ドラマとは、要するに人生から退屈な時間をすべてカットしたものである。
(アルフレッド・ヒッチコック「映画術」より)
上の考えからの帰結は、「つじつま合わせ」や「説明」は、基本的にドラマには不要であるということ。もしもやるなら、そのつじつま合わせや説明自体が「退屈でない」ようにやらねばならない。説明のための説明という退屈そのものの時間が映画にあってはならない。
映画の場合には「美しい映像」が、ドラマの代わりになることもある。そして「美しい伴奏音楽」もまた同じ。
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冬山想南
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