忍者ブログ
[960]  [959]  [958]  [957]  [956]  [953]  [952]  [951]  [950]  [949]  [948
一応、現段階での構想を書いておく。
全体は五部構成で、

1)「神武東征記(神武戦記)」~伯済国滅亡(ゼロの章、あるいはプロローグ)から神武東征まで。
*正義や道徳は問わず、古代史を冷徹に描く。これは以下の章(部)も同様。

2)「ヤマトタケル戦記」~ヤマトタケルの物語を中心に、大和朝廷の覇権拡大を描く。

3)「神仏の戦い」~仏教伝来の闘争を描く。

*支配手段としての仏教を描く。神仏不在の「神」と「佛」の戦い。  

4)「望郷戦記」~大化の改新と白村江の戦い

5)「継ぐのは誰か」~壬申の乱から継体天皇まで(記紀の誕生含む)

古代を描く「時代小説」のネックである、「人名」と「言葉遣い」の「常識」を完全に無視して、人名は簡略化、あるいは記号(符号)化し、話し方は現代人とまったく同一、つまりカタカナ語や外来語や現代の数字や単位を用いる。それによって、「大事なのは語られた表面ではなく、中味である」ことを強調する。つまり、日本史は原日本人が侵略者に敗北を重ねた歴史である、という事実を明確にする。そして、正義などどちらにもない、という視点を示す。道徳(儒教)も宗教(仏教)も政治の手段である、ということを示す。ただし、それらは道徳や宗教が無意義だということではなく、善悪どちらにも使える恐ろしい道具だ、ということである。これは世界史にも拡張できるし、現代社会もまた同じである。

全体の名称は未定だが、グローバル(まあ、アジア東部だけだが)な視点から見た古代史である、というのを感じさせたい。あるいは、「大和朝廷秘史」的な印象でもいいが、「トンデモ歴史小説」の印象は避けたい。「仁義なき古代史」というのを、今思い付いた。ふざけた名前だが、内容には合っている。古代史はヤクザ戦争と同じだ、ということだ。つまり、すべて利を争っての戦いにすぎない。

情景描写も基本的には不要だし、書く能力も無いので、小説ではなく脚本形式にするのがいいかもしれない。



PR
この記事にコメントする
color
name
subject
mail
url
comment
pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
P R
忍者ブログ [PR]

photo byAnghel. 
◎ Template by hanamaru.