う。
まあ、やくたいもない思索だが、侠という思想や行為は「家庭を持つ」ことと乖離する、ということは言えるかと思う。マイホーム主義のヤクザなど、漫画の世界だけだろう。

(以下引用)


身内をかばってる連中は、自分では侠気(オトコギ)を見せてるつもりでいる。そういうところが、どうにも救いようのないところで、彼らは自分たちの結界のなかでベタベタと陶酔しているのだね。ああ気持ちが悪い…
PR
これも一種の「フラグ回収」か。
「おれ、この戦争が終わったら結婚するんだ……」と婚約者の写真を仲間に見せる兵士www


近藤ようこ
@suikyokitan
断腸亭日乗、朝は雀の子の囀りがうれし気だと記し、その夜には焼けだされたことを記している。>RT
彼が死鬼と呼ばれたのは、その恐るべき剣の腕のためでもあるが、最愛の娘を失ってからの彼の姿が、まさに背後に死を背負った鬼のように見えたからでもある。本来の名は「式平右衛門」と言う。

妻を失ったのが彼が三十の時で、娘を失ったのが四十五の時だった。それから十年以上、彼は死鬼として生きている。なぜ死なないのか。別に死ぬのが怖いわけではない。単に、自ら死を選ぶのは、何かに負けたような気がするからだ。それも彼の業だろう。彼は不敗の剣豪だったから、自分自身にすら負けるのは誇りが許さないのかもしれない。

白峰城の城下町の居酒屋で酒を飲み、酒が回ると安長屋の一間に帰って寝る。彼の十年はそれの繰り返しだった。時々、彼を倒して名を上げようという若い侍が彼に挑みかかるが、相手が手を出したその瞬間、彼の剣は相手の喉笛にピタリと当てられている。剣に相手の剣が触ったこともない。だから「音無しの剣」とも呼ばれていた。

出仕して城主に仕えたこともある。だが、彼を必要とする仕事は城の中には無かった。彼の剣の腕は彼の天才によるもので、他人に教授できるものではなかったからだ。
しかし、城主は彼の腕を惜しんで、終身扶持を彼に与えた。何もしなくていい。ただ、いざという時にその腕を貸してくれたらいい、と城主は言った。
例の、大和朝廷の話だが、登場人物は仮名で、「ああ、あれだな」と類推できる名前にしようと思っている。
たとえば、神武天皇の有能な部下で、スパイや物見の役割をする男は

野見長脛彦(のみのながすねひこ)

で、野見の宿祢とナガスネヒコの合体した名前。当然、蚤のすねは長いという意味。
蚤のようなジャンプ力を持っている。

以下、おいおい追加していく予定。

(5月31日追記)天皇以外の天皇一族は「王」とする。

天智天皇:西湖王(サイコパス)→天地天皇
天武天皇:山立王(簒奪者)→展武天皇
額田王:奴賀田巫女
持統天皇:治當天皇
斉明天皇:最明天皇
中臣鎌足:仲冨鎌子
僧旻:日文法師

小田嶋隆のブログ記事の一部だが、この芸能界や出版界の話は、銀行業界の「信用創造」に似ている。何も無い紙に数字が書かれただけで、(銀行自体にそのカネが存在しなくても)世の中にカネが突然生まれる、というあの詐欺行為である。
プロデュースというのは、創造行為ではなく、「仲介行為」「創造援助行為」であるが、それが、その名前に「プロデュース(生産・創造)」という言葉が入ることで、誤解を招いている。つまり、無から有を生んでいるのではなく、既にある誰かの作品を世に出す行為である。創造価値は当然、作った人に所属するが、それをプロデュースする者がいないと作品や作者は世に埋もれる。
そういう意味では、「信用創造」とは違う面があるが、詐欺師的部分が大きいという点では似ている。まさに、「世に出してやる」ことで、世間への信用を創造してやったわけだ。

(以下引用)


 テレビタレントの例を引くと、ずっと直感的にわかりやすくなると思うので、以下、芸能人の「実力」の話をする。

 芸能人の「実力」は、そのほとんどすべてを「知名度」に負っている。で、その「知名度」の源泉となるのは、メディアへの露出度で、メディアへの露出量を担保するのは、そのタレントの「実力」ということになっている。

 ん? この話はいわゆる「ニワトリとタマゴ」じゃないかと思ったあなたは正しい。

  1. 知名度があるからみんなが知っている
  2. みんなが知っているから愛される
  3. 愛されるからタレントとしての実力が認められる
  4. タレントとしての実力があるから出演のオファーが来る
  5. 1に戻る

 つまり、最初に誰かのおまけでも何でも良いからテレビに出て顔を売れば、その顔を売ったという実績が自分の商品価値になるということだ。
 ライターも実は似たようなものだ。商業誌に連載を持っているからといって、そのライターがとびっきりに文章の上手な書き手であるわけでもなければ、人並みはずれて頭が良いわけでもない。正直なところを述べれば、一流の雑誌に書いているライターの中にも、取りえのない書き手はいくらでもいる。

 それでも、一度業界に「座席」を占めたライターが仕事を失わないのは、業界の編集者たちが「◯◯誌に書いている」という実績を重視する中で、「実力」と称されるものが仮定されているからだ。
 行列のできるラーメン屋の構造と同じだ。誰もが行列のケツにつきたがる。そういうくだらない話だ。

 そんなわけで、キャスティング権を握っているテレビのプロデューサーや、編集権を手の内に持つ雑誌の編集者は、言ってみれば、タレントやライターの「実力」を自在に生産・配布する利権そのものなのである

<<< 前のページ 次のページ >>>
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
P R
忍者ブログ [PR]

photo byAnghel. 
◎ Template by hanamaru.