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私は字が下手なので、字が上手くなる原理や原則のようなものが知りたいのだが、下の子供の字はその好例になりそうだ。
一画一画は実に端正で、書字における「運動神経」(指先神経)が非常に良さそうだが、一字一字のバランスが非常に悪い。つまり、字の大きさの統一性が無いように思える。たとえば「土曜」という熟語が、「土」が小さく「曜」が大きいのでアンバランスに見える。そして、ひとつの字の中でも部分と部分の相対的な大きさのバランスが取れていない。たとえば、「曜」という字の右と左のバランスである。
全体的に言うと、ひらがなに癖が強く、「な」や「か」や「れ」が癖字である。「を」も癖字っぽい。これは、ひらがなはわりと低学年で覚えるから、その段階で癖がついたのだと思う。
一番大きな特徴として、一字一字を書くことに神経が囚われ、書面全体での統合性が無いように見える。書道なら一字ごとに神経を集中するのは好ましいだろうが、ペン字だと、下の写真のように字と字のバランスが悪いと特に目立つようである。つまり、活字のように、すべての字がひとつの四角の中に納まるイメージで書くと書面全体でのバランスも良くなるのだろう。このことを学校教育の最初で教えるべきではないだろうか。つまり、国語のノート(原稿用紙型)のマス目の八分目くらいを目安に、マス目の四角の中に字を収めるイメージである。マス目が無いノートでも、そのイメージを持つということだ。
しかし、繰り返すが、下の写真の漢字では一画一画を実に丁寧に書いていることがよく分かり、それ自体はとてもいい。(ひらがなだと気がゆるむのか、雑さを感じる。)字の下手な人間は、一画一画に神経を集中していないから、どんどん下手になるのだと思う。まあ、それ以前に「どういう字を書くべきか」というモデルが頭の中に無いのが字の下手な人間の特徴だと思う。

(以下引用)


子供隣組というのがあったのか。しかも日曜日に常会…
引用ツイート
ナンブ寛永
@kan_ei_sen
·
ボンドルド
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まあ、ネット情報か、何かの本で読んで知った知識をツィートしたのだと思うが、怪しい知識をさも事実であるかのように触れ回るのは問題だろう。そもそも、ハンガリー人に失礼な内容である。特に言いふらす必要性は無いと思う。
もちろん、外国人を異生物(怪物)扱いするのは世界的によく見られる現象ではある。
どちらかと言えば、(来葉氏の言うのに近いが、それとも少し違って)「オーク」との音の類似で作られた言葉と見るのが適切かと思う。「ホイミ」「ベホイミ」「ベホマ」「ベホマラー」「ベホマズン」という類の造語法ではないか。もちろん、「オーガ」が近世の造語だと言い張るつもりはないが、古代にも似たような造語法はあったと思うわけだ。

来葉伸二
@ShinjiLeiber
トールキンおたくの観点からするとこれは違って、オーク(Orc)と同じく、ギリシャ語に由来するラテン語の冥界の神オルカス(Orcus)が語源で、フランス語Ogreになり、英語に入った。 アカデミー・フランセーズ辞典の古い版に「ハンガリー人」との説明があるが、語源的には根拠不明のよう。
引用ツイート
大西巷一
家
『乙女戦争外伝Ⅱ 火を継ぐ者たち』連載中
·
ファンタジーゲームでおなじみの人食い鬼オーガogreの語源はハンガリー人(Hongroisオングロワ)。 #歴史知らない人が嘘だと思うけど本当の事言え
昔の作家はほぼ全員がアマチュア作家だったのだから、この頃に「アイデア先」「キャラ先」という創作技法問題があったのか疑問である。もちろん、少し時代が進むとモーパッサンのようにアイデア先行型と思われる作家もいるが、ほとんどは「物語」を書く意思で書いていたわけで、そこではキャラとアイデアは同時的に発生したのではないか。近代小説の祖とも言われる「ドン・キホーテ」は、明らかにキャラと物語が同時に生まれているはずだ。小説創作が商業化して後に「アイデアが先かキャラが先か」という意識は生まれたのだと思う。
そもそもツルゲーネフの作品には物語性は少なく、抒情性が主だと思う。つまり、詩を小説形式で書いたように見える。その「物語性の乏しさ」を「キャラ先」と言っただけだろう。もちろん、そういう作品も大きな価値があるのであり、現代の小説には逆に詩情がまったく欠如しているから、その中で比較的詩情のある村上春樹などが世界的に好感を得ているのだと思う。

愛書家日誌
@aishokyo
私はアイディアから始めたことは一度もない。いつもキャラクターから始める。 イワン・ツルゲーネフ #本の名言
デイッケンズの「大いなる遺産」は、世界文学史上の奇跡的な作品のひとつだと私は思っている。なぜかというと、一人称で語りながら、それが単なる語り手の思い込みにしかすぎず、現実は別の姿である、ということが読者に分かるように描かれているからである。一人称形式の文学で、こういう達成をしたものを私はほかに見たことはない。
その最近の映画化を先ほど見て、途中まで見た段階だが、非常に誠実に作られた作品だとは思う。だが、同じ作品の映画化でも、私はデビッド・リーンの作品がはるかに上だと思う。さすがに一人称描写はしていないが、少年の目から見た世界の不可解さを見事に描いているからだ。
デビッド・リーンは後に「アラビアのロレンス」や「ドクトル・ジバゴ」などの大作映画で名声を確立したが、その本当の良さはこうした小品のほうが出ていたと思う。

大いなる遺産 (1946年の映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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大いなる遺産
Great Expectations
監督 デヴィッド・リーン
脚本 ケイ・ウォルシュ英語版
アンソニー・ハヴロック=アラン英語版
デヴィッド・リーン
セシル・マッギヴァーン英語版
ロナルド・ニーム
原作 チャールズ・ディケンズ
製作 ロナルド・ニーム
製作総指揮 アンソニー・ハヴロック=アラン
出演者 ジョン・ミルズ
アンソニー・ウェイジャー英語版
ジーン・シモンズ
ヴァレリー・ホブソン英語版
アレック・ギネス
音楽 ワルター・ゲール
撮影 ガイ・グリーン英語版
編集 ジャック・ハリス英語版
製作会社 シネギルド英語版
配給 イギリスの旗 GFD
日本の旗 BCFC/NCC
公開 イギリスの旗 1946年12月26日
日本の旗 1949年1月29日
上映時間 118分
製作国 イギリスの旗 イギリス
言語 英語
テンプレートを表示

大いなる遺産』(おおいなるいさん、原題: Great Expectations)は、デヴィッド・リーン監督、脚本による1946年のイギリスのドラマ映画。チャールズ・ディケンズによる同名の小説を原作としている。

ストーリー[編集]

キャスト[編集]

※括弧内は日本語吹替[1](初回放送1963年4月29日『劇映画』15:30-17:30)

評価[編集]

2011年2月に『タイム・アウト・ロンドン』誌が発表したイギリス映画のベスト100では25位となった[2]

受賞・ノミネート[編集]

部門候補結果
アカデミー賞 作品賞 ロナルド・ニーム
アンソニー・ハヴロック=アラン
ノミネート
監督賞 デヴィッド・リーン ノミネート
脚色賞 アンソニー・ハヴロック=アラン
デヴィッド・リーン
ロナルド・ニーム
ノミネート
撮影賞(白黒) ガイ・グリーン 受賞
美術賞 ジョン・ブライアン(美術監督)
ウィルフレッド・シングルトン(装置監督)
受賞

出典

まあ、どうでもいい話なのだが、私は「トムとジェリー」のアニメを見たことがほとんど無く、猫とネズミのどちらがトムでどちらがジェリーかよく分からない。主題曲はうろ覚えであるが「トムトムニャーゴ、ジェリジェリージェリーチュー」というフレーズがあったような記憶があり、それからすると、トムが猫でジェリーがネズミだろうな、とは思う。山猫をトムキャットと言ったと思うので、その連想からもネズミにトムは使いにくいかな、というのは考えすぎか。
で、これもうろ覚えなのだが、「トムとジェリー」のアニメ会社は、「バックスバニー」のアニメ会社とは別だったような気がする。また、「フェリックス・ザ・キャット」のアニメ会社も別だったように思う。同時期にいろいろな動物擬人化アニメが流行っていたようだ。「フリントストーン」(日本題名は失念)の会社も別だったように思うが、それは絵柄がそれぞれ多少違う感じがしたからそう思うだけである。みんなどこか似ていて、しかし違う感じがある。
こんなのは今のネット時代には調べればすぐに分かるのだろうが、調べるほどの問題でもない。園山俊二の「ギャートルズ」は明らかに「フリントストーン」(これは実写版の題名で、アニメの題名も同じかどうかは知らない)が元ネタだろう。題名はもちろん「ビートルズ」からの借用だろう。
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