(以下引用)なぜか、画面が黒くなったが、そのまま載せておく。
黒澤組の格は脚本家 小国英雄、橋本忍、菊島隆三
黒澤明作品といえば、望遠レンズ、パンフォーカス、マルチカム撮影、などの撮影法とともに、脚本の共同執筆作業が有名です。
黒澤組の脚本選手は、プレイングマネージャーである黒澤明。
そして小国英雄、橋本忍、菊島隆三といった超一流の脚本家で固められている、ある意味完璧な脚本集団であったのです。
小国英雄は戦前から活躍してきた脚本家界の重鎮で、生涯に300本以上の脚本を書いており、当時2本脚本を書けば家が買えるほどのギャラを貰っていたという。
橋本忍は「羅生門」で黒澤に見出されてデビューしたある種天才とも呼べる脚本家。
「真夜中の暗黒」「私は貝になりたい」「切腹」「白い巨塔」といった社会派作品の名作を残している。
重く深いテーマを題材にして綿密な構成でもって魅せてくる名作家である。
菊島隆三は「野良犬」でデビューして以来、「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」など、アクション娯楽系の作品で黒澤に重宝された人物。
黒澤作品以外にも、「六人の暗殺者」「男ありて」「兵隊やくざ」などの男性が好む娯楽映画を残している。
また菊島の助手からは、後の「赤ひげ」「影武者」「乱」の脚本チームに加わった井手雅人が育っている。
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脚本を共同執筆する意味
黒澤は稀代の演出家であると同時に、日本で一二を争うシナリオライターである。
自分一人で良い脚本が書けるのに、なぜわざわざ他者にお金を払って衝突して、脚本を書き上げていたのだろうか。
それは、良い脚本プロセスの絶対条件として、客観性というものを重んじていたのでしょう。
黒澤は小説のストーリーテリングよりも、映画のストーリーテリングはより観客目線で書いていかなければ伝わらないということを、しっかり認識していました。
主観的な目線より、観客の目線を重んじて書く為には、複数の頭脳で書いた方がよりわかりやすくて面白い本になるということでしょう。
その過程の中で起こる意見の食い違いやストレスを受け入れた上で、もっと良い作品にする為には、脚本は自分の感性や能力一つに頼っていてはいけないという確固たる答えを黒澤は持っていたのです。
橋本忍
「七人の侍」の執筆作業が終わった後、ベテランの小国英雄が橋本にこう言ったという。
「いいか、シナリオライターには三種類ある。鉛筆を指先に挟み、指先だけですらすら書く奴、指先に挟んだ鉛筆を、指先でなく掌全体の力で書く奴、ほとんどがこの2種類だが、お前は肘で書く、腕力で書く…。
その腕力の強さじゃお前にかなうものは日本にはいない。
しかし、その腕力に頼って無理なシチュエーションや不自然な状況を作っていては、リスクが高い。
成功すれば各種喝采だか、失敗する可能性の方が高いんだ。」
これは、先輩の小国英雄からの「無茶をするな」というアドバイスであるとともに、「お前は才能がある」という太鼓判を押された言葉でもある。
その場の同席していた黒澤はその小国の言葉を橋本よりも緊張した面持ちで聞き入っていたという。
橋本忍はもともとサラリーマンをしながら、伊丹万作の指導を受けて脚本を書いていた。
橋本がはじめて書いたのが「雄雌」という芥川龍之介の短編小説「藪の中」を題材にしたものだった。
橋本は特に芥川龍之介が好きだったというわけでもなく、ただ夏目漱石や森鴎外などの文豪の作品は映画化されているのに、なぜ芥川作品の映画化作品はないのか?という疑問からはじまったという。
黒澤は黒澤で、時代劇と言えば江戸時代や戦国時代ばっかりでなぜ平安時代はないんだろう?と思っていたという。
そんな黒澤のもとにふとした縁で「雌雄」が入り、黒澤が気に入って次回作にすると決定。
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黒澤は橋本を東京まで呼んで、「雌雄」は映画いするにはちょっと短いから、どうにかしてくれないか?と頼んだところ、橋本は思いつきで別の芥川短編の「羅生門」を足したらどうか?と提案。
それが通り「羅生門物語」として第一稿が完成したという。
そのあと、橋本は病気にかかってしまったため、最終脚本は黒澤単独で書き上げられた。
橋本の脚本はその綿密な構成力が突出しているのだが、自身のシナリオ術についてこう述べている。
「じっくりと素材を育てて、いよいよこれで大丈夫かなとなったら、そこではじめてテーマと構成に入る。
次に全体の大まかな形を一応作ってみて、大体のストーリーを創る。
そのあとに、ストーリーを分解して細かく詳細を書いていく(箱書き)。
これが難しい。この計算が大変なんですが、「シナリオとは計算の芸術だ」と伊丹万作さんが言っておられたが、完全にその意見に同意できる。
天才なら別だが、私は綿密な計算を根気よくやってシナリオを完成させていくしか出来ないんだ。」
正に「羅生門」の脚本は小国が言った通りの、「腕力に頼って創った無理目なシチュエーション」であったが、その脚本腕力と黒澤組の仕事の精度でもって、リスクを跳ね返す傑作となった。
黒澤の脚本術
一方の黒澤明の脚本の書き方は、大体の展開はあらかじめ考えておくべきだが、出だしから順に追って執筆していくという書き方。
流れを意識して、登場人物のキャラクターを深く掘り下げながら、思わぬ面白い展開を見つけられないか?というような書き方である。
いわゆる「箱書き」というぶつ切りでストーリーを考えていくことが不自然だと考えていたタイプであることから、実は橋本とは正反対の考えを持っていたのである。
なので、「七人の侍」は第一稿は橋本単独に任せていたプロセスだった。
が、そのあとの「生きものの記録」以降は黒澤も橋本も同時に書き始めて、良い方を採用するというシステムに変わった。
それ以来、橋本はタイプの違う黒澤との同時執筆が、かなりやりにくい仕事であったと安易に想像できる。
橋本は、「生きもののの記録」は失敗作と言い切ってもいるし、かなりの体力と精神力を使う黒澤組での仕事は、はじめの三作「羅生門」「生きる」「七人の侍」で終わりにしたかったと述べている。
しかし、黒澤に認められて脚本家としての地位を見出した橋本にとって、黒澤からの誘いは断れない。
その後も「蜘蛛巣城」「悪い奴ほどよく眠る」と共同執筆したが、「悪いやつほどよく眠る」に関しては「仕事に当てるスケジュールは2週間でノーギャラ」という舐められたオファーであったという。
その後、黒澤と橋本はいっしょに仕事はしていない。
黒澤に認められて世界的名作となった「羅生門」で映画デビューした橋本忍。当然黒澤に恩はある。
しかし黒澤組では助手のような扱い。もうすでに相当の売れっ子作家であった橋本にしてみれば、脚本術も正反対であったこともあって、黒澤から離れるべくして離れていったのでしょう。
菊島隆三・小国英雄
黒澤作品はバラエティに富んでいながらも、すべての作品で完成度が高い。
その大きな理由の一つに、作品の趣によって共同脚本執筆者を使い分けているからである。
「羅生門」「生きる」「七人の侍」など、重厚なテーマを擁している作品では橋本忍。
「わが青春に悔いなし」「悪い奴ほどよく眠る」「天国と地獄」など、社会派サスペンスでは久板栄二郎。
「素晴らしき日曜日」「酔いどれ天使」などの小市民を描いたものは、植草圭之助。
「野良犬」「用心棒」「隠し砦の三悪人」などの痛快娯楽映画は菊島隆三。
とくに、菊島隆三の脚本家としての存在感は「用心棒」では非常に大きく、セルジオ・レオーネ監督「荒野の用心棒」のリメイク脚本権利収入が入ってきたとき、菊島が7割、黒澤が3割で分配したという。
それほどまでに黒澤の信頼を得ていたというか、「三十郎」というキャラは黒澤ではなく、菊島が生みの親であるということでしょう。
小国英雄は黒澤組ではまとめ役として、上がってきた脚本に目を通してジャッジするという仕事であった。
「生きる」で主人公が物語の中盤で亡くなる展開は小国英雄のアイデア。