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大和朝廷(皇室)の祖先が朝鮮半島の出自であることは、特に異端の説ではなく、「天孫族」という名称で知られているようだ。古事記や日本書紀は、ある意味では「原日本人(縄文人」」と天孫族(弥生人)の闘争の歴史と伝説であるわけである。



天孫族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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天孫族(てんそんぞく)は、日本神話において降臨ヤマト王権をつくったとする古代勢力の総称。また「新撰姓氏録」では天照大神などの子孫を神別の「天孫」としている。

系統と分布[編集]

天孫族は古代中国羌族などの東夷系種族に通じる種族とする説がある。また箕子朝鮮の王族ないし扶余王族、高句麗百済新羅、あるいは渤海を建国した部族と同族の流れを汲むとされる。なお北狄ともかなりの混血があったためか、習俗で似通ったものがあるとされる[1]

東夷系種族説[編集]

中国東北地方の遼西地方周辺を原住地とし、朝鮮半島を経由して南部の弁辰を根拠地として、紀元1世紀前半頃に日本列島に到来した種族とされる。北九州の松浦半島に上陸した後は、松浦川に沿って奥地に溯り、天山南方の佐賀平野を西から東に進んで、筑後川の中・下流域、水縄山地(身納山脈)、特に高良山の北麓から西麓の辺り、筑後国御井郡山本郡を中心とする地域に定着したとされる。この種族は鉄器文化や鳥トーテミズムを持ち、支石墓や後期の朝鮮式無文土器にも関係したとみられる。また、これが『魏志倭人伝』に見える邪馬台国の前身たる部族国家(高天原)で、このような原始国家を2世紀初頭前後頃から形成し、2世紀後半には分岐国家の伊都国から神武天皇兄弟を輩出した[2]。神武天皇の子孫は大和朝廷の基礎を作り上げ、残った一族は3世紀前半の朝の時代に最盛期をむかえ、女王卑弥呼などを輩出したが、4世紀代に古墳文化を所持し、強大な勢力となった景行天皇神功皇后による九州地方の平定によって滅んだものとされる[3][4]

特徴[編集]

鉄鍛冶製塩土器銅鏡銅剣・鉄剣・弓矢衣類の製作を行った種族。(とくに白鳥)といったトーテムがあり、太陽信仰巨石石神信仰、製鉄風神信仰、温泉神、医薬神、妙見信仰を持つ。関係が深い植物にはがあり、五十猛神須佐之男命八幡神熊野大神、角凝魂命)・高御産巣日神天照大御神(天活玉神(伊久魂神))・天津彦根命天若日子)・天目一箇命天太玉命天津麻羅経津主神)・天日鷲神陶津耳命少名毘古那神)などを祖神として奉斎する他、母系神として豊宇気毘売神菊理姫神宇迦之御魂神保食神)も祀る[5][6][7][8]

記紀における天孫族[編集]

記紀によると国譲りの後、高天原より葦原中国平定のため日向に降臨し、中国地方を経て近畿地方まで東征し西日本各地の豪族を従え大王天皇)を中心とするヤマト王権(倭国)を樹立させ、中部・関東地方まで勢力を拡大させ、のちの日本へと発展していったとしている。

新撰姓氏録における天孫族[編集]

新撰姓氏録」神別では、天照大神の子孫とみなされる神々、天穂日命天津彦根命天火明命火闌降命天佐鬼利命の子孫を『天孫』と定義している。

皇室出雲氏三上氏物部氏尾張氏山背国造広峯氏土師氏隼人などはその子孫にあたるとしている。しかし尾張氏の系図は系譜仮冒であり、またその祭祀形態から海神族、隼人は習俗から山祇族ともされる。




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