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私が最近日本書紀を読んでいるのは、それを使った創作を考えているためでもあるが、それ以上に、その不自然なところを「解釈」するのが面白いからだ。
下の記述の「(殺される女の)肌を露出させるなよ」「手足の飾りの玉を取るなよ」というのは、「レイプしたりするなよ」という意味ではないか。殺される雌鳥皇女と皇后は姉妹だったので、少しの情けを示したのだろう。
なお、仁徳天皇の仁慈を褒める記述が書紀の仁徳記には多いが、その一方でこのような暗殺や好色な部分も書き残しているのは、そういうのは権力者にとっては当たり前という認識だったのだろう。
史書の常として、「権力者を褒めた部分は大半が嘘」「悪行の記述は事実」と思うのが読書姿勢としては無難だと思う。逆に「敵側の悪行(醜行)の大半は嘘」と考えられる。




仁徳天皇(二十八)雌鳥皇女と隼別皇子の逃避行

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原文

卌年春二月、納雌鳥皇女欲爲妃、以隼別皇子爲媒、時隼別皇子密親娶而久之不復命。於是、天皇不知有夫而親臨雌鳥皇女之殿、時爲皇女織縑女人等歌之曰、
比佐箇多能 阿梅箇儺麼多 謎廼利餓 於瑠箇儺麼多 波揶步佐和氣能 瀰於須譬鵝泥
天皇知隼別皇子密婚而恨之、然重皇后之言、亦敦友于之義而忍之勿罪。俄而、隼別皇子、枕皇女之膝以臥、乃語之曰「孰捷鷦鷯與隼焉。」曰「隼捷也。」乃皇子曰「是我所先也。」天皇聞是言、更亦起恨。時隼別皇子之舍人等歌曰、
破夜步佐波 阿梅珥能朋利 等弭箇慨梨 伊菟岐餓宇倍能 娑弉岐等羅佐泥
天皇聞是歌而勃然大怒之曰「朕以私恨、不欲失親、忍之也。何舋矣私事將及于社稷。」則欲殺隼別皇子。時皇子率雌鳥皇女、欲納伊勢神宮而馳。於是、天皇聞隼別皇子逃走、卽遣吉備品遲部雄鯽・播磨佐伯直阿俄能胡曰「追之所逮卽殺。」爰皇后奏言「雌鳥皇女、寔當重罪。然其殺之日、不欲露皇女身。」乃因勅雄鯽等「莫取皇女所齎之足玉手玉。」雄鯽等、追之至菟田、迫於素珥山。時隱草中僅得兔、急走而越山、於是、皇子歌曰、
破始多氐能 佐餓始枳揶摩茂 和藝毛古等 赴駄利古喩例麼 揶須武志呂箇茂
爰雄鯽等知兔、以急追及于伊勢蔣代野而殺之。時雄鯽等、探皇女之玉、自裳中得之、乃以二王屍埋于廬杵河邊而復命。皇后令問雄鯽等曰「若見皇女之玉乎。」對言「不見也。」
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現代語訳

即位40年春2月。
雌鳥皇女(メドリノヒメミコ)を後宮に入れて妃としようと思って、隼別皇子(ハヤブサワケノミコ)を媒(ナカダチ)としました。その時に隼別皇子は密かに自ら雌鳥皇女(メドリノヒメミコ)を娶って、報告をしませんでした。それで天皇は雌鳥皇女(メドリノヒメミコ)に夫が居るのを知らないで、自ら雌鳥皇女の住居へと行きました。その時、皇女のために織物を織っている女人たちが歌を歌っていました。
ひさかたの 天金機(アメノカナバタ) 雌鳥(メトリ)が 織る金機(カナバタ) 隼別(ハヤブサワケ)の 御襲料(ミオスヒガネ)
歌の訳(「ヒサカタ」は天に掛かる枕詞)空に舞う雌鳥の金機(カナバタは金属部分のある機織り機)で、雌鳥が織るよ。金機で織るよ。隼別が着る服を織るよ。

天皇は密かに結婚したことを知り、恨みました。しかし皇后の言葉を重要視して、はばかりました。また友于(コノカミオトト=兄弟間の友情)の義(コトワリ)を篤(アツ)く思っていたので、我慢して罪としませんでした。しばらくして、隼別皇子は皇女の膝枕をして伏せていました。それで語って言いました。
「鷦鷯(サザキ=ミソサザイという鳥の古名=仁徳天皇のこと)と隼(ハヤブサ)ではどちらが速いでしょうか?」
答えて言いました。
「隼が速い」
皇子は言いました。
「これはつまり、私が先んじている所だ(=優れているということ)」
天皇はこの言葉を聞いて、さらに恨みました。そのとき、隼別皇子の舎人たちが歌を歌って言いました。
隼は 天に上り 飛び翔り 齋(イツキ)が上の 鷦鷯(サザキ)取らさね
歌の訳隼は天に昇り、飛び翔り、斎場(祭祀・儀式の場=神社など)の上にいる鷦鷯を取ってしまいなさい(=隼別皇子は仁徳天皇を殺してしまえ)。

天皇はこの歌を聞いて、甚だ大いに怒って言いました。
「朕(ワレ)は私的な恨みをもって親族を失いたくは無いから、我慢してきた。どうして舋(キズ=落ち度)があったら、私事の男女の揉め事が国の一大事になってしまうというのか」
すぐに隼別皇子を殺そうと思いました。そのとき、皇子は雌鳥皇女を連れて、伊勢神宮に逃げようと走っていました。天皇は隼別皇子は逃走したと聞いて、すぐに吉備品遲部雄鯽(キビノホムチベノオフナ)と播磨佐伯直阿俄能胡(ハリマノサエキノアタイアガノコ)を派遣して言いました。
「追いついたところですぐに殺せ」
皇后は言いました。
「雌鳥皇女はまことに重い罪にあたる。しかし、殺すときは皇女の(衣服や装飾を取り去り)肌を露わにしないように」
それで雄鯽(オフナ)たちに勅(ミコトノリ)して言いました。
「皇女の身につけている足玉手玉(アシダマタダマ)を取るなよ」
雄鯽たちは追いかけて菟田(ウダ)に到着し、素珥山(ソニヤマ)に迫りました。そのときに草の中に隠れて、僅かに免れることが出来ました。急いで逃げて山を越えました。それで皇子は歌を歌いました。
梯子(ハシタテ)の 険(サガ)しき山も 我妹子(ワギイモ)と 二人越ゆれば 安蓆(ヤスムシロ)かも
歌の訳梯子を立てたような険しい山であっても、わたしの愛する人と二人で超えるならば、ふかふかの蓆(ムシロ)に座ってるようなものだ。

雄鯽たちは逃げられたと知って、急いで伊勢の蔣代野(コモシロノノ)で追いついて殺しました。そのときに雄鯽たちは皇女の玉を探って、服の中から得ました。すぐに二人の王(隼別皇子と雌鳥皇女)の屍(カバネ=死体)を廬杵河(イホキガワ)のほとりに埋めて、報告しました。皇后は雄鯽に問うて言いました。
「もしかして、皇女の玉を見ましたか?」
答えて言いました。
「見てません」
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解説

古事記
古事記では皇后である石之日売命(磐之媛)の死が描かれていませんから、女鳥王(雌鳥皇女)の「手玉足玉を取るなよ!」と発言したのはあくまで石之日売命(磐之媛)ということになっています。

しかし日本書紀では磐之媛は死に、八田皇女が皇后となっているので、ここで「手玉足玉を取るなよ」と言っているのは八田皇女です。八田皇女と雌鳥皇女は「同母姉妹」です。

ちなみに仁徳天皇から見ると八田皇女と雌鳥皇女は二人ともが「異母妹」にあたります。萌え。

ということは、八田皇女が「手玉足玉を取るなよ」と発言したのは姉としてのせめてもの「情け」ということになります。全然不自然じゃないんです。
伊勢神宮に逃げる理由
神社は当時、犯罪者が逃げ込むところで、逃げ込んだら朝廷も手が出せ無い場所だったようです。だから伊勢を目指したのです。
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