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毎度引用するこの歴史サイトの管理人氏は天皇家の出自を「隼人」だと見ているが、私は「朝鮮人」だと見ている。つまり、「高天原」が朝鮮で、そこから九州に渡来して北部から中部に定住して王国を作ったのが大和朝廷であり皇室だろう。
作家の黒岩重吾は「邪馬台国」が大和朝廷の元だ、と考えているが、ほとんどの人間が日本史を習った最初にそう考えるだろう。つまり、「ヤマタイ」と「ヤマト」の音があまりに似ているからである。そして、大和朝廷の東征とは九州の部族が近畿に移動したことなのだから、それは邪馬台国だと考えても不思議はない。
だが、そこで私が他の論者と意見が異なるのは、多くの論者は邪馬台国政府やその部族を日本土着の「原住民」だと考えていることで、私は大和朝廷とは朝鮮からの渡来人の作った政府だと思っている。(つまり隼人は皇室の祖ではない。)そうでないと、日本書紀の中での朝鮮や朝鮮人の存在の大きさが不自然だからだ。(その一方で、隼人は敵であり、また服属後は下級軍人か兵士でしかない。皇室と祖をおなじくする部族にそんな扱いをするわけがない。)
そう考えると、大和朝廷の「実質的建国者」と言っていい崇神天皇が「四方の異民族」を征服し、その異民族とは「俗(風俗)を異にする」存在であったということの意味が明白になる。
つまり、大和朝廷は朝鮮から渡来して「原日本人」の無数の部族を切り従えて日本を征服した征服王朝なのである。(ただし、大和朝廷を「騎馬民族」とするのは不適切だ、とは前に書いたことだ。)



崇神天皇(十八)異俗が多く帰する(日本書紀)

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原文

十一年夏四月壬子朔己卯、四道將軍、以平戎夷之狀奏焉。是歲、異俗多歸。国內安寧。

現代語訳

崇神天皇11年夏4月28日。四道将軍は戎夷(ヒナ=周辺の異民族の蔑称)を平定した状況を天皇に報告しました。この年、異民族が沢山と従うようになり、国内は安寧でした。

解説

四道将軍を派遣して埴安彦の反逆があったのが、崇神天皇10年でした。

個人的コラム

夷狄(ヒナ・イテキ)という表記は中国の史書の描き方です。中国は「中華思想」で周囲の異民族をバカにしていました。夷狄はそういう蔑称です。

それで日本も習ったのでしょう。
ところで日本の周囲に「異民族」が居たのでしょうか?
分かりません。
居たのかもしれません。
確実に東北に蝦夷がいました。蝦夷はどうも血統でいうと「縄文人」です。では天皇の血統はどうかというと、「隼人」です。ニニギが南九州に降り、その後の神話は明らかに隼人です。また、神武天皇は九州から東征しています。

ヤマトタケルの時代に東北から「佐伯」が伊勢へと連れてこられます。この佐伯は「騒がしい」ので伊勢から、広島などへと移民させられます。この「騒がしい」をどういう意味かと考えた時、私は「悪い意味」ではないんじゃないか?と思うのです。

隼人は大和朝廷に参加した後に大和朝廷の警備の仕事をするようになります。隼人は「犬のように吠えた」とされます。これは「声が魔を祓う」という意味です。

神武天皇が東征して、長髄彦に敗北した後に雄叫びをあげます。敗北という魔を祓ったのです。

日本人は「声」に特別な力があると考えていました。それは佐伯も同じだったのではないか?と思うのです。

だから夷狄といっても、どの程度の文化の質に違いがあったのか?は分かりません。中国人にとっての夷狄とはニュアンスは大分違うんだろうと思うのです。



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