「欲望のあいまいな対象」は見ていないが、面白い題名だと思う。正確には「欲望のあの曖昧な対象」と訳すべきだと思うが、スペイン語原題(があるかどうか知らないが)がどうなのか。
「that」が入るかどうかはわりと重要な気がする。つまり、「欲望のあいまいな対象」全体をぼんやりと問題視しているのではなく、「あの」と強調しているわけだ。つまり、このobjectは特定のものなのか、それとも一般的に見て欲望というものの対象はあいまいなものだということかが問題だ。
そして、映画監督(ブニュエル)の意図が前者だとしても、後者だとしたほうが、哲学的には面白い。哲学は物事を抽象して思考するのであり、特殊事例(抽象化で捨象される)を論じる意味はないからだ。
江戸小話に、大きな商家の箱入り娘が恋煩いしたらしいということで、その相手が誰か調べるように言われた番頭(か乳母)が、相手は誰か娘に聞くと、しばらくモジモジした後で、「誰でもいいの」と答えたという笑い話があるが、案外、人生の実相、あるいは恋愛心理の実相を突いているかもしれない。
要するに、誰かを見て(知って)突然恋をするのではなく、「恋への憧れ」が先にあって、それに良さそうな誰かを見て「この人だ!」と思うのではないか。
欲望そのものがあいまいだという考えもでき、ロリコンが一般化しなかった時代には、幼女に性的欲望を抱く人間はほとんどいなかったのではないか。つまり、「我々は欲望を学ぶ」のである。
「that」が入るかどうかはわりと重要な気がする。つまり、「欲望のあいまいな対象」全体をぼんやりと問題視しているのではなく、「あの」と強調しているわけだ。つまり、このobjectは特定のものなのか、それとも一般的に見て欲望というものの対象はあいまいなものだということかが問題だ。
そして、映画監督(ブニュエル)の意図が前者だとしても、後者だとしたほうが、哲学的には面白い。哲学は物事を抽象して思考するのであり、特殊事例(抽象化で捨象される)を論じる意味はないからだ。
江戸小話に、大きな商家の箱入り娘が恋煩いしたらしいということで、その相手が誰か調べるように言われた番頭(か乳母)が、相手は誰か娘に聞くと、しばらくモジモジした後で、「誰でもいいの」と答えたという笑い話があるが、案外、人生の実相、あるいは恋愛心理の実相を突いているかもしれない。
要するに、誰かを見て(知って)突然恋をするのではなく、「恋への憧れ」が先にあって、それに良さそうな誰かを見て「この人だ!」と思うのではないか。
欲望そのものがあいまいだという考えもでき、ロリコンが一般化しなかった時代には、幼女に性的欲望を抱く人間はほとんどいなかったのではないか。つまり、「我々は欲望を学ぶ」のである。
町山智浩の映画ムダ話140 ルイス・ブニュエル監督『欲望のあいまいな対象』(1977年)。資産家マチウは美しいメイドのコンチータを愛人にしようと追い回すが……。2人の女優が交代で演じる一人の……。
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町山智浩の映画ムダ話140 ルイス・ブニュエル監督『欲望のあいまいな対象』(1977年)。資産家マチウは美しいメイドのコンチータを愛人にしようと追い回すが……。2人の女優が交代で演じる一人のヒロイン、貞操帯、多発するテロ、謎のズタ袋に秘められた意味は?
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